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2020年12月31日

2020年総括

2020年のニュース第一位は世界中で一致しちゃってるだろうな。ま、そう言わずに総括してみる。

2020世の中的ニュース

ここはどうしたって新型コロナになるよね。2020年のニュースってことで来年以降は振り返ることが出来るといいんだけど。

2020 AJニュース&2020ラッキーだったこと

去年秋から自由診療に移ったんだけど、冬から春にかけてずるずると悪化の一途をたどり、治療終了も覚悟したのだった。3月末に最後の賭けのつもりでお薬を変えてみたら、これが案外劇的に効いて小康状態に逆戻り。ラッキー!まそうはいっても、先月からマーカーはじわじわと再び上がり始めているので、来年はどうなることやら。来年もやれるとこまでやるつもりではある。

2020アンラッキーだったこと

そんなわけで春にはすっかり元気いっぱいだったのに、新型コロナのせいでどこにも行けないし、頼みの図書館まで完全閉鎖!こんなことさえなければ旅行にでも行けたし友達にも会えたのにぃぃ。新型コロナのバカヤロー!

2020ベスト食べ物

あまり外出できなかったこともあって、今年もベスト食べ物は該当なし。それなりには美味しいものも食べてはいるんだけどさ。年の終わりに振り返ってこれ!と思えるようなものがない。新型コロナのバカヤロー!!

2020ベストお買い物

ベストお買い物は、悩んだけど久々に新調した置時計で。無印良品の公園の時計ミニ白。手元で使っていた置時計(いまひとつ気に入っていなかった)を、なくても平気だよねと断捨離したらやっぱり不便。洗面所で使っていた旅行用の目覚まし時計(写真の右側)で代用していたら、今度はこいつの調子が悪くなり。
無印良品で見掛けた公園の時計なら、テレビ台に置いてもいつも座っている場所から見えるのではないかと考えて(前の置時計は針が良く読めなくて手元の机に置いていた)購入。置いてみたら思ったほど視認性が高くなくて、目覚ましから微妙に改善された程度なのだが、ま、ここはむしろメガネを変えるべき時期だという気がする(笑)。

2020ベストMade In Japan

Made In Japanて言えるのか?という気もするが、手作りマイマスクをここにおきたい。以前、台北に旅行に行った時に、カラフルな布マスクがあってカワイイ!と思ったのだが、当時の日本はマスクといえば白一色。それに当時台北ではバイク乗りの排煙除けに使われていたようだったので、布マスクって感染予防にはどうよと思ったし。その後お店でもカラフルなマスクが売られるようになり、でも一般的とは言い難かった。お洒落な人向けって感じで。
ところが新型コロナのバカヤローのおかげで、布マスクでも一定の効果はある(そもそも不織布マスクでも他人への感染を弱める効果しかない)ことになり、街でも一気にカラフルな布マスクが増えた。だったら私も作ってみる―!と一時期はマスク作りがマイブームとなったのだった。
市販のガーゼマスクは、洗うとしわしわになり小さくなってアイロンが面倒なのだが、マイマスクはノーアイロンで大丈夫。夜洗って朝までに乾く。不織布マスクは捨てる時に罪悪感が漂うし、ゴミ袋を二重にするのも罪悪感を増すが、布マスクはそれよりずっとサステナブルで大満足。コロナのバカヤローにも良かった点はある。

2020ベスト読書

2019年秋から開始のGuardianリストは昨年中は再読が殆どだったが、今年に入って初読が増え、「読まなくてもいいかも」率が上昇している。でも気に入った本も数多くある。どれにしようか悩ましいけど、「忘れられた巨人」(カズオ・イシグロ)で。基本はファンタジーなのだが、戦後処理とはどうあるべきかを考えさせられる。イギリスっぽい感じも好きだし、ロマンチックな部分も好き。

2020年12月26日

クリスマス プディング

 「クリスマス・プディング」という食べ物があることは知っていたけど、食べたことも見たこともなかった。自分で作らない限り、本場に行かないと食べられないんだろうと思っていたのに、近所のKALDIで売ってるじゃありませんか。よしよし。クリスマスを待って食べようと楽しみにしていたら、たまたま読み始めた「オスカーとルシンダ」にクリスマス・プディングが重要な意味を持って登場。ますます食べるのが楽しみ!

こんな感じの食べ物。パッケージでわかるように英国ウォーカー製です。プラスチックボウルに入ってたのをレンジで温めて食す。「オスカーとルシンダ」では、厳しい父の元、清貧な生活を送るオスカーに同情した女中さんがこっそりクリスマスプディングを作って食べさせてくれるのだが、すぐ父に見つかって無理矢理吐き出させられる。「プディングは悪魔の果実だ、と父はいった。オスカーはプディングを食べたが、悪魔の果実にはとうてい思えなかった。」ここから父子のボタンの掛け違いが広がっていく。

オスカーはプディングにも感心していたが(レーズンを食べたのは初めてだった)、上にたっぷりかけられたカスタードソースに強く魅せられていた。右写真の状態でちょっと食べてみてすごく甘かったので、これにカスタードを足したらベタベタに甘くなると思ったのだが、「家庭でできる和洋菓子」にもカスタードをかけるものだと書いてある。迷ったけど砂糖控えめでカスタードソースを作った。クリスマスぽくして記念写真。

んー、想像通りの激甘!!決してまずくはありませんが、イギリスらしい美味しさです(褒めてない)。レーズンやオレンジピール等のフルーツたっぷり、シナモンとナツメグ?(Mixed spiceと書いてあって詳細不明)他スパイスたっぷり、甘味もたっぷりで英国趣味の「リッチな味」ではある。が、くどい。無駄に豪華なところが悪魔の果実なのかな。「和洋菓子」には、ブランデーやマディラ酒などのお酒をかけると美味しいと書いてあるが、ちょっと試してみる気がしない。1/4も食べるともういいや、という気持ちになった。これってこの大きさで一人分ではなく一家族分なのかな?そうのような気がする。困りながらパッケージを眺めていると、「クリーム、カスタード、アイスクリームと一緒に食べると美味しい」と書いてあるのに気が付いた。

アイスクリームはイイような気がする、と翌日エクセルカップのバニラを買ってきて再トライしてみると、すっかり食べやすくなった!もしクリスマス・プディングを食べてみたいなら、アイスクリームをお供にするのがお薦めです!が、まぁ無理に試さなくてもいいと思うよ(笑)。

ちなみに、クリスマス・プディングはまず「ミンスミート」を作るところから始まります。クリスマスの1か月以上前にミンスミートを作って、容器に入れて時々かき混ぜたりして発酵!させる。それをクリスマス近くなってから取り出し、粉と卵を足して蒸して、また2-3日休ませて、当日にもう1回蒸してカスタードソースをかけて食べる。と「和洋菓子」に書いてある。なるほど。「ミンスミート」という言葉も知っていたけど、挽肉が入っているんだと思ってたよ!元々は入っていたけど(今でも入っている場合もあるらしい)、今では獣脂が代わりに入っているんだって。確かに「和洋菓子」のレシピでも「ケンネ脂100g」を使うと書いてある。どこに売ってるんだか。ハードル高い。

2020年12月25日

Happy Holidays

エンジニアだった頃、外国の取引先からクリスマスカードをもらったことがあった。年賀状の代わりということなんでしょうね。アメリカの会社だったけどHappy Holidays!と書いてあって、そうか、世界には「クリスマス」がおめでたくない人たちだっているもんね、と感心したのだった。日本人の殆どはキリスト教徒ではないけど、メリークリスマスで全く問題ないんだよなーと思ったが、自分でも時折、Merry Christmasの代わりにHappy Holidaysを使ったみたこともあった。 

そして今年。Happy Holidaysと書きかけて、全然ホリデーじゃないじゃん!と気が付いた。12/23が祝日じゃなくなるとむしろこっちの方が違和感が強いなぁ。となるとWinter Greetingsとか言わないとなのか。冬の季節のご挨拶だと、なんかお歳暮みたいだな。いいけど。

2020年12月22日

思い出の本と食べ物:あしながおじさん

 以前光文社古典新訳であしながおじさんを再読した際に、「解説に『美味しそうなファッジと言うお菓子に云々』と書いてあるが、そこまで読んでやっとあれファッジだったのか!と気がついた。子供の頃からキャラメルだと思ってたし、今読んでもキャラメルにしか読めなかった。訳文も『あめ』になってるし。」と書いた。AJの早合点でした。「あめ」は「あめ」で正しくて、ファッジは別の箇所で触れられていたのだ。ごめんなさい!


「あめ」と言ってたのは、左の挿絵が付いている箇所で、クリスマス休暇に帰省せずに大学寮に居残っている生徒たちが、食堂を借りて先生たちに振舞うお菓子を作る場面。正確には「糖蜜キャンディ(molasses candy)」。キャラメルというより「あめ」ですね。いわゆるイングリッシュ・トフィー?作った本人達も、もらった先生達の口もベタベタになったと書いてあったのでキャラメルを想像したんだけど。飴を作っても作る現場はベタベタするが、食べる方はベタベタしないような・・・意図せずキャラメルぽくなっちゃったのかな?同じ材料でも煮詰める時に高温にするとカリっとした飴(トフィー)になって、低温だとキャラメルぽくなる(タフィ)ものらしい。

「ファッジ」の方は、食堂調理の場面とは全く別の手紙で出てきている。本物のクリームとバターの塊を三個も使って作るので美味しく出来るだろうから、おじさんにお裾分けできないのが残念だ、とのこと。あと女子会ランチのメニューにも登場していた。読み直しても全然気づいてなかった(苦笑)。 

こんな間違いをしたのはちょっと背景があってさ。作者のウェブスターはヴァッサー・カレッジの出身と解説に書いてあって、その名を冠したファッジ(Vassar fudge)があるのをAJは知っていたのだ。女子大毎に自慢のレシピがあると聞いた。それで、あーあれは大学レシピを学ぶ会でもあったのねと早合点したのだった。

前置きが長くなった。ファッジとはこんな食べ物です。

本格イギリス風、ハロゲート生まれと書いてある。KALDIで買った。パッケージ写真はキャラメルみたいだけど、実体はもっと粉っぽい。食べると口の中でほろほろ崩れて、やたらに甘い!キャラメル味だけど食感は全然違います。Wikiによると「砂糖の結晶が大きいから」だそうな。濃厚な甘さだけど、口の中はサッパリしているので何個でも食べられる。でも甘いことは甘い・・・

ちなみにVassar fudgeはチョコレートが入って更にリッチなことになっています。ナッツを入れたりドライフルーツを入れたり、いろいろバリエーションがあるらしいです。どっちにしても濃密な甘さに変わりはなさそう。

2020年12月18日

Guardian’s 1000 (22)

今回もCrimeカテゴリを多めに。推理小説って賞味期間が短いというか図書館からいなくなるのが早いことに気づいた。SFも早めだが推理小説ほどじゃない。

(211) グッドマン・イン・アフリカ(ウィリアム・ボイド/ハヤカワ文庫):
訳者あとがきにもあるけど、グリーンぽい。アイスクリーム戦争と同じ人だけど、こちらはユーモアたっぷり。在アフリカ英国外交官のモーガンは、理不尽な周囲に振り回されるGood Man。ま、本人もかなり自分勝手なんだけど。言い寄られてると思った上司の娘にはあっさり振られるし、雇人たちは言うこと聞かないし、恋人は思い通りにならない上に性病持ちだし、上司はとぴっきり無能でワガママ。堅物の医師は正義漢なのだが哀しい最期を遂げてしまう。映画化されているそうだ。描きようによってはしんみりすると思うが、例えばMr.ビーンが主人公を演じたら笑いっぱなしになること間違いなし。

(212) 夜中に犬に起こった奇妙な事件(マーク・ハッドン/ハヤカワepi文庫):
Comedyカテゴリだがこれはユーモア小説ではないと思う・・・自閉症?なクリストファーがいろんな困難と闘いながら、でも一人で頑張っていく話。無理解な人もいるし、理解しようとする人もいる。子供思いのパパやママでも傷つけてしまうこともある。知らない人の親切をはねのけてしまうこともあるし、警官とか従うべき人に従えなくて大ごとになることもある。クリストファーも自分なりに頑張る。我慢もするがやりたいことはちゃんと伝える。そしてだんだんに道が開けていく。個性だからね、と受け入れることは口で言うほど簡単じゃない。でも受け入れられる私でありたい、とは思う。一番大変なのは本人なんだしね。

(213) 青白い炎(ナボコフ/岩波文庫):
2014年新訳で。不思議な読み味の本。光文社古典で3冊読んだけどこれが一番好きかも。Comedyではないと思う。強いて言えばTravel?でも逃避行が主題でもないしな。不条理ぽいのだがファンタジーぽいところもあり、わかりにくい本ではあるが難解ではない。殺された老詩人が書いた英語の「青白い炎」という名前の詩集(ていうか詩篇?原文付き)を中心に、隣家に住んでいた外国語教授(=語り手)が前書きと註釈を付けて出版という構成なのだが、いわゆる信頼できない語り手というやつ。前書きもかなり註釈は殆ど、老詩人よりも自分のドラマチックな前半生が描かれている。それが詩の主題になっているかというと・・・詩の中に暗殺者の名前が隠されていると主張するが強引すぎるような。そもそもアンタは誰なの?とにかく不思議な本なのだ。研究書を書きたくなる気持ちはよくわかる。卒論には良くても読書感想文には向きませんので念のため。

(214) ニューヨーク三部作(ポール・オースター):
Guardian'sでは1タイトル扱いになっているのだが、実際にはそれなりの長さの小説が3つ。どれも推理小説とは言い難いのだが味わいがある。三部作というだけあって続けて読むべき作品群。
ガラスの街(新潮文庫):推理小説じゃない。犯罪小説ですらない。でも「私立探偵」は出て来る。私立探偵ポール・オースター宛の間違い電話を受けてしまった推理小説作家のクイン。依頼者は子供の頃に自分を幽閉した父が出獄してくるのを恐れている青年。探偵のフリをして駅で父親を見つけて尾行し、知らない他人を装って話をしたりするが、老人に巻かれてしまう。老人とも依頼人とも連絡が取れなくなり、困って電話帳のポールオースターを訪ねたら、探偵ではなくこちらも小説家。気になって路上で依頼人宅を見張り続けるクイン。1か月で持ち金が尽きてアパートに戻ると、部屋は解約されて別の人が住んでいる!持ち物も失って小説を書く気も失せて・・・クインはどこにいってしまったのでしょうか。推理小説じゃないけど面白い。ニューヨークぽい。
幽霊たち(新潮文庫):更に推理小説じゃない。事件も起きない。でも私立探偵は出て来る。私立探偵ブルーは怪しいホワイト氏から依頼されてブラック氏を終日見張る。しかしブラック氏はほとんど外出せず窓辺で何か書いている。尾行も殆どなくてつまらないブルー。ホワイト氏の正体を知ろうとするがうまく行かない。変装してブラック氏に接触するもらちが明かない。恩師のブラウンは当てにならず、彼女からも捨てられて、自分を見失っていく。とうとうブラック氏と対決してみると書いていたのはなんと自分の物語!
鍵のかかった部屋(白水Uブックス):全然推理小説じゃない。私立探偵クインも脇役としてしか出てこない。幼馴染ファンショーの妻から残された原稿を託される文筆家の私。良い作品なので出版することになる。ファンショーは生死不明だが生きていないと思うと妻は言う。魅力的な妻に恋してしまい、結婚して一緒に暮らし始める。ファンショーの作品は話題となり印税も入り、自分で書いたのでは?とみんなに言われる。学校を出てからは音信不通だったファンショーの一生を手紙とかインタビューで再構成して本にしようと調べ始めるが、調査にのめりこんで自分がファンショーなのか?ファンショーは何者なのか?パリまで行くけど答えは出ない。インタビュー本は諦めて幸せに暮らそうとするところに、ファンショーからお手紙。鍵のかかった部屋から出てこないファンショーから最後の原稿を託されてしまう。自分が作り上げたファンショー作品を鮮やかにひっくり返す内容。しかし電車で原稿を一枚一枚破り捨てて、僕は自分の生活に戻るのだった。

(215) 毒入りチョコレート事件(E・C・ベントリー/創元推理文庫):
推理好きが集う犯罪研究会は、警視庁協力の元に事件の真相を推理することになる。女好きの男に届いたチョコレートをもらった夫婦が犠牲となり妻が死んでしまった事件。6人のメンバーは順番に自分の推理結果をプレゼンするのだが、みんな意見が違う。真実に近づいていく。定番の「配偶者」や、意外のボク!(も条件に当てはまる。ボクじゃないけど)。次々に新情報がもたらされ、真実に近づいていく。伏線はキレイに張られていて最後まで行く前に犯人はわかるのだが、この趣向は面白い。でも真似すると確実に「チョコレート事件ね」と言われてしまうよなー(笑)

(216) レイディ・オードリーの秘密(メアリ・E・ブラッドン/近代文藝社):
老男爵との玉の輿結婚に漕ぎつけた美貌のルーシーは実は。外国で一儲けして置いてきぼりにした妻と息子を迎えに来たジョージは、妻の死亡告知を新聞で読んで意気消沈。慰めようと伯父の館に連れ出した弁護士のロバートはしかし旧友を見失ってしまう。旧友を探している内に奥方の秘密はだんだんと暴かれる。ルーシーも非情かもしれないがジョージもひどいよね。裏切られても無理ないと著者(女性)は思っていたのが冒頭の伏線でわかる。可愛そうなルーシーは、殺人未遂は見逃されても狂人として施設に収容されてしまう。情が薄い女はそんなに悪いのか?言いたいことはあるようだが、言えてないのが残念。

(217) ネオン・レイン(ジェイムズ・リー・バーク/角川文庫):
ハードボイルド警察小説。舞台はニューオーリンズ。暴力と麻薬が蔓延する世界は暗い。どこの組織も腐敗が進む。希望がないわけじゃないけどしかし。でもアメリカの他の街より、食事を大事にしてる感じで美味しそうだな。でもとにかく暗い。

(218) 三十九階段(ジョン・バカン/創元推理文庫):
冒険小説。犯罪は一応あるのだが推理の余地はない。南アからロンドンに帰国したお気楽なお貴族様は、アパート上階の住人から助けを求められ、話半分に聞いてたのに当人(自称ジャーナリスト)は殺されてしまう。えっあの話本当だったんだ!とびっくりしながら悪者と警察を避けて逃避行。思いつきで様々な冒険をするが、親切な人もアヤシイやつもいる。最後は残された手帳の謎を解いて「39段の階段があって特定日時に満潮になる」場所を見つけて、怪しげな屋敷に入り込み、怪しそうに見えないやつらに騙されずに敵に打ち勝つ!敵はドイツ人だから撤退も計画通りに行う筈だ!って、まぁそうなんだけどさ(笑)。

(219) ケリー・ギャングの真実の歴史(ピーター・ケアリー/早川書房):
ケリー・ギャングの名で知られるオーストラリアのダーク・ヒーローの「真実の」ドキュメンタリー風。鼠小僧みたいな感じ?仲間がいる点では清水の次郎長かな。銀行とかを狙っても人は殺さない。警官は殺すが警察の横暴を知っている市民からは支持されたりするが、密告もされるし裏切りもしょっちゅう。鼠小僧みたいにメディアに持ちあげられ(鼠小僧の場合は後世の、かな)ヒーローになるが、本人は本人なりの正義を持っているけど持っているだけ。娼婦として登場する奥さんのメアリが後半は行動派でカッコイイ。女って強い!

(220) 最後の物たちの国で(ポール・オースター/白水社):
こちらはオースターでもSF&Fカテゴリ。何もかもなくなっていく荒廃した世界。物がなくなるとその記憶も薄れて単語までがなくなっていく。何が理由でこんなことになったのか語られていないのだが、この「国」限定の話らしい。「政府」はあるが機能していない。取材に出掛けたまま行方不明の兄を追ってやってきた私。絶望的な毎日の中、優しい老女イザベルに出会ったり、偶然逃げ込んだ図書館に小さな避難所があって兄の後任のサムと出会って恋仲になったり。妊娠して希望を持ったころにうっかり騙されてビルから飛び降りて逃げる!ところが親切な施設に引き取られて、施設主ヴィクトリアと恋仲に。楽園は長続きしないが、サムとも再会出来て、仲間と一緒に街の外へと脱出を計画する。つまりラストには希望が残されていてAJ好み。去年ならこの絶望的な荒廃を暗いファンタジーとしてしか読めなかったかもだけど、コロナ渦の今、「社会」のもろさを実感したので他人事じゃない。ま、コロナはそこまでひどくはならないと思うけど、もっと質の悪い病が出てくる可能性もあるわけだし、地球温暖化や資源の枯渇も「遠い未来」とは限らないのだ。物はなくなっても物語はなくしてはならない、きれいごとだけど。

2020年12月5日

アリメット デ ポム

 「アリメットデポム」では「家庭でできる和洋菓子」しかヒットしない謎の名前(笑)。検索結果からすると日本語では「アリュメット・オ・ポンム」が標準名称であるらしい。概ねヤマザキのアップルパイのような形のもの。

久々にパイシートを買って作ってみました。ちょっとひしゃげてしまったけど。「アリュメット」allumetteというのはマッチ棒のことで、細かく入れた切り目をマッチ棒に見立てているのですな。せっかく作るんだからと張り切って山パンよりも細かく切れ目を入れたのに、くっついてしまって意味なし。 

さて先の段落で「日本語では」と書いたのは、フランス語でもこう呼ばれているのか疑問符が付くからだ。allumette (マッチ)とpomme(リンゴ)の組み合わせでは、間に入るのがdeだろうがauxだろうが、フランス語記述は圧倒的にフレンチフライばっかり!

フランス語でpommeはリンゴで、ジャガイモはpomme de terre(大地のリンゴ)なのだが、大抵はどっちもpommeと呼ばれるのよね。マッチ切りにしたリンゴもしくはジャガイモて言ったら、そりゃフレンチフライを思い浮かべるのは当然な気がする。もっとも菓子パンのallumetteもフランス語wikiに記述があるので存在しないわけではないらしい。

ちなみにフレンチフライも菓子パンも「マッチ」には太すぎる気がする。でも日本語の「拍子木切」も拍子木ほどデカいわけじゃないしな。角棒型というだけでサイズは気にすべきじゃなかったんだな。

2020年12月4日

ハヤカワepi文庫シリーズ (3) 

ハヤカワepi文庫シリーズの第三弾は、トニ・モリスンとコ―マック・マッカーシーの固め読み結果となっております。グリーンやイシグロと違って、二人とも私の好みとは言えないのだが、読んで損はない本が多いよ。

(56) 越境(コ―マック・マッカーシー):
ニューメキシコからメキシコへ馬でふらっと行ってしまうビリー。放浪から帰ると父と母は殺され、弟はよその家に引き取られている。弟を連れ出して盗まれた馬たちを取り戻しにまたメキシコへ。うまく取り戻せたと思いきや復讐されてしまう。バラバラになって逃げて帰るも弟が戻らないので再度メキシコへ。瀕死の傷だらけの弟を助けると、前の旅で別れた少女を連れ戻してほしいという。連れ戻したら二人で出て行ってしまい・・・仕方ないからまたアメリカに戻って入隊しようとするも健康上の理由で断られ、そうこうしている内に弟が死んだと言われてまたまたメキシコへ。埋葬されていた遺骸を掘り出してアメリカに連れ帰る。相変わらず暗い小説だ。闘う少年たちも匿ってくれる大人たちも強いし健気なんだけど、全体的に暗くてAJ好みではないんだよ。アメリカっぽいとは思うんだけどさ。

(58) 平原の町(コ―マック・マッカーシー):
「すべての美しい馬」のジョン・グレイディと「越境」のビリーが出会う。老いたビリーが描かれるエピローグは現代。禅問答的。相変わらず暗くて好みではない。

(55) スーラ(トニ・モリスン):
常識的な家庭に育ったネルと自立心の強い女系家族のスーラは何故か仲良し。秘密も共有する。家を出たスーラがふらっと帰ってきて、あちこちの夫に手を出しては捨てて、街の嫌われ者になる。友達だったネルも亭主を寝取られ&逃げられて敵に回る。スーラを魔女扱いすることで結束していた街は彼女の病死により崩壊していく。自分のことしか考えていないスーラはそのことを隠さない。愛とか気遣いって案外偽善だったりするもんなー。でも偽善でもあった方がよかったりするんだよなぁ。亭主がいなくなって寂しいと思っていたネルはある日、スーラを失ったことが寂しかったことに気づく。うーむ。女の友情って難しい。男の友情も難しいのかもだけど。

(59) ジャズ(トニ・モリスン):
舞台は珍しくNY。電車で踊りながら上京した若いカップルは中年になりなんだか倦怠期。ジョーは若い女に入れあげて、しかし結局拒否されて彼女を殺してしまう。殺された女ドーカスの葬式にやってきた妻のヴァイオレットは遺体に切りつけて「バイオレント」と呼ばれるようになる。ジョーもバイオレットもドーカスも、その親や祖母・叔母も、それぞれの事情を抱えて、でも希望を持ってアメリカ国内を彷徨う。NYシティはそんなみんなを惹きつける。惹きつけて離さない。なんでここにいるんだっけ?地に足のつかない都会生活。同じ毎日の繰り返し。でも救いがないわけじゃないのよ。夢の国アメリカ、とは言えなくてもさ。

(61) パラダイス(トニ・モリスン):
話が時系列で進まないので読みにくい・・・登場人物の家族図が最後にあるのに読み終わって気づいた。せめてこれが先頭にあれば、ぶつぶつ。肌の黒さゆえに黒人からも差別された黒人たちの誇り高い開拓村。差別された側の方が案外差別意識が強くなったりする。どこでも弱い者いじめはありうるのだった。はみだし者の女たちの連帯が魔女っぽいと迫害にあう。しかしその後何が起こったのか女たちはいなくなってしまう。いなくなっても、いなくなってはいない。伝統は変わっていく、それがイイことなのか悪いことなのか?変わることは悪いことではないと思う。でも変えればいいってものでもないよね。深い、のだが、ストーリーが込み入ってることもあってちょっと読みにくいなー。ビラブドの方が好き。

マッカーシーの(4)すべての美しい馬、(60)ザ・ロード、(94)ブラッド・メリディアン、トニ・モリスンの(6)青い眼が欲しい、(54)ソロモンの歌、(57)ビラブドはGuardian'sで済。

2020年12月1日

シナモンロール(クッキー)

普通シナモンロールと言えば菓子パンの類なんだけど、「家庭でできる和洋菓子」 に載っているシナモンロールはクッキーなのだ。なんとか見た目が似ているのを見つけた。こんな感じ。

写真は、ベッカライヨナタンのクルンクンというクッキーで、渦を巻いているのはシナモンではなくレーズンやプルーン等の果実系。甘酸っぱくて美味しいのだが、シナモンは使ってないのよね。

「家庭でできる和洋菓子」のはシナモンだけを巻いていて、だいぶ探したのだがそういうクッキーは見つからなかったのだ。でも『シナモンの代りに、干ぶどうを細かく切って巻いたり、ピーナッツのみじん切り、胡桃のみじん切りを巻くこともあります』と書いてあるのでこれで良かったことにする。

一般的にはこういう形は「うずまき」と呼ばれるんだけど、うずまきクッキーというとアイスボックスクッキーの一種でココアで作るのが一般的。でもこれは粉200gに対してバターは70gでアイスボックスよりも固めでしっかりした生地に思える。 そこでクルンクンの登場となったのだった。

レシピサイトで「シナモンロール」と検索すると、当然のように菓子パンのシナモンロールが大量に出て来る。でもよくよく見ると中には「シナモンロール風クッキー」もあった。なるほど、「和洋菓子」にはそうは書いてないけど、元々はシナモンロール風クッキーだったのかなぁ?シナモンロールにはレーズンを挟んであることもあるしね。参考までにKALDIで買ったシナモンロールの写真も付けとこう。クッキーのシナモンロールと似ている気は全然しないけど。ぶつぶつ。


2020年11月4日

ハヤカワepi文庫シリーズ (2)

ハヤカワepi文庫シリーズの第2弾は、カズオ・イシロの固め読み。「日の名残り」も「私を離さないで」もいいと思ったけど、「忘れられた巨人」がAJ好みです。前回同様、先頭の番号はハヤカワepi文庫についている通し番号です。

(10) 遠い山なみの光(カズオ・イシグロ):
戦後の長崎を舞台に、幸せになりたい若妻悦子と子持ちの「アメリカさん」佐知子。悦子はその後英国人と恋愛してイギリスへ渡ることになる。解説で池澤夏樹が訳を褒めているが、微妙。日本の描き方に違和感があるが、でもこれは日本人が書いたわけでも日本語で書いたわけでもないしなー。日本人にとって違和感なく訳すのが正解とは言えないのは理解する。でも読んでいてやっぱり気になってしまう。「浮世の画家」は気にならなかったので、「長崎」じゃなくて、新型爆弾で壊滅的被害を受けたN市、とかであれば気にならなかったのかも。どうしても長崎には見えません。地元人どうしで標準語で会話してるし。呼び掛けの「万里子さん」も気になるが、「お母さま」はもっと違和感ある。悩ましいので日本人に限って読まない方がいいかも。

(33) わたしたちが孤児だったころ(カズオ・イシグロ):
清帝国末期の上海租界で両親の相次ぐ失踪で孤児となったクリストファーは、ロンドンで長じて名探偵になり、両親を探すために上海に帰ってくる。幼馴染の日本人アキラ、玉の輿志向の美女サラ、健気な孤児ジェニファー。みんな魅力的。一人で闘ってきたと思ってたのに実は母親に守られていたと知る。切ない。美人でお茶目で芯の強いお母さんが超魅力的で、マザコン小説に感じる。推理小説とも探偵小説とも言えない気がするが、強いて言えばファンタジーかな。

(63) 夜想曲集(カズオ・イシグロ):
「音楽と夕暮れをめぐる5つの短編集」。短編を寄せ集めたわけではないし、物語の間に微妙な連関もあるので、ひとつのnovel扱いでcomedyカテゴリーに入れてくれてもいいのに。あっ、2009年発表だから無理か(笑)。イシグロらしい味わいはあるけどこれはcomedyカテゴリだと思う。特にドタバタの「夜想曲」。「降っても晴れても」の友人に振り回されるレイモンド君はバーティ―を彷彿とさせるが可哀そうにジーヴスがいない。ロマンチックな「老歌手」と「チェリスト」はベネチアが舞台でちゃんとベネチアっぽい(観光客の魔法の国、ベネチア)。モーバンヒルズは英国の田舎が舞台だが脇役の元教師フレーザー婆さんがいそうで笑える。一番驚いたのは訳者あとがきで、英国における短編市場は長編よりうんと小さいということ!日本は短編集市場が結構大きい気がするけどな。二匹目のどじょうが短編集になりがちなだけ?そうかも。

(95) 浮世の画家(カズオ・イシグロ):
酒と女の夜の世界を描く師匠(=浮世の画家)を乗り越えて(裏切って)社会派というか忠君愛国的な絵を描いたらしい主人公。戦時中はお国の役に立ったが、戦後は風向きが冷たく、娘の縁談もそれで進めないような。幼い孫からも気を遣われているような。でも本人は後悔はしていない。今見ると思想として間違ってたけど、でもやらなきゃいけないと思ったことをちゃんとやったんだもん的な。一理ある。正義なんてあってないようなもんだしなー、かつての「偉業」を自分の意志ではなかったと誤魔化すよりは正直なのかもしれないが、自分の意志ではなかったと思いたくなる気持ちもわかる。どっちが正しいということじゃないよな。舞台は日本。違和感はないが、そうそう日本ってこんな感じ、ていう感じもない。たぶんここだなという感じもしない。東京じゃないと思う。別にどこかを描きたかったわけでもないんだろうけど。
ちなみにハヤカワepi文庫シリーズには「浮世の画家」が2種類ある。新訳が95番で古い方が39番。あまり違わない気がするけど、私が読んだのは95番の方です。

(91) 忘れられた巨人(カズオ・イシグロ):
アーサー王伝説を踏まえた物語。竜退治が主題のファンタジーではあるのだが・・・深い。アーサー王は侵攻するサクソン人を単に撃退したんだと思ってたけど、闘いの後で先住ブリトン人とサクソン人が「仲良く」暮らすための施策を行った。法律は怪しくなってきたが、もう一つの秘密の施策はまだ有効。それは魔法の力により過去を忘れさせるものだった。互いに殺戮しあった記憶が生々しいと「仲良く」暮らすのは難しいから、あと数世代竜を活かしておきたいアーサー王の騎士。復讐心から竜を倒したいサクソン側の騎士。単に記憶を取り戻したい(ような気がする)老夫妻。難しい。フタをするのはどうかと思うが、蓋を開けたらどうなったかも想像できるしな。難しい。そもそもそんな凄惨な戦いはすべきじゃなかったのだが、もう起きちゃったんだし。今の時代にも通じる重い課題。課題の深さも魅力だけど、登場人物が素敵。特に老夫妻。記憶を取り戻したら嫌いになるかも、忘れていくから愛情が続くのかもと思いつつ、でも常にそばにいたい。「お姫様」と呼びかけるのもいいなぁ。二人がどうなるかは書いてないが希望はある。周りからEnglandと呼ばれてもGBとも自称する英国。思うところがあるんだろうね。こうしてみると日本の歴史は平板だ。そう思っているだけかな?実は日本にこそ雌竜の息が健在だったりなんかして。ありうる。

(3)「日の名残り」、(47)「充たされざる者」はGuardian’sで、(51)「わたしを離さないで」はゼロ年代の50冊で済。

2020年10月26日

Guardian’s 1000 (21)

今回は1冊が多かったのでさくさく進んだ。光文社古典には収載されないだろうCrimeカテゴリが多め。

(201) ファントマ(ピエール・スヴェストル、マルセル・アラン/風濤社):
「ファントマ」が怪人の意味だとは知ってたけどこのシリーズが元だったのか。誰が犯人なのかはすぐにわかってしまうし、トリックは超人過ぎるので、推理小説ではなく冒険活劇スリラーだな。ルパン的な超人ぶりのファントマは紳士的なこともあるが強盗殺人なんでもござれの極悪人。そして超人はファントマだけではなく、追う方の警部も超人、巻き込まれる被害者も超人がいたりして、そんなのありか活劇。面白いことは面白いのだが、面白いだけかも。

(202) ディミトリオスの棺(エリック・アンブラ―/ハヤカワミステリ):
イギリススパイ小説の元祖だそうだ。探偵小説を書くラティマーは、イスタンブールでたまたま知り合った自作のファンの好意で、かつての国際犯罪者ディミトリウスの他殺体を見物。どんな犯罪者だったのかなと調査していくうちに怪しい男につきまとわれる。自分が見た死体は実は別人?迷いながら好奇心から恐喝にお付き合いして当人と遭遇。絶体絶命の危機を運よく回避して終わり、ってそんなご都合主義な。金で雇われる戦争の黒幕。単なる冒険小説ではないのがイギリススパイ小説の伝統なんだろう。見習えよ007!

(203) あるスパイへの墓碑銘(エリック・アンブラ―/創元推理文庫):
国籍をなくした語学教師がリゾート先で写真を現像に出したら覚えのないものが写っていていきなりスパイ容疑で逮捕。よく考えたらカメラを取り違えてた。同じカメラを持っていたホテルの誰かって誰?調べ始めてみると誰も微妙に怪しいような。しかしバタシー君やることがダメダメでドツボにはまる。滞在客はそれぞれに裏事情があったことが最後にわかる。そしてバタシー君は当局の諜報機関の人だったという結末を押し付けられ、逃げるようにパリに戻るのだった。各国人の描き分けも楽しく読めた。

(204) トレント最後の事件(E・C・ベントリー/創元推理文庫):
素人探偵トレント恋に落ちる。ホームズばりの千里眼だが動機のところで間違って残念。トリック満載の割に結論はシンプルでいまいち・・・

(205) マルタの鷹(ハメット/ハヤカワミステリ):
魔性の女は誰にとっても天使じゃないといけない。確かに同性に通用しないならただの性悪女だもんな。騙されないし許せないのに惹かれていることを隠さないサム・スペードは強い男だと思う。表題の鷹の像についてあっさり終わり過ぎ。もう少し謎というか因縁が欲しかったなぁ。しかしマルチーズって「マルタの」って意味だったのか!犬のマルチーズはマルタ生まれに見えません。

(206) 血の収穫(ハメット/創元推理文庫):
ハメットの長編第一作。私立探偵が主人公で元祖ハードボイルド。暴力シーンは多いのだが、人が死に過ぎと思う。血で血を洗う抗争ってやつ。当然男性が多いのだが、若い情報屋ダイナちゃんが魅力的。娼婦の割には女を売りにしない。さすが高級娼婦は違うね。頭が回るし腕っぷしもなかなか。酒も強いが怖がる時はちゃんと怖がる。カッコイイのになんで殺されちゃうんだよう。

(207) キャッツ・アイ(マーガレット・アトウッド/開文社):
小学生の頃、女子グループ内の虐めを乗り超えた主人公。今では自立した画家でバツイチ子持ち、再婚もしていわゆる成功した人生。かつて虐めていたコーデリアとは高校で再開し立場が逆転。復讐したい/しているような、そうでもないような。でも間違いなくトラウマにはなっている。自伝的作品だそうな。あるあるだけど、細部がやっぱりうまいよね、単なる自伝ではこうはいかないと思う。キャッツアイは虐められていた私のお守りだったビー玉。虐められている子が読んでも参考にはならないと思うが、しかしうまい。ハッピーエンドではないけど希望はある。ていうか絶望はない。しみじみと読める。自分の子供時代を思い返す。

(208) 侍女の物語(マーガレット・アトウッド/ハヤカワepi文庫):
近未来ディストピア。宗教系団体がクーデターを起こして北米を支配。「普通の生活」から10年経ってない程の近未来。1985年発表ということは20世紀内なのか。愕然。主に女性の権利を抑圧する様子はイスラム教チックだが、聖書ベースのキリスト教らしい。いわゆる福音派?まずは職場から女性を「解放」、女性の財産は夫や父などのものとなりクレジットカードも使えなくなる。うーむ。現実的。女性は青い服の「奥様」と緑の服の「女中」、赤い服の「侍女」の3種類となる。「侍女」は妾というより露骨に子供を産むための存在。3種類のどれでもない女性は「非女性」として姥捨て山行き。男性も特権に応じて子供を持てるか決まるなど抑圧はあるのだが、女性についてより多くが割かれている感じ。ディストピアに慣れ切った住人ではなく、つい先日の普通の生活が思い出されるのがイイ。赤い服の描写も細かい。顔が見えにくいように、ベールでもマスクでもなく「白い翼」が付いている。カッコイイ・・・。出口のない生活から脱走を図るが、うまく行ったかどうかは謎、の過去の物語(200年くらい前)として提示される。1985年といえば、東西戦争も行き詰まってきて明るい未来が見えた気がしていたころ。20年でテロ戦争に変わり、また20年で違う危機になっている。こんなに簡単に世界って変わる。ま、現在となっては本を読まなくても実感できるんだけどさ。絵的にアニメ向きだが、浅くなるのでアニメにしないで欲しいです。

(209) 瘋癲老人日記(谷崎潤一郎/中央公論社):
瘋癲(ふうてん)な老人の日記。息子の嫁に恋着する病持ちの金持ち爺さん。しっかり者の嫁は水商売出身で舅を見事に翻弄する、ように老人には思える。創作なのはわかるのだが、実話ベースにしか思えない。Wiki見てみたらやっぱりモデルがいて実話が混ざっているようだ。だろうなぁ。これは谷崎にしか見えませんよ。普通、谷崎と言えば痴人の愛か細雪だと思うのですが。本作はスキャンダル過ぎる気がするんですが。まぁ谷崎らしい作品だと言われるとそうなんだけどさ。枯れずに頑張る!と主張する男性週刊誌は多いが、傍から見ると結構キビしいと自覚はしないとね。こんな風に自分を曝すのが谷崎ではあるが、見たくなかったなぁという気持ちが半分、でも老醜を見ないふりするのもダメだよなぁと自戒の気持ちも半分。

(210) イワン・デニーソヴィチの一日(ソルジェニーツィン/新潮文庫):
強制収容所(ラーゲル)で過ごすイワン・デニーソヴィチ・シューホフのありふれた一日を起床から就寝まで。酷寒の中、三度の食事と作業の間に繰り返される点呼と整列。過酷で希望のない毎日にも慣れてしまう。管理する側もされる側もズルをするし悪党もいる、不公平もある、人種偏見もある。でも、労働に熱中する楽しさや班で一致協力する喜び、稀に仲間に見せる優しさや神様への感謝とか、小さな幸せもある。小さすぎる幸せだけど。登場する囚人の多くは政治意識の薄い巻き込まれ型。それでも「あいつは悪いやつだから一律25年」になったのだろうなぁ。さもありなん。そんなソヴィエトは既に過去の話ではあるけど、あんまり他人事じゃないなぁ。今読んでも古くない話。

2020年10月11日

新シリーズ開始:ハヤカワepi文庫シリーズ

やっとハヤカワepiシリーズを書き始めます!全部で100タイトル弱。Guardian’s他で既に3分の1が収載済なので案外早く終わっちゃうかも。一覧はこちら
第一弾は、Guardian’sで読んでみて面白かったグレアム・グリーンの固め読み結果になってます。ちなみに先頭の番号は、ハヤカワepi文庫についている通し番号です。

(28) おとなしいアメリカ人(グレアム・グリーン):
ベトナム戦争直前のサイゴン。英国人ジャーナリストはアメリカ青年に美女フォンを奪われるが、青年は殺されてしまう。日本帝国撤退後にアジア独立の機運が高まったのは知ってたけどこんな感じだったのか。旧宗主国フランスはなんだか分が悪い。そこにアメリカが乗り込んでくる。相手がコミュニストだかららしい。アメリカ青年本人は素直で真面目ないいやつなのだが、やってることは怪しい。各国ジャーナリスト達もフランス軍も結構怪しいし、麻薬漬けの現地人もやっぱり怪しい。確かになんでアメリカが参加したのか。そんなにコミュニストが怖い?どんな利権があるんだと思うよねーやっぱり。

(75) 国境の向こう側(グレアム・グリーン):
短編が16。表題作は前書きによると途中で投げちゃったものらしく尻切れトンボ。「最後の言葉」は1984的ディストピア小説で、記憶を失った老人が最後にはちゃんと?ローマ教皇として葬り去られる。信仰も忘れたけれど、やっと安寧を得られると思わず主を称える様子に、狼狽する国家元首。ありそう。「エッフェル塔を盗んだ男」イギリス人のパリ嫌いって感じで笑える。「中尉が最後に死んだ」落下傘で降りてきたドイツ軍が酔いどれ親父に退治されてしまう。なんか哀れ。レストランを格付けするのは実は諜報活動の隠れ蓑って笑える。これもフランス嫌いな感じ?

(32) 事件の核心(グレアム・グリーン):
アフリカ植民地で警察副署長を勤めるスコービーはなんだか不運。仕事はマンネリだし妻は煩わしいし友達もいない。妻の旅行中に若い未亡人とうっかり恋仲になるが、カトリック教徒としては姦通に悩む。どうしてこんなことにと思っている内に妻は帰宅するし昇進も決まる。でも全然幸せになれない。恋人も捨てられないし妻の期待も裏切れない。信じられると思っていた少年召使も信じられなくなる。悩んだ末に心臓の薬を大事に取っておいてこっそり一気飲み。残された妻と神父さんは、彼は神を愛していたのだ、と話し合う。神だけを愛していたと。うーむ。救いよりも罰を与える神様。ていうか、救いよりも罰が欲しいと思うのが信仰なのか。事件の核心はいつも切ない。

(31) 二十一の短編(グレアム・グリーン):
短編が21。「特別任務」特別秘書の仕事は身を清くして免償を得ることなんだけど実は。ありそう。懲りずに次の秘書を探すのが笑える。「ばかしあい」は老詐欺師二人がそうと知らずに互いの子供の玉の輿を狙う。当の二人は事実を知った上で乗る。ハッピーエンドでいいね(笑)。腹鳴がすごすぎる「能なしのメイリング」。まとめて読むと同じように見えちゃうのが難。

(38) ヒューマン・ファクター(グレアム・グリーン):
地味で真面目な諜報員モーリスは実は二重スパイ。情報漏洩に気づいた組織はしかし同僚のデイヴィスを抹殺してしまう。このまま辞めればわからないけど、でも。最後の仕事をすることで自分の立場を明かし、東側へ逃亡する。残された黒人妻と息子と再会できるのか、幸せになれるのか、でもいったいどこで?

(30) 負けた者がみな貰う(グレアム・グリーン):
丸谷才一訳。社長が招待してくれた筈の結婚記念豪華バカンス。ところが社長は現れず。滞在費を支払うために大博打。忘れちゃダメじゃん、社長。後味も良いユーモア小説。

(73) 見えない日本の紳士たち(グレアム・グリーン):
表題作を含めて短編が16。色恋の軽い話が多い。レストランにいた日本の紳士たちが「見えない」表題作はあまり面白くない。新婚夫婦を巡る「ご主人を拝借」はちょっと面白い。一番好きなのは、別れた女があちこちに顔を出す「過去からの声」かな。これは怖い。でも笑える。

(35)ブライトンロック、(1)第三の男、(29)権力と栄光はGuardian’sで収載済

2020年9月29日

チョコレート ゼリー

チョコレートもゼリーもよく知られているけど、チョコレート ゼリーと言われると見掛けた気がしないし食べた記憶もない。どんなの?と作ってみると右のようなのが出来ました。

・・・写真じゃよくわかんないと思うけど、概ねチョコレートムース、だった。よそで食べたらそう判断したと思う。材料はゼラチンと牛乳とココア、卵と砂糖とバニラエッセンス。ココアと砂糖と卵黄をすり混ぜて、温めた牛乳にゼラチンを溶かしたものを入れる。少し固まりかけたところに泡立てた卵白をさっくり混ぜて型に入れる。しゅわっとほどける泡の口溶けがムースな感じです。本式のムースはゼラチンを使わないらしいが、「家庭でできる和洋菓子」ですから簡単に間違いなく出来る方がいいもんね。料理下手のAJでもそれらしく出来た。ゼラチンを減らせばもっとムースらしくなるのだろうが、カンタンだったのでこのレシピでまた作りたいな。でも一度にたくさん出来てしまうのが難・・・

2020年9月24日

Guardian’s 1000 (20)

祝200タイトル読破!前に読めなかった既読2タイトルも読破出来ました。

(191) キャッチ=22(ジョーゼフ・ヘラー/ハヤカワ文庫):
上巻は今一つ意味がわからず、読みにくくて進まなかったけど、下巻はスッキリすいすい一気に読み切った。第二次世界大戦のイタリアで戦うアメリカ空軍兵。著者の経験をもとにしたフィクション。でもよくある戦記物ではない。最も感心したのはマイローのM&M商会。敵とも取引何でも取引はありそうだが、みんなが一株ってのがスゴイ。誰も戦闘はしたくないが、出世はしたいしお金は欲しい。うーむ。イタリア人娼婦もいそうな感じだし、おじいさんも。ローマは亡びてもローマ人は永遠なり。catch-22とは、22条(架空)の落し穴、てことらしい。あれ?邦題はなんでイコールになったんだろ?荒唐無稽な話も確かにあるけど・・・これはComedyとは言わないと思う。
 
(192) 卑しい肉体(ウォー/新人物往来社):
ユーモア小説。2012年新訳で。恋人ニーナと結婚したいアダム君は大金を手にしたと思ったら気のせいだったり、ないことないこと社交欄に書く記者になって売れっ子と思いきや、逆鱗に触れて失職。ニーナにも振られてしまう。パーティーの毎日を送るセレブ?さんたちの日常。表題は聖書から。至高の神様に比べて、ダメな私たち人間、という意味合いらしい。ラストで戦争が始まって、戦地でニーナの手紙を読む。ロンドンは案外相変わらずらしい。大転落で出てきたレディ・メトロランドがちょい役で登場。南米に送る娘を調達している。
 
(193) スクープ(ウォー/白水社):
2015年新訳で読んだ。素直にユーモア小説。同姓の別人と間違われてアフリカの紛争地?の海外特派員に任命されてしまうウィリアム。上司やデスクは勿論、特派員仲間は輪をかけた嘘つき。正直に「なにもありません」と報告するウィリアムは解雇寸前になるが、同僚がガセネタで首都を離れた時、初めての恋人(人妻)や同窓生の現地役人のコネで偶然本物の特ダネをつかむ。夫の帰国で恋人を失って失意の帰国するが、周りは大歓声。爵位進呈という段になって、今更人違いが判明。なんとか誤魔化そうとした上司は田舎に戻ったウィリアムを説得しようとやってくるが、散々な目に遭い説得を断念。しかし結局、調子のいい伯父が受け取りに来て・・・結果オーライ??ジャーナリズムに対する痛烈な批判。イギリスのアフリカ統治や政治、パーティーピーポーについても荒唐無稽な記述で、でもそうだろうなーと思わせる。
 
(194) 一握の塵(ウォー/彩流社):
うっかり浮気にはまるブレンダ。息子のジョンが事故死したのに、恋人のジョンかと一瞬勘違いして自分の恋心に気づく。でも相手は本気ではなく。言うなりに離婚に応じるために偽装不倫までする人のいいトニィ。傷心を慰めに出掛けたアマゾン冒険で未開地に取り越される・・・可哀そうすぎ。ユーモア小説でも救いがなさすぎだ。「もう一つの結末」は安心だけど、面白くはないかもなぁ。
 
(195) 銀河帝国攻防史<1>(アシモフ/ハヤカワ文庫):
再読。やっと読めた。ファウンデーション。そうそうこんな話だった。知識を後退させないために百科事典を作る科学財団ファウンデーション。科学者育成のためのエリートを集めて宗教者として育てる。宗教でその他大勢を指導。ところが宗教だけでは破綻がやってきて、科学技術で世界を支配。ところがそれも行き詰まって今度はマネーの時代。古い小説にしては現在を予言できているような。こんな話が頭にあるから陰謀論が出て来るのかもなー。このシリーズは、学生時代に仲良くなった友達がアシモフが好きだというので全巻読んで感想を話したら、そうじゃなくて黒後家蜘蛛の会=推理小説のファンだった。早く言ってよ(涙)。
 
(196) 異星の客(ハインライン/創元推理文庫):
ハインラインは「夏への扉」だと思ってたんだけど。半分くらい読んでもそう思ってたんだけど、読み終わってみるとこっちの方が好き。火星人により火星文化の中で育てられた地球人マイク。地球に里帰りしてみるとわからないことだらけ。宗教も恋愛も死生観も金銭も全然理解できない。でも猛勉強=学習により人間社会を学んでいき、ついには地球を救う宗教家=救世主になる!何が「正しい」「自然な」ことなのか。火星まで行かなくても、文化(時代・土地)によって異なる。どっちがイイとか進んでるとかいうことじゃないよね。批判なところも、笑えるファンタジーなところもあって秀逸。ただし色っぽい記述がかなりあり、青少年の読書感想文には向かないな。
 
(197) シャイニング(S・キング/新潮文庫):
読むのは初めてだけど映画は見た。映画の方が理不尽で怖かった。原作は救いがあるし、それを予感させる。ま、ホラー映画好きは救いなんて要らないのだろうけど。雪に閉じ込められるリゾートホテルで一冬の管理人となる一家。でもそこは呪われたホテルで、パパは徐々にホテルに心を乗っ取られてしまう。大筋では映画と同じなのだが、ダニーはホテルに立ち向かうし、シャイニング能力者達がそれを支える。最後に善は勝つのだ!とはいえ、子供時代の家庭環境を親になって繰り返すという先入観は如何なものか。キングは一般論としてそう書いてるわけではないけどさ。突然血糊があふれた映画はとんでもなく怖かったが、キューブリック監督だったのね。ホラー映画としてはあれで良いのだと思う。どうなるかわからなくて最後まで怖かったし、見終わってからも怖かったもの。でもAJは救いのある原作の方が全然好き―。
 
(198) ホビットの冒険(トールキン/岩波少年文庫):
さっぱり忘れてたけど、これ子供の頃に読んだと思う。指輪物語の前のエピソード。指輪物語ほど壮大ではなく2巻で終わって子供向け。悪いやつは単純に悪いのだが、いいやつは単純ではなく、ダメだったりズルかったり逡巡もする。今一つなのはたぶん長さの割に仲間が多すぎるのではないか。ドワーフ13人もいて名前が似過ぎだし描き分けられてない。5人程度にならんのか。指輪物語の方がいろんな人種(?)もいてRPG向けだよね。読んで損はないがどちらかというとやっぱり子供向けかな。
 
(199) 魔の山(マン/新潮文庫):
やっと読めた既読その2。でも設定位しか覚えてない。前は途中で挫折したかも。今回は何とか、でも斜め読み。これ読んでマンって苦手だと思ったんだよなー。肺病やみの従兄弟に会いに3週間の予定でスイスのサナトリウムに遊びに来たハンス。ところが来る途中から発熱、入院の羽目に。真面目な従兄弟は真面目に治療に取り組んでもちっともよくならないので業を煮やして帰郷、希望通りに軍隊に入る。遊びに来た筈のハンスは、アンタは退院してもいいよと言われても憧れのロシア夫人が気になって居残り。そして僅かな入隊生活後にすっかり悪化して帰ってきた従兄弟は死んでしまい、憧れのロシア夫人はマラリアのオランダ人偉丈夫を連れて帰ってくる。いろんな病人仲間とのダラダラした生活を7年続けた挙句、大戦勃発で退院を余儀なくされ戦地に駆り出されるハンス。終わりはデミアンみたいなあっけなさ。病院とサナトリウムは全然違うけど、長期入院生活を送った身(1か月足らずだけど)には、この雰囲気ちょっとわかる。これもAJの苦手な成長小説というやつか?あまり成長してないし、まともな恋もしてないが、しかしいろんな意味で先生は多いな。ま、とにかく長すぎて読みにくいよ!フランス語部分をカタカナで書くのはやめて欲しい。全然雰囲気が出ない。イタリア語はそのまま+訳を付けてるのに。オリジナルのドイツではフランス語でも読者に意味はわかる(単語は割と似てるから)だろうけど、英語版はどうしてるんだろ。あ、イタリックで書いたのか。それで日本語ではカタカナにしてるんだな。新訳ならたぶん異なるフォントにするよね。愛を語るためにわざわざフランス語で会話してるのに、カタカナは興ざめだもん。ちなみに英題はThe Magic Mountain。なんか「魔の山」感なくない?TDLの乗り物みたいじゃない?
 
(200) 勇気の赤い勲章(クレイン/光文社古典文庫):収載済

2020年8月26日

(パート)ショソン

「家庭でできる和洋菓子」の項目名は「パートショソン」なのだが、その名前のお菓子は検索しても出てこない。
でも似たようなお菓子が出て来る。「ショソン・オ・ポム」という名前のアップルパイ、というかペストリー。概ねこんな感じ。

ショソン chausson とは何か?フランス語でスリッパのことだとGoogle先生は言うし、wikiにも書いてある。「形がスリッパに似ている」というのだが、「家庭でできる和洋菓子」の写真もwikiに載っているのも、半円形でスリッパにはあまり見えない。同じ半円形で も、直径に対して上写真くらいの厚みがあると、スリッパの先っぽに見えなくもない。
だいたいフランス人のお菓子名は、お茶目というか少し無理があるものが多い。シュークリーム(chou à la crème)がキャベツに見えるなら、これもスリッパに見えるかも。

もっと鋭角で、スリッパの先端ぽい形のものもある。写真はメゾン・ド・カイザーのもの。「ショソン」という名前に引きずられて半円から鋭角に変わっていったのではないか。画像検索するとこのタイプの方が半円形よりも多いかも。

「ショソン」についてはとりあえずよしとしよう。しかしもう一つの「パート」はどこに行ったのか?

「パートショソン」で検索して出て来ていたのは、実は、「ショソン・オ・ポム」と「パートフィユテ」の組み合わせなのだった。Google先生が勝手に単語を分割していたのだ。「ショソン・オ・ポム」は前述のとおり、リンゴのスリッパ(の形のお菓子)。「パートフィユテ」とはパイ生地のこと。

ということは、「パートショソン」=「ショソン生地」ってことなのか?
「家庭でできる和洋菓子」では、使用生地はあくまで「パイ生地」であって「ショソン生地」について書くつもりはなかったようだ。でも、お菓子の名前を尋ねた時に、生地の名前を答えられたのを間違って採用した可能性はある。

ダメ元でフランス語検索してみたら、大量のショソン・オ・ポムに混じって、「ショソン生地」らしいものが出て来た!モノは冷凍パイ生地 Pâte à Chaussons 。たぶん予め円形(楕円形?)にくり抜いてあるんだと思う。
日本のショソンは圧倒的にリンゴなんだけど、ショソンはリンゴに限らない。ミートパイのようなお惣菜系も多い。「家庭でできる和洋菓子」には『中央にジャム、クリーム、季節によっては栗のにたもの、果物を煮たものなどをのせて半分に折ります。』と書いてあり、リンゴに限定していない。
「ショソン・オ・何とか(中身による)」をいろいろ見て、中身に依存しない総称を尋ねたら「ショソン生地」と返事が来ちゃったのかも。結論としては「パート」は要らなかったと思う。

ちなみにGoogle先生は、英語の"chausson aux pommes"を翻訳すると、「ショーソンオポンメ」と答え、原語はフランス語だよ、と教えてくれる。ところが表示された「原語」のボタンを押して=フランス語の"chausson aux pommes"を翻訳すると、なんと「アップルの売上高」と答える!
フランス語からいったん英語にして更に日本語に翻訳するからこんな謎の翻訳になっちゃうんだろうね。お利巧なAIとしては、「リンゴのスリッパ」の使用頻度は十分に少ないので、リンゴの売上高→アップル社の売上高だな!と推測するのだろうが、余計なお世話なんだよっ。

2020年8月22日

光文社古典新訳シリーズ(25)

祝250タイトル読破!刊行スピードに追い付いてきたので、来月からは新シリーズを並行予定です!

(241) あなたと原爆(ジョージ・オーウェル):ちくま文庫の「動物農場」の解説で、丸谷さんが褒めていたという「象を撃つ」読みたいと思ってたんだ。光文社古典新訳で読めて幸せ。
評論集だけどエッセイに近いものも多い。社会評論も読む価値あると思ったけど、個人的に好きなのは「おいしい一杯の紅茶」。イギリス人ぽい!紅茶が飲みたくなりました。ポットをお湯ではなくレンジで温める、って電子レンジじゃないよね?オーブンレンジってこと?それは面倒なんですけど。

(242) 勇気の赤い勲章(スティーヴン・クレイン):南北戦争の数日間を一兵士の立場で。ドキュメンタリーに感じるが事実を元にしたフィクション。これまでの戦況どころか、目の前の事態すらわからない。負けたと思ったら勝ってたりなんかして。勝ったと思ったら撤退するように言われたり。こんな感じなんだろうな、としみじみ思う。反対する母を振り切って参戦を志願した割には、初戦で負けたと思い込んで敵前逃亡してしまったヘンリー。事情を知らない仲間は傷(=勇気の赤い勲章)を負って行方不明になっていたと誤解する。二回目以降は蛮勇をふるって踏みとどまるけど、なんだかやけっぱちか狂気。兵士なんて一つの駒。なんで戦争はやめられないのか。

(243) とはずがたり(後深草院二条):源氏物語が現実にはやっぱり無理、的な話。疾走よりも迷走の感じ。時代は鎌倉中期。作者が実在したのか、フィクションなのかも不明だそうだが、私の気持ちがどこにあるのかわからない感じが逆に事実っぽい。初めての女性の娘二条を4歳から手元に置いて愛人とし、光源氏を気取る後深草院。でもガードが足りずに二条は他の男とも通じてしまう。心変わりなのか何なのか、自分でも不明。美人で歌も上手く家格も高いのに、両親が死んでしまうと良きパトロンに恵まれない。宮廷を追い出され、出家して歌をめぐる聖地巡礼うろうろ。年をとっても美人で歌も上手いからそこそこ生きていけるけど、でも都に戻りたい。でも戻るとイケてない自分が許せない。せめて歌で後世に残りたいと思ってこの本を書いた、ってのは確かにありそうな話だ。華やかなりしころに元寇があった筈だが全く記載なし。ま、個人的にそれどころじゃなかったことは確かだが。こぞって泥酔と色恋模様に明け暮れる模様が、事実はこんなだろうなと思える。南北朝の起源はこの兄弟なのか。大変ドラマチックだが大河小説には無理だな。歴史を描けてないもの(笑)。

(244) オイディプス王(ソポクレス):やっぱり光文社古典新訳は解説がいいよね!「詩学」ではイマイチわからなかった「タ・タンとタン・タ」(長短)の説明も詳しく書いてある。日本語はギリシャ語じゃないけど、畳みかけるお芝居の感じは想像できる。有名な物語だからいろいろな解釈があること、ソポクレスの創作部分もあること、とか、やっぱり読むなら光文社古典だよ。

(245) 賭博者(ドストエフスキー):ギャンブル中毒あるある。ルーレットがロシア人のためにあるかどうかは自信ないが、解説にあるお金について、ロシア=蕩尽/フランス=収奪/イギリス=分配でドイツ=蓄積ってのは、各国の美術館・博物館を彷彿とさせてさもありなん。おばあちゃんの遺産をあてにした家族はいつ死ぬかとドイツの賭博場付高級リゾートから何度も電報を送るが、なんと当のおばあちゃんが乗り込んでくる!そして初めてのルーレットで初日は大儲けするが、当然のように翌日から負け始めてみんな大慌て。やめさせようとするがなかなかやめない。みんな遺産を当てにしやがって、私のお金なんだからね!と賭け続けるおばあちゃん。一家の家庭教師のアレクセイは賭けるお金もないからそこそこでやめられていたのに、愛しのお嬢様を借金から救おうとギャンブルに賭けて、いきなり大金持ちに。ところがお金で私を買おうって言うのね!とふられた腹いせにお金目当てのフランス女といい仲になってパリに繰り出しご蕩尽。これで懲りたかと思いきやすっかり生来のギャンブラーになる。イギリス人投資家(ていうか金貸し)から、お嬢様は本当は君が好きだったんだけど・・・もう君は賭博者だよねとダメ出しされ、貰ったお金で明日お嬢様に会いに行こう、でも今夜はこのお金でギャンブルだ!あるある。

(246) 三酔人経綸問答(中江兆民):理想論の紳士君と強硬論の豪傑君と南海先生の3人の酔っぱらいが天下国家を論じる。1/3が解説で1/3が原文。原文+註解でも読めると思うが、そうすると当時のこととして読んでしまいがちかも。新訳の方が確かに今でも通じる一般論として読める。書いてあることは同じなんだけど。理想論でも強硬論でもうまくないのはわかるけど、どうすればいいかはわからない。世襲の君主よりも選挙で選ぶ方が選択肢があるけど、それでも戦争はなくなる気配ない。戦争を望むのは結局国民の総意(ていうか気分)なんだと思う。なんでそうなってしまうのか。そこから抜けられないのか、謎。三酔人の議論を茶化すタイトルを付ける兆民は、ごまかしだけど正直でもある。正解なんてないのだ。それでも、問いから逃げてはいけない。

(247) ロビン・フッドの愉快な冒険(ハワード・パイル):岩波少年文庫収載なので、子供の頃に読んでいる筈なのだが。全く記憶なし。AJ好みではないから忘れたのかも。ロビン・フッドはバラッドで語り継がれていたもので、それを近代になって子供向け?に出版したものだそうだ。概ね水滸伝だが、結末は水滸伝程は寂しくない。それなりには寂しい。子供向けだからか色っぽい系の話は皆無。ていうかマリアン登場すらしない。荒っぽいし大酒飲みで信心深くもないが、王様には忠実。女っ気のない話で、子供でもAJには興味ない話だよなー。ヘンリー2世とかリチャード獅子心王とかイギリスの子供なら理解できるが、日本の子供では素通りしたしさ。今ならカドフェルの次の時代だってわかるし、リチャード獅子心王に連れられたら結局どこに行ったかも推測できるんだけど。オリジナル挿絵付。絵に添えられた英語が古い。出版は19世紀末ってことはわざと古風にしてるのか?大人だから興味深く読める話ではある。

(248) ラ・ボエーム(アンリ・ミュルジェール):オペラ「ラ・ボエーム」原作。原題は「ボヘミアン的生活」だそうで。若き芸術家たちのハチャメチャな青春グラフィティ。今読むと芸術家はみんな男性ばかりという点が引っ掛かるが、でもおバカ男子な雰囲気は女子が入ると崩れるのかもだしなー(笑)。オペラとは筋が微妙に違うそうです。付録二の大使ギュスターヴ・コリーヌ閣下が楽しくて好き。

(249) カルメン/タマンゴ(メリメ):カルメンはスペイン行った時に予習復習で読んだ。セビリアっぽく見えないのは同じ。でも、ジプシーはカルメンで、ホセはバスク人だからセビリアは単なる背景ともいうか。蛇足の4章付。黒人奴隷船を描いた「タマンゴ」の方が面白いな。タマンゴは売る側の黒人だが、酔っぱらって起こったついでに売り払った妻を取り返しに奴隷船に乗り込んで捉えられてしまう。妻と周りをうまく巻きこんで白人(フランス人)を殲滅して自由の身に!でも操船がわからず遭難する羽目に。ありそう。

(250) アラバスターの壺/女王の瞳(ルゴーネス):ボルヘスの師による幻想短編集。南米よりエジプトとかのエキゾチシズム。でもダークサイドミステリー的な科学っぽい記述が却ってエセ感を煽って逆効果のような。素直に怖いだけの「ヒキガエル」とかが好きだな。

2020年8月7日

Guardian’s 1000 (19)

梅雨は明けたが今度は暑さが続いてやっぱり外に出たくない。自粛依頼もあるしね。というわけで、読書は相変わらずさくさく続く今日この頃。

(181) 評決のとき(ジョン・グリシャム/新潮文庫):
グリシャムはいくつか読んでるんだけどベスト千に入った2冊はどちらも初読。これは処女作だけどなかなか売れなかったそうで。面白いとは思うけど、裁判以外でも人が死に過ぎだと思うし、最終的に無罪なるのもちょっと・・・ま、アメリカらしいとも言うんだけど。AJのおススメはやっぱり「依頼人」だな。

(182) 甘い薬害(ジョン・グリシャム/アカデミー出版):
原題King of TortsのTortsは法律用語で不法行為という意味なんだけど、邦題はどこから来たんだろ?tortがtart(タルト)に似てるのか?意図不明。
集団訴訟のデメリットが良くわかる。甘ちゃん弁護士がその道のプロに見込まれ薬害集団訴訟を手掛けて一躍時の人+大金持ちになるが、すぐに転落。得た全てを失うが、恋人は戻ってくるし初心も少し取り返せてグリシャムらしい結末。でもなんでこれかなー、もっと他にも作品あるのに。

(183) ミザリー(S・キング/文春文庫):
S・キングは私にとって「怖い映画の原作者」。私は怖い映画は苦手で見ないのだが、テレビでうっかり見始めたら怖い番組だったということがままある。大抵は気づいた時点でチャンネルを変えるのだが、怖いとわかっても気になって途中で止められないのがS・キング原作のスリラー。映画ミザリーは見てないが、これもうっかり見たらやめられなそう。読書もノンストップで最後まで読んでしまいました。怖かった・・・。自動車事故で大怪我をした作家ポールを助けてくれたのが熱烈なファンのアニー。ところが救急車を呼ぶでもなく、監禁されて終わらせた筈の自作の話を書く羽目になり、熱烈なだけじゃなく何人も人を殺しているとわかってきて・・・怖い。どうなるの?どうするの?どうしよう。最後は軟着陸。キングっていつもそうのような気がする。しかし一番ええっ!と思ったのは、スティーヴン・キングをStephenと綴ること。これでスティーヴンと読めるのか?不思議。

(184) ドロレス・クレイボーン(S・キング/文春文庫):
こちらは怖くなかった。普通の犯罪小説。ろくでなしの夫を持ったドロレスは、日蝕の日に殺害に成功。疑われつつも無理もないよねと事故死で決着する。それから何十年もたち、殺意を知っていた勤め先の奥様ヴェラを殺害した容疑がかけられる。前は殺したけど今度は違うよ!と洗いざらいを告白するドロレス。ヴェラの方はわからないけど、ろくでなしを家族が殺してしまい、でも事故死で済んでしまうケースって案外あるんだろうな、って気がする。

(185) 血と暴力の国(コ―マック・マッカーシー/扶桑社):
暗い。偶然大金をネコババした小悪人のモスは、殺人鬼のシュガー(砂糖ではない)に追われる羽目になる。追う保安官のベルにも実は背負う過去がある。しかしシュガーが極悪非道すぎ。ほとんどスプラッタ状態で救いも何も。スカッとするところもない。唯一笑えたのは、訳者あとがきで、描かれた時代(1980年)にポケットに入る携帯電話はまだないんだけど、質問しても作者から返事来ないのでこのまま訳しました、と書いてあったこと。そうそう、なんだかずっと前からあった気がしてしまうよねーと思った。

(186) エデンの東(スタインベック/ハヤカワepi文庫):
ジェームス・ディーンの映画で有名。読むのは初めて。ディーンの役どころ(キャル)はこんな感じだったのだが、こんな人いたっけ??と思ったのが中国人のリー。解説読んだらやっぱり映画にはいなかった。こんなに魅力的なキャラクターを削除するなんてひどい話だよ。大雑把な筋はカインとアベル。確かにオリジナル(聖書)は何を言いたいのか不明だが、こういう兄弟はあるだろうと思える。解説にもあるけど、悪女のキャシーが今一つ薄っぺらいのが残念だ。人格障害はありうる話だが、それで終わらせるのもどうか。改心しなくていいけど、もう少し逡巡はあってもいいのではなかったか。

(187) ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹(ジェフリー・ユージェニデス/ハヤカワepi文庫):
僕らの憧れ美しい5人姉妹。末っ子が自殺してから1年後に残り4人も心中。理由は不明。恋或いは愛が原因かもしれないけど、そうとも言えない。少し怪談気味。State of the Nationではないかもだけど中部アメリカっぽい。Loveではない気がする。原題はThe Virgin Suicidesで素直なのに邦題はヘビトンボに注目しすぎかなぁ。これはこれで不気味な要素なんだけど。

(188) ザ・ロード(コ―マック・マッカーシー/ハヤカワepi文庫):
荒廃した世界を南へとさすらう父子。襲ってくるのはゾンビや野犬ではなく、同じくさすらう人々。絶望のサバイバル。現実世界もある意味でこうだったりするけど、明日という夢や希望があるかどうかで全然違うよな。それでも善き人は火を運ばなくてはならない。うむ。最後に小さく救いがあるのがAJ好み。

(189) すべての美しい馬(コ―マック・マッカーシー/ハヤカワepi文庫):
16歳のジョン・グレイディは親友と共に愛馬と共にメキシコへ。途中で良馬を連れた別の少年と道連れになるが、雷を恐れて馬も何もなくしてしまう。次の街で馬を見つけた少年を置いて旅を続け、馬牧場に就職。力量を認められお嬢さんと恋仲になって順風満帆と思いきや、恋がバレて馬を取り返そうとした殺人犯の連れとして警察にチクられ刑務所行き。殺人犯は処刑されてしまうが、ジョン・グレイディと親友は結局釈放される。親友はこの時点でアメリカに帰るが、ジョン・グレイディは元の職場へ。彼女の祖母が絶縁を条件に助けてくれたことを知る。絶縁しないもん!と駆け落ちをせまるがお嬢さんは応じない。自棄のヤンパチ、警察署長を人質に自分達の馬を取り戻し、アメリカに帰る。帰っても自分の居場所はなく、どうしようかなーと終わる。現代版ハックルベリー・フィンの冒険、と後書きに書いてある。そうか、私はビルディングス・ロマンってやつに興味ないんだな。それでこのジャンルは点が辛いのかも。

(190) ブラッド・メリディアン--或いは西部の夕陽の赤(コ―マック・マッカーシー/ハヤカワepi文庫):
19世紀半ば、グラントン大尉のインディアン討伐軍に参加してメキシコに向かう少年。実話ベースのフィクション。相変わらず暗いしスプラッタすぎる。曲者のホールデン判事が魅力的で怖い。最後まで生き残り楽しく生きているらしい判事。人間は遊ぶために生きる、は頷けるが、賭けるものが大きい遊戯程魅力的->一番大きいものを賭けるのが戦争だから、戦争は必然って。そうかも、と思わせるところが怖すぎる。討伐隊はインディアンを殺して頭皮を剥ぐ。頭皮の数だけお上から懸賞金をもらえるから。女子供はもちろん、友好的なインディアンも殺しちゃうし、肌の色がいているメキシコ人も殺しちゃうし、ついでに懸賞金対象外の人も殺したりひどい目に合わせたり。結局英雄は追われる立場になる。そりゃそうだ。スプラッタ過ぎてAJの好みではないのだが、アメリカ(メキシコも)こんなことしてたのか、と言う勉強として、読んだ方がいいかなとも思う。

2020年8月5日

エクリヤ

現在の一般的日本語では「エクレア」ですね。音的にもエクレアの方が近い気がするけど、先頭にアクセントを置きやすくする意味では、エクリヤもありかも。

近所で確実に手に入るってことで、コージーコーナーで買った。
「家庭でできる和洋菓子」には、『普通エクリヤといえば、チョコレートホンザンをつけます』と書いてある。コージーコーナーには、基本のチョコレート(手前)の他に、モカ(奥)とイチゴ味クリームの三種類を売っていました
ここまではなんの悩みもないのだが、問題はこの先。
『お家でつくる場合には、エクリヤプラリネになさるのがよいでしょう。これは、砂糖に水を少し加えて火にかけ、煮つめてにがくならない程度のキャラメルソースをつくり、クリームを入れたエクリヤの上にぬり、ピーナッツかくるみの刻んだものをふりかけます』
チョコレートを溶かすだけなら難しくないけど、フォンダンにしてしかもキレイに塗りつけるのは簡単じゃない。それに比べれば、カラメルを上からたらーりと被せる方が簡単で家庭向きな気がする。だけどさ、これってどこが「プラリネ」?

一般的にも「プラリネ」が意味するものは複数ある。
第一は、アーモンドの砂糖掛け(キャラメリゼ)。アーモンドに限らずナッツ全般でいいらしい。しかしキャラメリゼしたからって何でもプラリネと呼ぶわけじゃない。それを知らずに、カラメル掛け=プラリネ、と誤解したのだろうか。
第二は第一の派生形で、砕いたアーモンド(等のナッツ)をキャラメリゼしたもの。ケーキの断面にツブツブがついていることがあるけど、あれのことだね。砂糖掛けの前提が先にあって、砕いたやつもプラリネと呼ばれるわけだけど、そこを知らずにナッツの砕いたやつ=プラリネ、と誤解したのだろうか。

ちなみに「プラリネ」には更に派生形があって、第二プラリネをすり潰してペースト状にしたもの、そのペーストを中身にしたチョコレートボンボン、中身がナッツと関係なくても小型のチョコレート全般をプラリネ、と呼んでしまうこともある。
このいい加減さを鑑みると、カラメル掛けピーナッツ乗せエクレアが「エクリヤプラリネ」でもいっか、と言う気もするな。

ちなみに「エクレア プラリネ」で検索してみると圧倒的にDEMELのエクレアが上がってくる。これは中に「プラリネクリーム」を入れたチョコフォンダンのエクレアだそうで。察するに「プラリネクリーム」とは、第三プラリネ(第二プラリネのペースト)をホイップクリームに混ぜたナッツ味のクリームらしい。第二プラリネ(ツブツブ)もクリームの上に乗っているようだが、エクレア上にトッピングはされていない。「家庭でできる和洋菓子」のプラリネエクリヤとは似てないが、美味しそうだなぁ・・・

2020年7月28日

マーブルケーキ

ココアを流してマーブル模様を作るマーブルケーキ。

AJの認識ではパウンドケーキの一種なのだが、「家庭でできる和洋菓子」ではパウンドケーキとは微妙にレシピが違い、パウンドケーキにはなかったベーキングパウダーが入っている。口絵写真はパウンド型で焼いているけど、本文には「丸型なり角型なり、好みの焼き型」を使うと書いてある。画像検索してみると、日本語の「マーブルケーキ」では圧倒的にパウンド型だけど、"marble cake"だと他の型で焼いたものが結構出て来るので、どうもそういうものらしいです。

昔やってみたことがあるんだけど、マーブル模様がいまいち上手く作れなかった。混ざらなくて単に沈んでるだけの所と、混ぜすぎて薄茶色になっちゃった所があって。マーブルは早々に諦めました。写真はメリーチョコレートで買って来た。

COVID19関連用語:ロックダウン

新型コロナ関連用語ではあるけど、これは明らかに医療用語ではないなー。まいいか。

ロックダウンは「都市封鎖」と訳語が付く場合が多いけど、"lock"だけで「封鎖」な意味は伝わる。何が"down"なのか。
"lock out"だと外に締め出された/中に入れない感じが強いので、伝染を防ぐために「外に出さない」が主目的の今回のケースでは該当しないんだろう。しっかり鍵を締めるよ!って雰囲気は、"lock up"でも伝わると思うんだけど、鍵を締められて不満というか不便というか、あー!締められちゃったー!!な感じが"down"なんだろうか。「シャットダウン」も、やられた感が漂うもんな。

海外(特に中国)では都市封鎖だったけど、日本の緊急事態宣言は単なる「自粛」なので、アレはロックダウンとは呼べないと思う。でも"down"な感じはあったな。"Stay home"みたいな何だかほんわかした言葉ではなく、"Freeze!!"みたいな動くな!感のある言葉を使いたいところだ(笑)。

2020年7月22日

COVID19関連用語:オーバーシュート

春先にはよく使われていたのに最近はサッパリ聞かなくなった「オーバーシュート」。なんか違和感があったんだけど、やっぱり変ていうことになったのかな?いいけど。

今見たらWikiも出来ている。「感染症の爆発的患者急増」を意味する。「オーバーシュートしそうだ」「オーバーシュートしている」って感じで使われていた。カタカナにする必要を感じなくて、「爆発的急増」で十分だと思ってもいたんだけど、それ以前に。

オーバーシュート=シュートがオーバーする=狙っていた所を行き過ぎてしまう、という意味の筈。「爆発的」でないとしても、そもそも患者の増加を「狙って」いるわけじゃないよね、ゼロに出来るならそれに越したことはない。なんか違和感のある単語、と思っていたのだ。

先のWikiには「疫学用語」として「集団免疫を獲得するのに十分な感染を超過した感染を言う」という定義も載っている。例えば、集団免疫獲得で流行を防ごうと、人口の7割感染を狙ったのに、7割以上感染しちゃったよ!な状態。この使い方なら「オーバーシュート」で納得なんだけど。

そして「爆発的急増」は、どうも英語的には「アウトブレイク」を使うのが普通らしい。一般的和訳は「勃発」。突然壊れて出てきちゃったー!な語感でこれもわかりやすい単語だと思う。

なんで「オーバーシュート」を「爆発的急増」の意味で使ったんだろ?そして無言で使わなくなったんだろ。いいけど。

2020年7月14日

光文社古典新訳シリーズ (24)

♪雨が降る降る、あーめが降るー♪読書がさくさく進みます。

(231) 二十六人の男と一人の女(ゴーリキー):短編4つ。ゴーリキーは相変わらず暗い。みんなのアイドルが炎上する表題作は喜劇な部分もある。正義漢「グービン」はせつない。泥棒の「チェルカッシ」の懊悩もせつない。同情と恋愛がごっちゃになるタチアーナの「女」はさらに切ない。コサックは差別される側だと思ってたけど、どこでも貧乏人には冷たいのね。そういうもんだろうなと思う。

(232) 奪われた家/天国の扉(コルタサル):うっすら怖い幻想短編集。元踊り子のお嫁さん「天国への扉」はアルゼンチンあるあるではないかな、普通に怪談。「奪われた家」は何に奪われたのかなんであっさり諦めるのかわからないのがうっすら怖い。同じく敵意の真相がわからないままの「バス」もありそうで怖い。うさぎを吐き出す「パリへ発った夫人宛の手紙」は気味が悪い。一番怖いと思ったのは「遥かな女」で、ブダペストが効いてる。そう来るのかと思ったけど、やっぱりキター!な怖さ。「偏頭痛」は症状の名前が薬品名で不思議、偏頭痛もちならあるあるかもしれない。「キルケ」のゴキブリ入りボンボンはやだー!「動物寓話集」は動物が怖いのが得意なんだな・・と思った。

(233) ソヴィエト旅行記(ジッド):希望を胸にソ連に行ってみたら現実は理想と違ってガッカリ、な旅行記。現代ではそりゃそうだろと思うのだが、当時は外向けに美化されていた以上に、理想的であって欲しいと思う欲目が強かったからなぁ。歓待してもらったのにこんなこと書いていいかなぁ、でも書かなきゃダメだよなぁ、とジッドでも逡巡はするんだ。今だと概ね北朝鮮だけど、案外日本でもこういうところあるなと思ったりする。自分の眼で見て自分の頭で考える。

(234) 千霊一霊物語(アレクサンドル・デュマ):千夜一夜物語というより日本の百物語。集まった人たちが次々に怪談を語る。時代背景があるところがヨーロッパぽいよね、なんで日本では「昔々あるところに」になっちゃうんだろう?

(235) 大尉の娘(プーシキン):M025再読。「みずみずしい新訳」で岩波文庫とだいぶ印象が違う!内容は同じなんだけど(当たり前)。これテレビドラマ向きだと思う。

(236) パイドン -魂について(プラトン):ソクラテス処刑の日。魂は不滅だから自分が死んでも悲しむことない、と強気のソクラテス。肉体が亡びたらみんななくなってしまうと嘆く友人達を言い負かす。結局魂って何かってことよね。魂と肉体に分けるのなら、不滅なものが魂だと私も思う。じゃあ魂って何なのか?まぁ、あると考えた方が納得しやすいじゃん、ってレベルではあるな(苦笑)

(237) テアイテトス(プラトン):若い天才数学家テアイテトス及びその師のテオドロスと、プロタゴラス(ソフィスト)の知識論について対話するソクラテス。そもそもソフィストの言い分(相対論)を理解してないので、論駁されたところで、あーそういうことだったのか、と右往左往。当時は大事だったのだろうけどねぇ。ソフィストの言い分を、あれもこれも論破して、「知識とはあれでもこれでもないもの」と言っていきなり終わる。全くソクラテスなんだからさ。「知っている」と「わかる」は現在日本語では当然のように別物なのも混乱するところ。これは「知識」というより「理解」とは何か、だな。その昔、新しい技術用語についてほぼ何でも「それは知ってます」と応える後輩がいて、内心それ知ってる内に入んないよ、気軽に知ってると言うなよ、とイライラしたのを思い出した(笑)。

(238) ペーター・カーメンツィント(ヘッセ):ヘッセ25歳のデビュー作!には見えません!!上手い!車輪の下よりデミアンよりこれが好きだー。アルプスの少年ペーターは都会に出て文学青年となり、いろいろあったけど故郷に戻りました。ハイジのような山の生活ではないけど、アルプスの麓に暮らすってこういうことね、と思える。時に厳しい、でもやっぱり帰りたくなる故郷が魅力的かつ具体的に描かれていて、ハイジよりぐっとスイスっぽい。ペーターの不器用な女性遍歴も好ましい。半分位は自伝らしいけど、結局予言にもなっている所も秀逸。ま、女性関係については当たってないんだけど。

(239) チャンドス卿の手紙/アンドレアス(ホーフマンスタール):若き天才の作だそうで。救いのない結末でAJ好みではないな。ベネチアが舞台のアンドレアスは割と好き。夢の国ベネチアの雰囲気が出ている。あとはなんだか・・救いがないんだもの。

(240) ドルジェル伯の舞踏会(ラディゲ):素直な青年貴族フランソワは、好人物だけど軽薄なドルジェル伯と可愛い奥様マオに出会う。ドルジェル伯に惹かれているような、奥様に惹かれているような。マオの方でも、亭主のお気に入りだからフランソワがお気に入りだと思っているが、無意識にフランソワに恋しているかも。伯爵も無意識にそれに気づいてか、今更夫人に恋着してみたり。なんとなく幸せにつるんでいた三人がバカンスで出来た距離で恋心に気づく。まだ恋愛まで行ってないのに貞淑な妻であろうと、フランソワのママに恋心を打ち明け、恋を諦めようとするマオ。ところが片思いだと思いこんでいたフランソワは逆に大喜びで、ママはキューピッドにされたとおかんむり。味方を失って困ったマオはとうとう伯爵に打ち明けるが、軽薄な夫は大丈夫だよとばかり、「さあ、マオ、眠りなさい」。で、いきなり終わる。えーっ、ここで終わるのー!!クレーヴの奥方を下敷きにしているのだそうだ。それぞれが恋に恋している様子がきちんと描けていて、こっちの方が面白いぞ。終わり方の唐突さも秀逸。20歳でこれはやっぱり早熟な天才。ラディゲの遺作で、今までの訳はコクトー含む友人による改作になっているが、新訳はラディゲの最終校正版を元にしているのだそうだ。

2020年7月11日

アポストロフィ

だいぶ前、Guardian’s 1000リストをテキストコピペでxlsシートに貼った時に、アポストロフィが変だと思ったのだった。自分でタイプすると「'」になるのに、コピペしたのは「’」になる。
・・・このフォントではわかりにくいかもなんだけどさ、MSフォントの見え方に近いGeorgiaフォントにしてみると「’」と「'」。とにかく見た目が結構違うのよ。自分では「’」の方は打てなかったので、外字の類なんだろうと思い込んでわざわざ「'」に直したのだった。

ところが。たまたま調べもので迷い込んだwikiに、現在では「'」(U+0027)ではなく、「’」(U+2019)が推奨されていると書いてあるではないの!びっくり!!
推奨に従いたいけどいちいちコピペで変更するのは大変だ、と思ったら、日本語入力にすれば入力できるとのこと。えーっ半角英数なのに日本語入力にして打つんだ、裏技過ぎる気がする。

修正してもしなくてもわかんないんじゃない?と思いながらちまちまと変更。
そういえばブログのタイトルにも、アポストロフィが入ってるんだった。直してみたらこのフォントは結構違う。全体にこっちの方が視認性がいいね。タイプライター時代にはU+0027しかなかったけど、今は見やすいU+2019を使いましょう、と言うことなのだろうと思う。
しかし、記号の名前としてはU+0027が「アポストロフィ」で、U+2019は「シングル引用符の右」。どっちにすべきかわかりにくいんですけど。そんな細かいこと気にするなよ、ってことよね。ぶつぶつ。

2020年7月7日

Guardian’s 1000 (18)

図書館は開いてるし、連日の雨もあってお出掛けも少ないので、さくさく読書が進んでいます。
今回は早川書房が多め。ハヤカワepi文庫は当たりが多いので、光文社古典が一段落したら全点読破を目指してもいいなと思っている所。

(171) 権力と栄光(グレアム・グリーン/早川書房):
「権力と栄光」って政治とかビジネスとかの感じだけど、主題は宗教。神の力とご威光ということらしい。メキシコ独裁政権下の宗教弾圧を描いたもの。メキシコにこんな時代があったのね、意外。逃げない自分はエライと勘違いして、でも堕落していく司祭。逃亡の果てに臨終の懺悔に出掛けて捕まってしまう。宗教って何?信仰って何?と強く問いかける。映画「逃亡者たち」の原作だけど、映画は全然違うことになっているのだそうだ。

(172) 西欧人の眼に(コンラッド/岩波書店):
天涯孤独のロシア人青年は、巻き込まれたくない一心で自分を頼ってきたテロ犯の友人を密告。でもテロ犯が処刑されても、テロ仲間と危惧する/崇拝する両陣営から逃れられない。当局からスパイとしてジュネーヴに送り込まれ、何とかなりそうに思うけど、結局全てを告白する羽目に。風変わりな題名は、たまたま知り合った第三者な英国人が日記を託されて書いたから。出版は1911年で早い。1920年(ロシア革命後)につけた作者覚え書き冒頭で「状況がすっかり変わってしまったために、この『西欧人の眼に』が、過去の出来事を取り扱う一種の歴史小説になってしまった面のあること」と著者は書いている。共産党独裁のソ連となってしまった後では、既に過去の話なんだろうね。でも、「一般市民」でいたいだけなのに、、ていう主題は今でも有効ではあるな。当時ほど切実ではないにしても。犯罪を扱ってはいるが、CrimeよりState of the nation枠かも。

(173) わたしの名は赤(オルハン・パムク/ハヤカワepi文庫):
16世紀末のイスタンブールを舞台に宮廷細密画家が相次いで殺される。登場人物が章ごとに主人公となって語る(人物だけではなく、細密画に描かれた動物や静物、顔料まで語りだす。不思議な題名「私の名は赤」はここから)のだけど、最終章まで犯人の名前がわからない。推理小説として良いかどうかは別にして、当時の様子が良く描けていると思うし、現代に通じる問題提起にもなっているし、何より読んでて面白い。オスマントルコに関する知識がゼロだと読みにくいかもだけど、AJは行ったことのある場所がたくさん出てきて嬉しかった。旅行前後に予習復習したけど、思えばトルコ人が書いたものは読んでない。文化的にはペルシャの影響が大きいのね。地理的に当たり前のことだけど、欧州との関連でばかり捉えてたなーと反省。

(174) 青い眼が欲しい(トニ・モリスン/ハヤカワepi文庫):
青い眼が欲しいと願う黒人の少女。不幸が連鎖していく。「美しい」って難しい。黒人差別は今でもあるけど、黒人の中でも「黒人とニガーは違う」って意識があってそこにも差別があったりするんだな。こっちの解決も難しい。でもまずは単純な黒人差別を撤廃するところからだ。少なくとも差別は良くないことだという認識がまだ足りてないもんな。冒頭のDickとJaneは教科書に出て来るものって解説があって親切。通常文→句読点抜き→平仮名句読点抜きで並んでいる。日本語だと案外読めてしまうが、英単語がブランク抜きで並んでたら読めない気がする。ネイティブは読めるんだろうか。

(175) ソロモンの歌(トニ・モリスン/ハヤカワepi文庫):
黒人医師の祖父と実業家の父を持つおぼっちゃんなミルクマン。父と母の相克、父と叔母の苦労と行き違い。ルーツを辿ることで人生に向き合えるのかと思いきやそんなことはなくて、微妙に暗い結末。同じ数で平衡する必要があるというギターの理論が雑だが純粋。やっぱり未来が決まり過ぎな社会って希望がなくてよくないよね。

(176) ビラヴド(トニ・モリスン/ハヤカワepi文庫):
こういうのファンタジーって言う?幽霊は出て来るけど。殺された幼女の幽霊は怖いけど哀しい。誰でも「愛されるもの」でありたい、それだけなのに。親切な白人主人に仕える黒人奴隷の幸せ。それって幸せなのか?差別を完全になくすのは難しいことだけど、少なくともこれはダメってのをしっかり決めて、少しずつでもダメなものはダメとやっていくしかないんだろうな。他人の幸せをやっかむ気持ち、そんな自分を恥ずかしく思う気持ち。歌声が案外世界を変えたりする。いろいろ考える。BLMの今だから読むべき話だと思う。なんでファンタジー枠なんだろ、ぶつぶつ。

(177) 木のぼり男爵(イタロ・カルヴィーノ/晶文社):
意地を張って木に登ったまま地上に降りずに過ごすコジモ。設定はファンタジーだが描かれている内容は大人向き。ネオレアリズモと言うのだそうだ。本に夢中になって捕まってしまう泥棒の話と、樹上に追放(匿われる?)放浪貴族の話が印象的。あとファムファタルなヴィオーラちゃんも。内容も趣向も面白いとは思うが、「見えない都市」の方が全然好きだな。

(178) 蠅の王(ウィリアム・ゴールディング/ハヤカワepi文庫):
15少年漂流記救いがない版。おおよその筋は映画化で知ってたけど、何が蠅の王なのかなと思ってた。ベルゼブルが蠅の王なのね。子供に限らず人間ってそんなだとは思うが、肉に拘り過ぎだろ、魚を釣ることを考えようよ。全くイギリス人なんだからよ。

(179) 時計じかけのオレンジ(アントニー・バージェス/ハヤカワepi文庫):
不良少年のアレックスは友達と悪行三昧。調子に乗って殺人を犯して刑務所に入れられ、性格矯正の実験台になる。不本意のまま暴力に生理的恐怖を覚えるようになって退所したものの、両親の元には知らない男がいるし、大事なステレオは賠償のために売り払われているし、安食堂ではかつて被害者だった老人が無抵抗のアレックスを袋叩きにする。警察が来て助かったと思いきや、警官はかつての友達とライバルで更なる袋叩き。もう死にたいと彷徨の末にたどり着いたのはかつての被害者の家。しかし先方は気づかず親切にしてくれるし、政府の実験に憤り訴えるべきだという。隠れ家に連れていかれて一安心と思いきや、クラシックを大音響で聞かされて恐怖の発作で窓から飛び降りて自殺。のつもりが救助され、政府の病院でまた治療を受け、暴力的な性格に逆戻り。クラシックを聴いても素直に感動できて、まるっきりなおったのだ。とキューブリックの映画は終わるのだが、この後アレックスは新しい友達と悪さをしにいく途中で気が変わり、すっかり善人になった悪友に遭遇。自分ももう大人になる時期なんだな、結婚でもしよう!と終わる。確かに映画にこの章は要らないね。ハッピーエンド好きのAJだが取って付けた感じする。でも作者は元の木阿弥で終わるのはイヤだったのだそうだ。スラング(造語)だらけの文章は面白くないとは言わないが・・・映画見る方が良さそう。

(180) 昏き目の暗殺者(マーガレット・アトウッド/ハヤカワepi文庫):
これってファンタジーなの?Crime扱いかと思った。老女の現状と回想、名前がわからない男女の情事、その中で男が語るSF的物語の三層構造で語られる。表題の「昏き目の暗殺者」は、直接的にはSF的物語の登場人物なのだが。伏線は、あからさまではないまでも目につくレベルで張られており、ははん、それってこういうことかと推測できる。そういう意味でも当人だけがblindなのだ。推測は出来ても読ませます。読んでて面白い。「昏き目」って翻訳も上手いな。

2020年7月5日

クリームホーン

海外で見たことのあるクリームホーン。たぶんアメリカだった気がするんだけど、定かではありません。海外にいる時ってだいたい食事だけでいっぱいになってしまい、おやつまで手が回らないのだ。

日本ではありそうでないよなーと思っていたのに、先日高島屋のグマイナーで見つけた!ドイツ語風の名前が付いていたけど、クリームホーンだ!とばかりに買って来た。私が行った時にはカスタードしかなかったけれど、チョコクリーム版もあるらしい。
ちゃんとコルネ形(角笛形)。大きさも概ねチョココロネ位。 AJが海外で見たのはもっと小ぶりだった気がするんだけど、たまたまだったのかも。或いは案外記憶違いかもしれない。

「家庭でできる和洋菓子」では白黒写真だったので気が付かなかったけど、よく読むと『クリームは生クリームに砂糖を入れて固く泡立てたものが一番おいしいでしょう』と書いてある。ホイップクリームだったのか・・・カスタードクリームの方が美味しい気がするのに。少なくともグマイナーのカスタードクリームは優しい甘さで美味しいです。

さて、グマイナーのドイツ語商品名は、調べてみたら「シラーロッケン」だった。この名前で検索するとほぼグマイナーばかりが出て来る。オリジナルな名前なのかな?シラーって詩人のシラー?シラーが好きだったとか?
wikiを読んでみたけどそんなこと書いてない。ダメ元でドイツ語版wikiをあてずっぽうに検索したら、なんとあった(ドイツ語)!シラーの頁にあったのと同じ肖像画がクリームホーンの写真と並んでる!!ドイツ語はハードル高いので英語リンクをたどって読んでみた。
オーストリアの菓子パンで、中身はホイップクリーム。SchillerlockeのSchillerは詩人のシラーで、lockeはカール。肖像画のシラーの巻き髪に似てるから付けられたらしい。確かにパイをくっつけたみたいな妙な髪型だ(笑)。ちなみに最後のnは複数形で、単数だと「シラーロッケ」。
グマイナー様、この名前で出すなら是非ホイップクリーム版でお願いしますです。

2020年7月3日

ブラウニース

現在の一般的日本語では「ス」は付かないけど、「家庭でできる和洋菓子」には何故か複数形で載っているブラウニー。ま、一度にたくさん出来ちゃうから、sが付いても間違いではないと思うが。

天板をそのまま型にして作るお手軽さに、「茶色いの」と商売っ気のない名前で、ホームメード感が漂う。その割には、濃厚チョコレート味でおやつというよりはデザート。でもフォークで食べるのが前提のケーキではなく、とはいえレストランでホイップクリームとフォークを添えて出てきても違和感がない。カップケーキではこうはいかないな。

いろんなタイプのブラウニーがあり、どれが正解ってことでもないのだが、AJの考えるブラウニーはこんな。濃厚チョコレート味でしっとりねっとり、でもケーキの弾力があり、胡桃とピーカンナッツが入っていること。ちなみに写真はメゾンカイザーのもので少しお上品なサイズ。ブラウニーってケーキ屋でも売っているけど、パン屋っていうかデリのイメージなんだよな。その辺も立ち位置が中途半端な感じ。

Wikiによると、シカゴにあったホテルのシェフが『お弁当箱から気軽に出して食べられるようなデザート』として作ったのだそうだ。なるほど!ランチボックスの中のデザートだったから、お洒落な名前を付けてもらえなかったのね。でもランチボックスに入ってたちょっぴりデザートの甘さが忘れられず、あの「茶色いの」を復元しよう!と思った人たちが多かったのだろうな。

アメリカン・デザートは激甘でちょっと、な物が多いけど、ブラウニーは好き。激甘いことに変わりはないけど。

2020年6月28日

ゼリーケーキ

「カステラの上に、生クリームやバタクリームでデコレーションをする代りに、果物をゼリーでよせたものが、きれいにのっている見事なケーキです」と「家庭でできる和洋菓子」には書いてある。

確かに昔そういうケーキを見た覚えはあるんだけど、最近はサッパリ見掛けない。
ところが先日アンテノールでゼリーが乗っている夏のケーキ「デザート・フリュイ」を見つけました。やったー!とお財布を握りしめたのだが、製品説明をよく読んでみるとゼリーがババロアの上に乗っていると書いてある。ううう、惜しい・・・
ババロアでもいいかとも思ったんだけど、ゼリーを作って出来合いのスポンジの上に乗せるだけにすれば自分でも出来るんじゃない?と考え直してお財布はバッグにしまったのだった。

ところがさー、そんなに簡単じゃなかった。とりあえずできた写真はこんな。
本来は、スポンジケーキを焼いた型を使ってゼリーを作り上に乗せるんだけど、AJは出来合いのスポンジケーキを使うので、ゼリーとスポンジの両方を底なしのパンケーキ型で抜いて重ねることにしたのだ。
が、どっちも上手く抜けなくて端っこがボロボロに(泣)。そしてゼリーは透明感を見せるために果物が沈んでいる側を下にして重ねるべきなのに、ついいつもの癖でフルーツが並んでいる下側を上にひっくり返して乗せてしまい・・これじゃぁ、果物を並べて上からジャムを塗って照りを出しているだけに見えるよう(大泣)。手間がかかる割には見た目通りの味で面白くもなんともない。やっぱりアンテノールのババロアケーキにしておけばよかった。ぶつぶつ。

2020年6月27日

COVID19関連用語:ソーシャル・ディスタンス


感染対策として、他の人との距離は2mもしくは1m以上を推奨、というソーシャル・ディスタンス。概念として新しいので、カタカナのままで構わないと思うし、外国に行った/外国から来た人向けに使う場合にも、カタカナの方が使いやすくていい。私が気になるのは訳語の「社会的距離」の方。「社会的な」距離って意味わからなくない?
この言葉におけるsocialはソシアル・ダンスのsocial、つまり「社交的距離」 が日本語としてはわかりやすいと思うんだけど。

WHOはsocial distanceをphysical distanceと言い換えて使うようにしているそうだ。「社会」と翻訳されたことで、そんな差別っぽい意味合いじゃなくてー!と言い換えてたりなんかして(笑)。
「物理的距離」では逆に一般用語過ぎるので、新しい概念には新しい言葉social distanceの方が受け入れやすい気がする。でも「社会的」はなんだかなー。まぁ実体がわかっていれば単語はどうでもいいことではあるんだけどさ。ぶつぶつ。

2020年6月24日

COVID19関連用語:クラスター

COVID19関連用語として初めてこの言葉を報道で聞いた時、ずいぶん無責任な使い方だな、と思った。

先日、金田一秀穂先生が、カタカナのままにしないでちゃんと訳語を作った方がいいんだけど、そんな時間がないんだろうね、と言ってた。AJ自身はカタカナ語を使うこと自体は問題視してない。下手な訳語よりもカタカナのままの方が上手く伝わることもあるからね。特に専門系用語の場合。
でも今回の「クラスター」に関しては、「集団」で十分ではないかと思う。専門家会議が使う分には「クラスター」でも構わないけど、国民に知らしめる立場である政治家は言葉を吟味して使うべきだ。クラスターって何ですか?と先生に聞いて、これは「集団」じゃダメだなと思ったら、その理由も含めて新語をお披露目しないと。だいたいアンタは国民に伝えようって気持がないよね、と怒りながらテレビを見ていた。

閑話休題。clusterとは何か。
一言で言うと「集まり」。独立したものが集まっている感じ。ブドウの房が用例になっている。
一番覚えやすい例はたぶん「クラスター爆弾」だと思う。複数の爆弾をまとめて1個にしたもの。東京大空襲で使われたのもこの類で、ひとまとめの容器に入った爆弾が、落ちる途中でバラバラになって広い範囲に被害をもたらす。今回の用例に近い感じするよね。

AJ自身がこの言葉に最初に向き合ったのは、エンジニア時代にディスク構成用語としてでした。
wikiを読んでみる。クラスタとはディスク上の単位で、複数セクタをまとめたものである。ファイルシステムはセクタ単位ではなく、クラスタ単位で割り当てることで管理を省力化している。えーとつまりさ、物理単位であるセクタに、クラスタという論理単位をかぶせるわけだよ。そうすることで上位アプリは意識しなくてもディスクを二重化したり、物理的に分散させたりできるわけだ。
そのうちにディスクに限らず、「サーバクラスター」とか「クラスターシステム」とかも使うようになった。個々のサーバやら何やらを意識せずに使えるようにする。災害時の業務継続対策として流行ったな。意味合いはディスクの時と一緒。

「データ・クラスタリング」「クラスタリング解析」といったビッグデータ用語もあったな。
たくさんのデータを「クラスタ」にまとめるんだけど、似たような用語として「グループ化」「セグメント化」があるんだよ。今Googleしてみると同じ意味だと言っているサイトも多いけど、微妙に違うのよ。
うまく言えないけど、「セグメンテーション」はきっちり線を引いて分ける感じ。「グルーピング」だとラベルを付ける感じ。そして「クラスタリング」だととりあえず分けてみた感じ。予めちゃんと意図があるわけでもなく、こんな感じで分けるとどうかな?的なのが「クラスタリング」なのであり、「考えないでとりあえず分けてみる」のが新しかったのだ。

さて、COVID19用語として、「集団」がgroupやpartyではなくclusterなのは恐らく、飲酒だかクルーズ旅行だか夜の街だか実際には何らか目的を持って集まったとしても、感染という観点においては「たまたまその場所にいた」集団だからだと思うのね。
或いは、ここにいた感染者がこっちに行って更に感染者を増やして、って相関図を描いてみた時に、それがブドウの房に見えたからclusterにしたのかな?でも元々clusterの用例として人の集まりって用例があるしな。たぶん前者で正しい筈。
集まることに意味があるわけではなく、たまたま集まっている感じ。クラスター爆弾も、複数まとめて強力にしたのをそのまま使うわけじゃなく、最終的にはバラバラにするんだけど、最初はたまたま塊にしてるの、って感じなのかな。

「クラスター対策」はまぁいいとして、「クラスターが発生」については使い方として明らかに間違っていると思う。そこはせめて「クラスター感染が発生」って言ってよ。ほんとは「集団感染が発生」で十分だと思うんだけどなー。

2020年6月19日

カップケーキ

カップケーキと言われて現在の私の頭に浮かぶのは、アイシングやクリームでこてこてに飾られたアメリカンカップケーキ。TVドラマで脚光を浴びて一時期は東京でも流行っていましたが、もうブームは去ったみたいで、元祖のマグノリアベーカリーもとっくに撤退した後なのだった。右写真はチャプチーノのもの。日本製らしい一口サイズです。

現在カップケーキというと、こんなデコデコのが多いんだけど、「家庭でできる和洋菓子」のはシンプルにレーズンが入っただけのもの。昔はそうだったよね。このタイプをお店で買うのは難しいので自粛期間中に作ってみた。ていうか、そもそもカップケーキって家で作るもので、お店で買ったり食べたりするものではなかったような気がする。

有り合わせのパネトーネの型を使ったので、カップケーキぽく見えないかもしれないけど、こんな感じ。

さて問題は、先日取り上げたマフィンとどこが違うのか?
少なくとも見た目じゃ全然わからない。
「和洋菓子」で使う材料は両方ほぼ同じで、粉・砂糖・玉子・バタ・湯又は牛乳・ベーキングパウダー・レーズン。マフィンのレシピはレーズンは入ってないけど、レーズンを入れても美味しいと書いてある。
分量も、粉・砂糖・玉子・バタはほぼ同じで、牛乳とベーキングパウダーがマフィンの方が多い→カップケーキの方が気持ちずっしりめ。でも一般的にはマフィンの方がずっしりみっちりな印象が強い。

web上でも取り上げられているけど、違いは「マフィンはパン」で「カップケーキはお菓子」。
菓子パンという言葉もあるように区別はつかないんだけど、パンであるマフィンには塩が入っていて、チーズとか甘くない(実態は甘いけど食事っぽい味もする)バリエが存在する。カップケーキの方はあくまでスイーツで、デコデコなバリエが存在する。バリエの方は見分けが付くんだけど、シンプルなやつは見分けがつかない。っていうか同じもの(笑)。

和洋菓子のレシピで言えば、塩が材料に入るのがマフィンで、入らないのがカップケーキと言えるのだが、一般的にそう言える自信はないなー。
ま、違いは気持ちの問題ってことで(笑)。

2020年6月12日

COVID19用接触確認アプリ

感染防止の目的で使用が推奨されるらしい接触確認アプリ。
電話番号他の個人情報は取らないので、セキュリティ上安心です!って言うけどさ、知らない端末と常時通信するってだけで十分怖いんですけど。
アプリ自体が安全なのは当然として、そもそもブルートゥースを開けっ放しにするところが既に怖いの。悪意のあるユーザーはどこにでもいるし、セキュリティーホールのない仕組みなんてないし。

ブルートゥースは今回の目的にうってつけのデバイスなのは認めるが・・・不特定多数とのP2Pをスマホで実践するのは怖すぎるように思う。使用しなさい!って強制されたらどうしよう。

って、スマホ持っていない私が強制されるわけないんだった(笑)。

2020年6月9日

光文社古典新訳シリーズ(23)

こちらもCOVID19のせいで棚上げになっていたのだった。出版は進んでいるのでとっとと追いつかなくちゃ。今回はGuardian’sとの重複が半分を占めています。

(221) 詩学(アリストテレス):先日読んだ「薔薇の名前」でキーワードになっていた詩学。詩についての本で、喜劇や笑い?と思ってたけど、詩じゃなくて、古代ギリシャ劇(悲劇と叙事詩)についての本だったのね。総合芸術としての劇。要は芸術論だったのだ。古代ギリシャでは、韻律が大事だったんだって。脚韻ではなく、強弱(英語)でも音の数(日本語)でもなく、タ・タンとタン・タ・・・ってわかったようなわからないような。

(222) 今こそ希望を(サルトル×レヴィ):老いたサルトルが若いコミュニストのレヴィと会話。雑誌のための対談だけど、どうみても自己批判を迫られているサルトル。バシッと断言する天才サルトルではないところが逆にカッコイイです。お友達がみんな掲載に反対したのよくわかる。そして、バシッとではないながらも、20世紀末に絶望しながらも、やっぱり希望だと言う所がいいなぁ。年寄りには年寄りのカッコよさがあるね。2020年の今こそ希望を!

(223) リヴァイアサン(ホッブズ): 1巻目の後書きによると、昔は民主主義の元祖として習ったけど、今は中学校ではスルーされているらしい。確かに民主主義の萌芽というより王政復古待望論に見えるもんな(笑)。出版はクロムウェルの共和制成立時、ルソーの民約論より100年も前。合議制(貴族制)も民主制も否定はしてないが、王政と並べた書き方になっている。必要なのは「主権」であり、それがない状態では「万人の万人に対する戦い」になってしまうと。例として各国入り乱れて開拓中のアメリカが挙げられている。デモを否定してたり、今見ると反共和制にしか見えないんだけど、教会の政治介入否定や、何より「主権」が必要なんだ!=王権を倒すだけじゃダメ、と定義したことで、結果的に民主主義の元祖になったんだろうね。混乱するので読まなくていいと思う(笑)

(224) 宝石/遺産 モーパッサン傑作選(モーパッサン):同じ短編集なら「脂肪の塊」の方が好きかな。でも模造品と思っていた妻の宝石が本物だったという「宝石」はラストが微妙なハッピーエンドで好き。「遺産」はありそうな話でちょっと。他の短編も結末が見えてあまり感心はしない。つまらないとまでは言わないけどさ。

(225) 死刑囚最後の日(ユゴー):死刑(特にギロチン)反対を主張するための創作。確かに死刑で犯罪が抑止されるとは思えないし悪趣味だよな、ギロチンは特に。死刑囚が何の犯罪を起こした(と思われている)のかが描かれていないので、ドラマとしてはどうなの?と思うが、死刑廃止論としては個々の事情に触れたくないのだろうね。まだ死刑がある日本でこそ読まれるべきなのかもだけど、読んでも死刑廃止に傾くとは思えないな。ギロチン廃止にはなっても。

(226) サイラス・マーナー(エリオット):Guardian’s1000で済。

(227) シェリ(コレット):Guardian’s1000で済。

(228) シークレット・エージェント(コンラッド):Guardian’s1000で済。

(229) われら(ザミャーチン):Guardian’s1000で済。

(230) 白痴(ドストエフスキー):Guardian’s1000で済。

2020年6月2日

Guardian’s 1000 (17)

図書館の再開を受けて大急ぎで読書も再開。いつまた自粛モードに入るかわからないので、リクエストも多めにしとかなくちゃ。ぶつぶつ。
今回からカテゴリーを気にせず、10冊ずつアップしていきます。

(161) シェリ(コレット/光文社古典新訳):
友達の息子と恋愛関係になってしまう元高級娼婦のアラフィフ美魔女レア。「危険なふたり」はシェリが若い女と結婚することで崩壊する。崩壊は必然だし、シェリの執着や迷いはよくある話なんだけど、思い切るレアがカッコイイ。強がりじゃなくて場数なんだよね。そして実話ベースなのがスゴイ。実際には友達の息子ではなく、義理の息子!さすが美魔女・・・

(162) LAコンフィデンシャル(ジェイムズ・エルロイ/文春文庫):
LA市警を舞台とした推理小説。犯人は何となくわかってしまうのだが、そういう背景だったか。敵味方入り乱れるのがスリリング。恋模様?もアメリカぽく映画化されて当然の作品。続き気になる―。

前に読んだブライトン・ロックが面白かったので、グレアム・グリーンを固め読み。なんで今まで読んでなかったんだろう?読みやすくて面白いのに。

(163) 拳銃売ります(グレアム・グリーン/早川書房):
犯罪小説。兎唇(って差別用語なのか!)のレイブンは子供のころから誰も信じられず冷酷な殺人者への道を歩んできた。が、自分を友達だと言ってくれる女性に出会い、迷いながらも信じたのに、彼女は刑事の恋人だった・・・レイブンに同情心を感じながらも結局、恋人との結婚話に幸福感に浸るアン。救いのない結末だけど、こんなだよなぁ。映画化したくなる気持ちわかるなぁ。

(164) 恐怖省(グレアム・グリーン/早川書房):
犯罪小説というより不条理なんだけど、あり得る感じが怖い。第二次世界大戦中のロンドン。親ナチス派の暗躍?殺人犯とフツーの人は見わけが付くのか。フツーの人に潜む狂気っていうか。戦時中って明らかに非常時なんだが、日常と非常時の境なんてない。他人事じゃなく読みたい。

(165) 第三の男(グレアム・グリーン/早川書房):
映画で有名だが、もともと映画のために書かれたのだそうだ。映画一応見たんだけど、音楽しか思い出せない。粗悪ペニシリンを密売していた友人とうっかり詐欺師となった作家。しかしウイーンってこんな状態だったのか。占領下だからの状況ってあるよね。と書いている間もチターの旋律が頭を離れない。

(166) 情事の終わり(グレアム・グリーン/新潮文庫):
これも映画化されたな。知人の妻と不倫。熱愛は過ぎたが終わったような終わってないような。次の恋愛疑惑を持ちながら再開して微妙に再燃するも彼女は突然病に倒れてしまい、残された夫と彼女を偲ぶことに。恋の終わりってこんなことあるよな。でもそれだけじゃないのは、宗教の存在。神を信じるかどうか、そしてカソリックなのかどうか。結婚とは、葬儀とは、どうあるべきなのかが宗派で違う。日本人にはピンと来なくても、欧米人には大事なことなんだろうね。

(167) ハバナの男(グレアム・グリーン/早川書房):
ハバナ在住の英国人が諜報活動を無理やり気味に依頼されて、テキトーなレポートを書いて報酬を受け取る。掃除機をスケッチするのが秀逸。結末はセーフな感じだけど、被害者も出てるしComedyカテゴリでいいのか少し疑問。案外こういうフェイクなレポートってあるんだろうな。広告料欲しさにフェイクニュースを作るのもこの延長線上よね。騙される方も問題あるけど、笑ってていいのか。

(168) 叔母との旅(グレアム・グリーン/早川書房):
銀行を退職した面白みのない僕が、母の葬式にやってきた叔母に振り回される。突拍子もない話にうっそーと思いつつも案外本当だったりして仰天。ロマンチックで破天荒なオーガスタ叔母さん素敵。ラスト、黒人の元恋人は死ななくてもいいと思うが、概ねユーモア小説で読んで楽しい。

(169) 大転落(イーヴリン・ウォー/岩波文庫):
ウォーの初作品だそうな。素直にユーモア小説。牧師を目指す真面目な一青年ペニーフェザー君は、お貴族様クラブの悪戯に巻き込まれ、無実の素行不良で放校処分。教師として田舎の学校に就職するも、周りは変わったやつばかり。教え子とその母親に目を付けられ結婚寸前まで行くも、彼女の代わりに出掛けた港で奴隷貿易の罪で逮捕され服役。刑務所では案外心静かな生活を楽しむが、結局「死んだ」ことになって同姓同名の別人として最初の牧師学校に逆戻り。原題のFall and Declineはローマ帝国衰亡史をもじったものだそうで。「大転落」はどうかと思うけど、フツーの善人がお貴族様のご都合で転落してしまうってことかな。でも最後に戻れるし、ポール君に変わりがないのがAJ好み。身分の隔絶がイギリスっぽい。

(170) われら(ザミャーチン/光文社古典新訳):
1984的なディストピア小説。スゴイのはスターリン独裁前のソ連で書かれたということ(出版はさすがに無理だったらしい)。その割にソ連ぽい感じは薄く(「恩人」はいるけど「党」はいない)中世ヨーロッパを映してるようにも見える。でも個人名全くないのは新しいかも。科学万能なのもらしい。今でいうと北朝鮮ぽいかも。

2020年5月22日

マフィン

緊急事態宣言からずっと閉まっていたスタバが開いてる!ウチの近所のスタバでは、テイクアウトのみでの再開です。再開初日に応援のつもりでチョコバナナマフィンを買って来ました。

上に乗っているバナナチップが変な硬さでイマイチだったが、あった方がインスタ映えはするな。極甘でアメリカンな味です。

AJが初めてマフィンを食べたのはいつどこでだったんだろう?今ではスーパーの菓子パン売り場でも見掛けるけど、昔はそんなことなかった。マフィンを食べたのはいい加減大人になってからで、もしかしたらアメリカで食べたのが初マフィンだったかも。そうだとしても、マフィンってこんな形の甘いもの、ということは食べる以前から知っていたな、これ何?と思った記憶ないもの。どこで知ってたんだろう??映画?TVドラマ?PEANUTSなのかな?お菓子というよりパンのような、ドーナツに近い存在のもの。

と書いてハタと気が付いた!たぶんミスドだ。
どれどれ、と検索してみる。やっぱりね。1984年にメニューに登場しています。実際に食べてみたのか、店頭で見て味の想像がついたのか、覚えてないけど、ま、見た目通りの味なんだよ(笑)。

前置きが長くなった。

子供の頃には見掛けた覚えのないマフィンなんだけど、「家庭でできる和洋菓子」にはちゃんと登場している。材料は、粉・砂糖・玉子・バタ又はクリスコ・牛乳・塩・ベーキングパウダー。
「クリスコ」って何??と思ったが、検索してみたらショートニングの商品名だった。ショートニングはちゃんと「ショートニング」と記載されている場所もあるので、マフィンのレシピを担当した人(どこにも書いてないけど、 書きっぷりから複数人が書いていることは確か)は恐らく、クリスコがショートニングであると認識しておらず、他の人達はクリスコが何だか知らなかったんだろう(笑)。今はネット検索すればなんでもわかるけどさ。
少量とはいえ塩が入るのがパンっぽい。スタバのも極甘だけどたぶん塩入ってると思う。レシピには「マフィンはホットケーキのようにパン代りにするので」と書いてある。こんな甘いものをパン代わりにしなくても!と思うけど、特にアメリカの朝食はこの傾向強いんだよね。ドーナツもそうだし、ワッフルも。朝からマックグリドルなんだよなー。

ちなみにマフィンには「イングリッシュ・マフィン」という平たくて甘くない仲間もある。wikiによると平たい方が歴史が古くて18世紀の本には出て来る。甘いマフィンは米国発祥で19世紀にはあった。たぶん最初は同じものだったのが、どんどん甘く重たくなったんじゃないか。コーンミールで作られることもあると書いてあるから、当初は小麦粉がなくてコーンミールでボロボロねっとりうっすら甘めに出来てしまったパンを、後から小麦粉で再現してオリジナルとは違うことになったのかもしれないね。

2020年5月13日

ガリバルジ―

「家庭でできる和洋菓子」への投稿も久しぶりだな。
Guardian’s 1000で読書中の「恐怖省(G・グリーン)」にガリバルジーが登場して、あっそうそうこれ調べなくちゃと思い出したのだった。ちなみに登場シーンは以下のように、記憶喪失気味の主人公が、第二次世界大戦中の英国がイタリアと戦争中であることについてびっくりするくだり。

「イタリーが」思わず彼は大きな声を出した。 何ということだ、イタリーとは、彼の二人の独身の叔母が、毎年絵を描きにゆく所ではないか。それから、国立美術館にある、文芸復興期以前の絵のことも彼は覚えていた。それから、カポレトー(イタリーの村、一次大戦の時の古戦場)やガリバルジ―(イタリーの愛国者)。彼の名をとったビスケットもある。それから、旅行案内のトマス・クック社。
出典:「恐怖省」グレアム・グリーン全集9 訳:野崎 孝 ハヤカワ書房

和洋菓子に出ていたガリバルジ―はイタリアのお菓子だったのね、と読んだ時点では思った。でも調べてみたら違った。

和洋菓子の見出しは「ガリバルジ―(干しぶどうをはさんだもの)」となっている。載っている写真は東ハト オールレーズンに似てるし、卵やBPが入る材料もそれっぽい。検索してもそんな風に書いてある。
ってことで久しぶりに買ったオールレーズン。甘さは控えめで、パンみたいなやわらかさのあるビスケットです。
二つの名前から邪推できるのは、オリジナルは干し葡萄以外のものが入っていたのではないか、ということ。しかし、wikiのガリバルジ―には(曖昧検索の頁に項目だけ上がっている)、「レーズンを小麦粉の生地に挟んで焼いた、堅パンによく似たお菓子」とレーズン限定。英語版wikiには「Garibaldi biscuit」の項目もあって、こっちもレーズンだ。写真も堅パンぽいなー。でも項目内にはArnottのFull O’fruitも同じと書いてあるぞ。あれなら堅パンよりオールレーズンで大丈夫だな。
察するに、和洋菓子もオールレーズンもFull O’fruit経由でこのビスケットを知ったのではないか。それでいろんなフルーツが入るべきところだけど、これは干し葡萄だけなんだよね、な名前になったんじゃないかな。
ちなみに正確にいうと、オリジナルはsultana raisin(一般的なレーズン)ではなくcurrant raisinだそうな。干し葡萄には違いないけど。

材料の疑問は晴れた。次の疑問はなんでガリバルディ将軍がお菓子の名前になったのか。まぁお菓子の名前なんて割と適当に付けられるんだけどさ。
そもそもこのお菓子はイタリアのお菓子ではないのだ。イギリスのお菓子。ガリバルディ将軍の訪英を記念して作られたのが元祖であるらしい。wikiの記事を読んだだけなら、お菓子の考案者がたまたまイタリアに縁があったとか、ガリバルディ将軍の戦績に興味を持っていたとか思えるんだけど、冒頭のグリーンの小説を鑑みると、将軍の名は、社会情勢に特に興味のない子供にも知られていたとわかる。んー、イタリア国内ならわかるけどなんでイギリス?

ガリバルディ将軍はイタリア統一に功績のあった将軍だそうだ。wikiをよく読んでみる。が、イギリスが応援したくなる理由がやっぱりわからないなー。将軍は南仏出身だそうで、フランスはイタリア統一戦争に結構関わっていることがわかった。でもイギリスは影が薄いぞ。フランスが味方になったらイギリスは敵に回りそうなもんだよなぁ(笑)。イタリア統一の敵だったオーストリア帝国が嫌いだったのかなぁ?イタリア王朝がイギリス王家と血縁関係があるってこともなさそうだし。なんでなんだろ?統一王国仲間が増えたのが嬉しかったのかなあ??

謎は謎のままだが、ネットをさすらっている内に見覚えのある風景に出会った。それはミラノのスフォルツァ城を背景にしたガリバルディ将軍の銅像。ミラノ行った時に同じ構図で記念写真撮ったよ!あれってガリバルディ将軍だったのか。なんかご縁を感じるわ。

久しぶりに食べたオールレーズンにイタリアの面影・・は感じませんけどね。

2020年5月6日

こんにゃくゼリー(食品番号 : 15142)

ずんだ餅を見つけてから、番号がひとつ飛んでいることに気づいた。調べてみると、2016年追補でこんにゃくゼリーが追加されているのだった。スーパーで普通に売るようになってからもうずいぶん経つけど、流行後に廃れる場合があるから採用には時間差があるんだろうな。

 こんにゃくゼリーと言えば、マンナンライフの蒟蒻畑。でも今お店でよく見かけるのはオリヒロのチューブタイプなのよね。どうしようか迷った挙句に、マンナンライフのララ・クラッシュを購入(意味不明)。
写真ではわからないけど、蒟蒻が刻んだ形で入っていて、蒟蒻畑の喉詰まり事件を回避する改良品になっているのだった。久しぶりに食べたけどさっぱりして美味しい味。
食品成分表の定義は「異性化液糖、果汁等にこんにゃく粉(精粉)等を加えて製造したもので、ゼリーに比べて弾力と粘性に富むものである。市販品のぶどう味、リンゴ味、白桃味、パイナップル味、ピンクグレープフルーツ味、マンゴー味、トマト味等を試料とした」。なんか品揃えがオリヒロっぽいな。ま、いいか。

こんにゃくゼリーは、AJにとっては「お菓子」というより「健康食品」ですね。ダイエット食なイメージ。でも食品成分表では「菓子」の「デザート類」に属している。
「デザート類」に含まれる他のお菓子が、プリンやゼリー、ババロアなどいかにもデザートなのに比べて違和感があるんですけど。和生菓子・半生菓子の仲間に入れた方が良くないか?そう思うのはAJだけで食後デザートなのかなぁ。 確かに近所のヨーカドーでは、オリヒロは健食コーナーだけど、マンナンライフのはフルーチェとかと並んで売られているんだよなぁ。デザートなのかなぁ。

2020年5月4日

ずんだ、ずんだ餅(食品番号:15143, 15144)

食品成分表への投稿は2年ぶりだ!
緊急事態宣言のせいで読書メモが進まなくなったので、何か違うのでも書けないかしら。そういえば、食品成分表は2020年版が出る筈だったような、と検索してみたら、2018年追補でお菓子に追加が出ていた。それが「ずんだ」と「ずんだ餅」。

まずは定義から。「『ずんだ』は枝豆(未熟な大豆)をすりつぶして作る緑色のペーストである。ずんだという呼び方は、豆を打つ音(豆ん打)を表しているとの説もある。江戸時代には、餅などの和え衣として定着し、宮城県内では、郷土料理として古くから、お盆の時期等に『ずんだもち』として食されてきたが、近年では、各地で『スイーツ』等のフレーバーのひとつとして、和菓子に限らず洋菓子や料理にも用いられるようになってきている」。

なるほど。確かに今ではお土産じゃなくても近所の和菓子屋でも売ってるもんな。

というわけで近所の団子屋で、ずんだ団子を買って来ました。AJは嫌いではないが好きでもないようで、自分で買ったのはこれが初めてだったりする。でも枝豆って独特の美味しさがあっていいよね。
右はずんだのアップ。・・・意味不明な写真になっているけど。

そういえばアジアには豆のスイーツが多いけど、枝豆は見掛けない気がする。そもそも枝豆は食べないのかな?美味しいのにね。

2020年4月23日

新型コロナをめぐるイライラ (2)

可能性はあると思ってたのに同調圧力だけで8割減はやっぱり無理だったかー。自分さえ/自社さえ良ければ、という人は多いんだろうな。そっちの方がグローバルスタンダードではあるし。ぶつぶつ。

私自身は元々接触機会が少ないので8割減はなかなか厳しいのだが、工夫の末にたぶん8割ってとこまでやっていたのよ。どうやってたかというと、スーパーへ買い物に出る回数を増やすのだった。週に2回程度だったお買い物を平日5回に増やした。
増やしてどうすんだ!と言われそうだけど、1回のお買い上げ点数を2-3点に減らしたのだ。予めメモしたものだけを最短距離で回って買う。レジ列が5人以上の場合は回れ右して他の店へ。ウインドウショッピング好きの私には、最短距離買い物はとても辛いのだがガマンガマン。お買い物ついでの喫茶や外食も自粛することで、店内滞留時間を劇的に減らせて満足していたのに。

本日の都知事会見では3日に一度のお買い物にしろとのこと。えーっ。それってみんなの買い物点数が増えてレジ列が長くなる=滞留時間が増える気がするんですけど。明日はきっと皆さん朝から買いだめに走るだろうなぁ。

いつもなら「ちゃんと8割減出来てるもん!」と毎日買い物を続けるところだけど、今回は波に乗ると決めたので「3日に1回」に従うことにする。でも自分の感染予防のために、1回のお買い上げ点数は現状をキープするつもり。
どうするのかって?3日に1日以外はスーパーじゃない所(コンビニとか)で買えるものを買えばいいのよ。少し割高になるけど倍になるわけじゃないしさ。ぶつぶつ。

2020年4月14日

新型コロナを巡るイライラ

読書は順調に進んでいたのだが、緊急事態宣言を受けて図書館が完全閉鎖してしまったために頓挫。まぁ本が読めなくても他にすることはあるからいいんだけどさ。
体調も小康状態になったので、気候もいいからコロナさえいなければ元気よく旅行にでも出掛けるところなのに。ううう、COVID19のバカヤロー!

お友達のDさんから先日、AJには絶好の話題だろうに音無しですね、とメールを頂いた。
言いたいことはたくさんあるんだけど、所詮は部外者。怒りに任せて間違ったことを書いても悪いしなー、とか思っていたのだった。

でも最近、PCR検査の拡充を訴える声が大きくなっていて、それは違うんじゃないの、と言っておきたくなった。もちろん感染のスピードに間に合うような拡充は必要なんだけど、諸外国並みの数への拡大には反対。現時点で必要なのは医療崩壊への対応であって、PCR検査拡充がそれに寄与するとは思えない。むしろ逆に働くと思う。
そりゃ、十分なPCR検査と医療体制完備が両立できている国はありますよ、ドイツとかさ。でもPCR検査によって医療崩壊したり感染拡大している国の方が断然多いと思う。日本が3月まで感染を比較的抑えられていた(ように見えた)のは、検査を保健所経由にして必要最低限に抑えていたからでしょう。ま、熟慮の結果そうなったわけじゃなく、前例に従ったらそうなっただけなんだけど(笑)。
PCR検査でわかるのは、取った検体の中にウイルスがいるかどうか、だけ。病気の鑑別には役立つけどそれ以上ではない。今日は陰性でも明日は陽性になるかもしれない。陽性でも大多数の人が軽症で済むことを考えれば、検査は中等症以上優先にしてもいいかもしれないくらい。検査数を増やしたって、その後の医療体制が足りないんじゃ意味ないもの。今注力すべきはPCR検査じゃない。そのリソースを医療崩壊対策に使うべきでしょ。
感染数の把握と言う意味なら、抗体検査がお薦め。侵襲性が高いので定期健康診断とかに合わせて。ある程度大規模にデータを取る。今じゃなくて感染が落ち着いてきてから。とはいえ、抗体が出来てたら免疫になることが前提だけどさ。

緊急事態宣言の内容について、ロックダウンまで行くべきだと訴える人もいる。要請でしかなく取り締まれないことを危ぶむ声もある。でも、それもPCR検査同様、「諸外国がそうだから」と横並び感覚で言っているような気がする。
AJ個人的には、事態が収束するまでに長時間かかることが見込まれる今、現状の対策で医療崩壊しないレベルまで感染を抑えられたら、その方がいいと思っている。可能かどうかわかんないけど、日本でなら可能かもしれない。賭ける価値はあると思う。日本人は理知的だから・・ではなく、同調圧力が強いから(笑)。 基本的に同調圧力がキライな天邪鬼なAJですが、今回は乗ってもいいやと思っているのだ。むしろ煽っていきたい。

日本人の皆さん!
世界中(特に欧米)から「日本人ってスゴイ」と称賛されるチャンスですぜ!外出を控えて、3密を糾弾しよう!宴会や集会を開いている集団をやり玉にあげよう!テレワークに応じようとしない企業を訴えよう!この国難時に「いつもと同じ生活」を続けようとする連中を許すな!
今日明日の生活を案じて圧力に乗れない皆さん、この波に乗って少しでも早く収束を迎えた方が、結果的に景気も良くなると思うよ。だらだら感染が続く方がずっと悪影響を及ぼすんだよ。大変だ辛いようと声を上げるのは勿論いいけど、大変でも波には乗ることを強くお勧めします。
メディアの皆さんも、繁華街が閑散としていますなんて言わないで、だいぶ減っては来ましたが、まだ歩いている人がいますね、とか非難を込めて報道して欲しいな。
私たちはこんなに協力してるのに、協力しない非国民がいる!3密糾弾でストレス発散だー!!(笑)

2020年3月14日

Guardian’s 1000(16)

馴染みのない本が多く、ついつい後回しになっていたComedyカテゴリーをようやく収載。読んでみるとやっぱり、のれないものが多い。そもそもComedyってカテゴリーは英国以外では成立しないよな。日本だったらエッセイ(novelじゃないけど)を入れたくなるところだ。

(151) ブリジット・ジョーンズの日記(ヘレン・フィールディング/角川文庫):
映画にもなった。普通のワタシが何故かイケメンに思いを寄せられる話。結末も予定調和的。つまんないとは言わないが、よくある女性漫画みたいでベスト千にはもっと別の本がないのか、と思う・・・

(152) ボートの三人男(ジェローム/光文社古典新訳):
これは既読(収載済)。「ユーモア小説」の代表格。読んでいて楽しいし、これは好き。新訳も良く出来ています。

(153) フィネガンズ・ウェイク(ジェイムズ・ジョイス/河出書房):
三冊目のジョイスは柳瀬尚紀訳。すごく頑張って訳したことは評価するが・・・これはやっぱり翻訳不可能な読みものなんだろうと思う。たぶん原語で読んでも何言ってるかわかんないんだろう。これがComedyなのかどうか判断もできない。訳者には申し訳ないが、ちょっと読まなくていいと思う。

(154) イーストウィックの魔女たち(ジョン・アップダイク/新潮文庫):
これComedyなの?かなり怖いんですけど。本当に魔女(現代北米に生きる魔女)だという設定になっているが、そこを無視する(誤解や噂だとする)とありそうな話。映画は喜劇扱いだったのかなぁ?後味の良くない逃げ勝ちでAJの好みではない。

(155) 黒いいたずら(イーヴリン・ウォー/白水Uブックス):
これComedyなの?アフリカの小王国の内戦。それに群がる各国の商人軍人他。数の多い英国人内には派閥があって、でもフランスとはやっぱり仲悪かったりして(笑)。戦闘で/病で/処刑により、たくさんの人が死ぬ。喜劇的なところは確かにあるんだけど、全然笑えません。

(156) ご遺体(イーヴリン・ウォー/光文社古典新訳):
もうひとつの既読。ブラックではあるがComedyで納得。好きかと問われるとそうとは言えないけど。

P・G・ウッドハウスは6点がベスト千入り。うち今回は入手しやすかった4点を収載。P・G・ウッドハウスって美智子さまが時間が出来たら読みたいと言っていた作家。美智子さまってこういうの好きなのか。なるほどなぁ。安心して読めるユーモア小説ではある。
(157) サンキュー・ジーヴス(P・G・ウッドハウス/国書刊行会):
優秀な執事のジーヴスが辞職しちゃったー!でも新職場の近所に滞在することになり思い切り助けられている若きお貴族様バーティ―。最後は復職して良かった良かった。1冊読むなら結局これがお薦め。
(158) ウースター家の掟(P・G・ウッドハウス/国書刊行会):
みんなから好かれる、というより利用されまくりのバーティ―、女難の相の巻。
(159) ジーヴスと朝のよろこび(P・G・ウッドハウス/国書刊行会):
親友と大好きないとこが婚約に向けて頼りにするのはバーティ―。でもやっぱり利用されてるだけ。
(160) ブランディングス城は荒れ模様(P・G・ウッドハウス/国書刊行会):
これはジーヴスとは別のシリーズ。

2020年2月18日

Guardian’s 1000(15)

やれやれやっと150冊だよ。あと10冊で全カテゴリー網羅したら、その後はカテゴリーに関わらず10冊ずつのアップにしようかなと思っているところ。

今回はCrimeカテゴリーの3回目。既読2冊+初めて8冊。開始時点で既読が一番多かったのはこのカテゴリーでだいぶ再読したけど、推理小説は社会を映す分、今読むとなんだかな、な物が多いんだよね。当時は面白かったんだけど。初読でもそんな本が多い。

(141) 野獣死すべし(ニコラス・ブレイク/ハヤカワ文庫):
再読。息子を自動車事故で失った推理作家。偶然から犯人を見つけて復讐を図る。完全犯罪を狙っている、のだろうが、どこが完全なんだか?読者のミスリードは誘っても、警察ってそんなに深読みしないと思う。大藪春彦のハードボイルドとは別の本なのでご注意を。

(142) 殺人保険(ジェイムズ・M・ケイン/新潮文庫):
初読。加害者の視点で語る推理の余地がないパターン。人妻と浮気→なんとなく夫を殺すことになり、てところは郵便配達と似ているが、こちらは人妻が極悪人。冒頭から推察できるのでそこは悩まないんだけど、娘と娘の恋人/本人と娘の関係が変わっていく感じが秀逸。そういうことあるかもなー。保険勧誘員だから保険の狙い目がわかる!と思う加害者だが、それは本人に限ったことではなく、同僚にご明察されてしまうのだった。そりゃそうか。

(143) シークレット・エージェント(コンラッド/光文社古典新訳):
初読。「闇の奥」とはずいぶん違うタッチだけど、これも救いはない。秘密機関の題名通り諜報活動について。情報収集が主だったのに突然テロを言いつけられて困惑する主人公。うっかり転んだことで義弟が自爆してしまいターゲットの建物は無傷で無駄死に。そもそもうまくいってたとしても「意味のある」テロになったのか。担当者の思いつきでしかないかも。虚しさを抱える関係者一同。今の時代にも全然古くない物語なのだった。

(144) ジュラシック・パーク(マイクル・クライトン/ハヤカワ文庫):
映画は見たけど初読。映画は恐竜の見事さが話題になったけど、小説はそこは当然として描かれるので問題点がくっきりするね。現実はまだ恐竜を作るところまでは来ていないけど、技術的には既に十分できるところまで来ているし必要なお金も格段に少なくなった。自然というものは単純なものじゃないけど、フラクタルていう視点では複雑な訳じゃない。結局「自然の再現」は困難なんだよな。コントロールできることを前提に考えると大きく間違える。その通りだと思う。
PS:つい先日、地上波で放映された時に、新聞が「マイケル・クライトン」になってて笑った。マイケルだと思うよね、普通。

(145) 薔薇の名前(ウンベルト・エーコ/東京創元社):
これも初読。昔すごく話題になって気になってたんだけど。先日「100分de名著」で取り上げられた時には確かに推理小説扱いだったけど、アヴィニョン虜囚時代のキリスト教の歴史が細かく描かれていて、本を読むには世界史年表が必要だった。ふむふむこんな状況だったのか。教会の腐敗と浄化への試み、でも実際には単なる派閥争いになったり異端者探しになったり。キリスト教に限ったことじゃないけどさ。この辺に興味がないと読むの辛いかも。映画は恐らくすっ飛ばして作ったんだろうな。

(146) カジノ・ロワイヤル(イアン・フレミング/創元推理文庫):
(147) ゴールド・フィンガー(イアン・フレミング/ハヤカワポケットミステリ):
(148) 007は二度死ぬ(イアン・フレミング/ハヤカワ文庫):
英国が誇る007シリーズから3冊がベスト千入り。
若かりし頃、007の映画に誘われてにべもなく断ったことがあったなぁ。この人あんな映画なんか見るんだと思ったのが顔に出ていたと思う。好みは人それぞれなのに、失礼なことをしたものだ。そのくらい007は好きじゃない。原作読むと違うかしらと思ったら同じだった(笑)。娯楽大作だとは思うけどさ。女性の描かれ方が気に入らないというのもあるんだろうけど、とにかくAJの好みではありません。人物も背景も薄っぺらに感じる。それでこそ娯楽大作なんだろうけど。
「007は二度死ぬ」の原題はYou Only Live Twiceで、どうみても「二回だけ生きる」。ストーリー上は確かに二度死ぬけど、ボンドの俳句(短詩)の二回「だけ」の意図が邦題では伝わらないと思う。

(149) ジャッカルの日(フレデリック・フォーサイス/角川文庫):
二度目。プロの殺し屋がリアルに描かれていて圧巻。殺し屋と彼を追い詰める警部以外の政治組織(テロ側も政府側も)も警察組織のダメダメぶりもありそうすぎ。捕まって終わったと思いきや、軽いどんでん返しが効いています。それでジャッカルって安易だと思ったんだよ(笑)。現在はいろんな点で技術的にはこうはいかないと思うが、それでも読んで面白いです。

(150) ブライトン・ロック(グレアム・グリーン/ハヤカワepi文庫):
初めて。面白くて一気に読んだ。チンピラのピンキーが裏切った仲間を非情にも次々消していく。年下のピンキーに脅える仲間たち。しっかり完全と思いきや、義憤に駆られて私的捜査する歌姫アイダに見破られて、証人のローズと結婚するも安心できず、自殺させようとしたところで自滅。罪悪感の欠片もなく殺人を繰り返すピンキー。結構暗い。丸谷さんの訳だった。親切な訳注に感謝。

2020年2月3日

Guardian’s 1000(14)

魔の山を諦めてようやくアップできるようになった。今回はState of the Nation。

(131) アンクル・トムの小屋(ハリエット・ビーチャー/明石書店):
子供の頃に読んだきり。トムが坊ちゃまと再会したのに死んでしまう絵があったのは思い出せたけど、他の筋はさっぱり。脱走奴隷の筋も書いてあったのかな?トムが死んでしまって終わりだった気がするんだけど?本当は一応ハッピーエンドになってたんだな。奴隷戦争前夜のアメリカ。北部から南部へ売られていく。どこにも悪人も善人もいる。宗教色強いし、黒人の描かれ方(しゃべり方も含めて)には問題もあるんだろうけど、これは読んでおいて損はないと思う。

(132) 恥辱(クッツェー/ハヤカワepi文庫):
主人公がアカハラで地位を失う前半(ケープタウン)はよくある話な感じ。娘が憧れの田園生活を送る郊外へと避難する後半から南アらしいんだと思う。でもさ、ここまであからさまな恥辱はなくても、「独身女が趣味で田舎暮らし」への迫害はどこでもある気がする。しかしこんな恥辱はいかんな。でもでも、現代日本では犬猫には身勝手な殺戮を行っていたりする。どこまでが守るべき同胞で、どこからは迫害してもいい相手なのか。

(133) ホワイト・ノイズ(ドン・デリーロ/集英社):
アメリカ大学町で教鞭をとる主人公はナイスバディな妻と互いの連れ子と概ね幸せに過ごしていた。しかし、謎の物質爆発で街から避難する羽目になったり、妻がこっそり飲んでいるのが謎の薬だったり。どうも謎の物質暴露により健康被害を受けているようなのだが検査結果に向き合いたくない。それもこれも、昔から持っていた死への恐怖によるものらしい・・・アメリカだけじゃない話に思う。フクシマを思わせる状況もあるし。自然災害の報道をつい夢中になってみてしまうのは、死への恐怖を予感しているからなのか。この点において日本は良いコンテンツを持っていると言われてもなぁ。

(134) オリヴァー・ツイスト(ディケンズ/新潮文庫):
これも子供文学全集的なもので読んだ。孤児オリバーが実はお坊ちゃまだったというありがちな童話、だと思っていたが・・・面白いじゃん。粗筋から感動話を予想すると裏切られます。明らかに大人向けの本でくすぐり満載。いいも悪いもロンドン/イギリスぽい。

(135) 白痴(ドストエフスキー/光文社古典新訳):
「おばかさん」な公爵と二人の女。結局誰も幸せにならない結末に呆然。ま、ハッピーエンドにならなくてもいいんだけどさ。「白痴」というより「愚者」な感じ?本文からはさっぱりそうは見えないのだが、周りから「おばかさん」とみなされているんだから、喋り方か動作か格好なのか何かそれらしく見える人なんだろう。単なる癲癇持ちではないんだろうね。女性二人は聖母マリアとマグダラのマリアなのかね?少なくとも誰かは幸せになってもいいような気がするんだけど、なんでならないのかね??

(136) サイラス・マーナー(ジョージ・エリオット/光文社古典新訳):
前半はひたすら暗い。不幸続きのサイラスが神との出会いにより・・・てな話かと思ったらそんなことなかった。舞踏会の夜あたりからだんだん描写が明るくなってくる。女性陣は特に魅力的。男性陣はコミカル。19世紀にしちゃ進んだ視点だよなと思ってたら作者は「進んだ女性」だった。ジョージ=男性とは限らないのね。

(137) 草は歌っている(ドリス・レッシング/晶文社):
アフリカ植民地での不幸なイギリス人。プア・ホワイトはアメリカだけじゃないのだ。何をやってもうまくいかないディック、優等生な少女時代から優雅な独身生活を経て、周りの嘲りを逃れるように結婚を急いだメアリ、そしてここでもプア・ホワイトの更に下に位置づけられる黒人のモーゼス。ところがメアリとモーゼスの関係が微妙に変化していき・・・。入植地って優雅なイメージあるけどいろいろだったのね。この先に今の南アがあるわけだ。最後まで救いがなく暗い。表題はエリオットの「荒地」からで、「墓石の上を草は歌っている」イメージなのだそうだ。後書きを読んでようやく納得。

(138) ラデッキー行進曲(ヨーゼフ・ロート/岩波書店):
AJにはウイーンフィルのアンコール曲として認知されているラデッキー行進曲。イタリアに勝利した将軍を祝う曲だったのか。ちなみに今では平和の象徴だそうな。オーストリアの第一次大戦前夜あたり=帝国の崩壊を描いたもの。ほぼ同時代のエリザベートを描いた本はいろいろあるけどオーストリアを描けてたかどうか疑問かもしれない。これは軍や街の様子含めて国の状況が頭に入ります。三国同盟のドイツとイタリアってなんでかなと思ってたけど、間にオーストリアがいたんだった、納得。愚直な軍人が王様の命の恩人になるものの、子孫にとっては良かったのかどうか。何度か出て来る「桜桃の団子」が気になって仕方ないのは私だけでしょうね。通常はさくらんぼじゃなくアンズで作るものらしいぞ。

(139) 怒りの葡萄(スタインベック/ハヤカワepi文庫):
2014新訳で再読。前に読んだのは中学か高校生。貧乏人が苦労するどこまでも暗いアメリカの昔話であまり感心しなかった。再読したら1930年代ってそんなに「昔」じゃない。そして現在、歴史は廻っちゃってる・・・集約化も階層化も移民排斥も米国のみならず全世界に広がってる。全然変わってないじゃん!!グローバル化も情報化も解決にはならなかった。却って進めちゃった部分すらある。けどでも、移民排斥して「昔」に戻っても解決にはならんのだ。アンタが良かったっていう「昔」って実はこんなだった!と思い出すために、今読んだ方がいいと思う。読んだところでどうしたらいいのか、やっぱり答えはないんだけどさ。

(140) カップルズ(ジョン・アップダイク/新潮社):
アップダイクは「走れウサギ」を読んだだけだと思う。不倫の話と言う意味では同じだけど、輪をかけてる感じ。一つのコミュニティ内で恋愛というのが「アメリカ的」と考えてState of the Nationなのかね。全米がこんなわけじゃないと思うんだけど。でもアメリカTVドラマ的ではあるな。終わりはハッピーエンドっていうかなんて言うか。そんなのあり?とも思ったが、実際はドラマと違ってこんなのが多いんだろうな。

2020年1月30日

あっと言う間に

気が付くと前回アップしてから1か月が経過しているではないの!!

読書は順調に進んでいるのだけど、優先で読むことにしている既読の1冊が、図書館からなかなか借りられなくて止まっているのだ。トーマス・マンの「魔の山」。普通に有名な古典なのになんで借りれらないんだ―!
でも、魔の山なんていかにも光文社古典に入りそうだよな。先日これもいつかは入るんだろうな、と思いながら読んだばかりのオリバー・ツイストが、近日刊行予定とわかってがっかり。魔の山は結構長いしな、二度読むのも面倒だ。諦めて他の本を読むことにしたので、2月上旬にはアップできると思います。(誰も待ってないって)


昨今の話題と言えば、やっぱり新コロナウイルスよね。

「無症状の人からも伝染」と報道されているけど、何をもって「無症状」とするかによるよ、と思う。
AJ自身は「重い肺炎」の経験があるけど、緊急入院になる程の状態でも、痰は全然なかったし、咳も殆どなかった。でも「殆どなかった」だけで「なかった」わけじゃない。暖かい場所から寒い場所に出た時とか、一時的に咳をすることはあったの。その際に菌をばらまく可能性はあったわけだ。
(注:AJの場合は常在菌が原因だったので、ばらまいても他人様に迷惑はかけませんが)
「重い肺炎」の時点では、高熱も倦怠感もあって自覚症状は十分あったけど、同じ菌に感染していても重くない時点では、熱はあってもレントゲンも酸素濃度も問題なく、従って感染が見逃されてきたのだった。

私の場合は毎朝体温を測っているので、あのお薬を始めて1か月しない内から体温が上がり始めた→元々は薬剤性肺炎だった気がする、と思っていたりするのだが、普通の人は毎朝体温なんて測らないし、微熱くらいじゃ自覚も出来ないから、「ツアーの皆さんは無症状だった」「無症状の人から感染した」と言っていいのかどうか。飛沫感染が前提なんだから(空気感染もアリとなると大ごとだ)、自覚するほどじゃなくても咳はしていたと考えるのがスジだと思うな。

まぁだからせめて皆さんちゃんと体温を測っておくんだな。ただし熱が出た人全員にいちいちウイルス同定なんてやってられないので、熱(或いは咳)がある人は、市販風邪薬で誤魔化して仕事に行ったりするんじゃなくて、大事を取って3日くらい外出しないでしっかり休めばいいんだよ。そうすれば風邪なら治るし、コロナウイルスでもインフルエンザでも治る可能性が高い。調子が悪い時はしっかり休んで、菌を無駄にばらまかない!ことを社会常識にしましょうよ、この際。