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2015年8月28日

観光地高野山

やっと高野山の最終回。早く書かないと忘れちゃうよー(泣)

高野山は宗教都市だけど、かなりの比重で観光地だ。高野山ケーブルに乗ると、日本語英語の次はフランス語の説明がある。中国語や韓国語がないのは、アジアからの観光客が少ないからかな。先方から見ると、「我が国の方が本元」なんだろうし。
宗教都市としてはそうでも、観光地としては案外楽しいのにな。景色がなかなか、京都の街中なんかよりむしろ統一感あるぞ。



コンビニ。デイリーヤマザキ。
右のかぼちゃ窓がすごく可愛い。
売っているものは、フツーの田舎のコンビニだった。
菓子パンとかビールとか人気ありそうだった。観光客が精進料理のお供にするんじゃないかな。
ローカルスーパー。
お土産のつもりなのか、それとも宿が使うのか、高野豆腐がたくさんあった。あったけど、お土産に見えない・・・お土産として売るなら、もうちょっとそれっぽいパッケージにしてほしいんですけど。

本屋。ここでガイドブックを買った。昔の村の本屋ってこうだったよな、と思える品揃え。文房具はもちろん、玩具とかもある。高野山大学のテキストも売っています。

ありがちなデザインですけど、街の公衆電話がこんな、っていうのはカワイイじゃない?
なのに何で緑の電話なんだろう。グレーのやつだったらこのデザインに馴染むと思うんですけど。でもグレーだと似合いすぎて目立たないかな。そうかも。

これ素敵だなと思ったガードレール。木で出来ている。お洒落ー。これなら風景の邪魔になりにくい。
ここだけだったので遍照尊院オリジナルかもしれない。高野山に限らずみんなで真似したい。東京五輪でも是非。
昔の建築というわけじゃないけど、昔風の建築。全部の建物が揃っているわけではないけど、揃えようという心意気は感じる。観光地はこうでなくちゃね。ディズニーランド的というか、非日常の世界に来たぞ!とテンションがあがるのだった。宗教嫌いな人は無理かもだけど、「興味ない」位の人は遊びに行ってみて。 純粋観光地としても楽しいぞ。

2015年8月16日

こうやまき

ご存知の方はご存じなんでしょうね。AJは知りませんでしたが。

遅い朝ご飯を大阪で食べたので、お昼頃に高野山に入って、何か美味しそうな軽食があれば、と思いながら歩いているところに「こうやまき」と書いた露店が見えた。
高野巻き?何を何で巻いたものかな?わくわくと近寄っていくと、、、

高野「巻き」じゃなくて、高野「槇」だった・・・orz。
一気にお腹すいた。

コウヤマキは、太古の昔には世界中にあったのに、今では日本の固有種となった珍しい植物なのだそうだ。
これはお供えに使うための売店なんだと思うけど、写真にもあるように苗木も売っていた。お土産に持って帰っておうちで植えるものなのかもしれない。

秋篠宮家悠仁さまのお印ですと書いてあった。ううう、食べ物だと思ってごめんよう・・・

2015年8月9日

密教、ていうか仏教って

私は、幼稚園がキリスト教系だったのでキリスト様に関する最低限の知識はそこで習った。大人になってヨーロッパを旅して、聖書を知らないと意味が分からんな(特に絵画)、と思って聖書を買って読んだ。理解したとは言えないけど、大雑把には把握できた、と思う。

仏教についてはサッパリ。お釈迦様が開祖だということを学校で習って、あとはお釈迦様の生涯についてマンガでかじった程度。今昔物語の天竺編で出典が○○経と書いてあるのをみて、お経ってそんなことが書いてあるのかー!と思った。呪文だと思ってた。お経ってお釈迦様の生涯とか言ったこととかが書いてある=新約聖書みたいなものなのね、とその時点では思っていたのだった。

高野山に行こう、と決めて、宿坊に泊まるんだから写経もしよう、というわけで、般若心経を読んでみた。愛弟子に呼びかけるところとかあって、お釈迦様の言葉を書いたのだと判るのだが、最後の方の有名な「ぎゃーてぃぎゃーてぃ・・・」は意味がナイ。呪文だから訳しちゃいけないのだそうだ。なんだやっぱり呪文だったのか。仏教には呪文があるのね。

さて本題に入る。空海様が日本に伝えた密教=真言宗の、「密」は秘密ということで、「真言」とは呪文のこと。つまり、呪文こそが大事であり、呪文(正確には呪文だけじゃないけど)を通じて何かを実現する、魔法使い的な世界なのだった。今昔物語に陰陽師みたいに描かれていたのは、こういう拝啓あってのことだろう。空海様って呪文の達人だったのね。テクマクマヤコーン。

お釈迦様は、呪文を用いて奇跡を起こしたことがあっても、困ったら呪文を使えとは言ってない気がするな。どこからそうなったのかな、と思いながら、曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)の解説を眺める。真ん中に大日如来がいて、周辺に釈迦如来というのがいる・・・あれ?如来って全部お釈迦様なんじゃないの?

違ったー!
私はずっと、如来も菩薩も、お寺にいる仏像は全部お釈迦様の変身した姿か、お釈迦様の弟子なんだと思っていた。キリスト教の教会みたいに。
教会に入る時には「イエス様、こんにちはー」と挨拶(心の中で)するのと同じで、お寺に入る時は「お釈迦様、こんにちはー」と呼びかけていたのだったが、お釈迦様じゃなかったんだー! いろんな仏様ごめんなさいー!!

そういえば般若心経は、観自在菩薩(観音菩薩)が修行した時、と始まる。私はてっきり自分のことを三人称で語っているのだときめつけていたけど、別人ていうか、先輩の話をしていたのね。
お釈迦様は、如来が、菩薩が、ああ言ったこう言ったと言っている。お釈迦様の信じていたことを信じると言う意味ではいいのかもだけど、仏教はお釈迦様が始める前からあったので、開祖というのはいかがなものか。
まぁでも、キリスト様は自分を祀れとか自分を通じて神を信じろとか全然言ってないのに、いつのまにかそういうことになり、ユダヤ教を迫害するに至る矛盾を考えると、仏教の矛盾の方がましな気がする。

お釈迦様以外にもたくさん如来がいるんだから、仏教って多神教なんだな。でも広辞苑みてもwikiを見ても、そうは書いていない。一神教=キリスト教、イスラム教。多神教=ヒンズー教、ローマ神話。仏教については触れないで、ってことらしい。察するに、多神教ぽい仏教も一神教ぽい仏教も存在するのだろうね。

とにかく、仏教はわかりにくい宗教だ、ということだけが良くわかったのだった。

2015年7月19日

空海、またの名を弘法大師

弘法大師というのは、空海さまが亡くなって100年近く経ってから、時の天皇からもらった名前。大師=功労のあった立派なお坊さん。だから他にも大師はいる。同時代のライバル、最澄は伝教大師というのをもらっている。でも「お大師様」ていうと、大抵は弘法大師のことだね。それだけ人気者なのだ。

本名は佐伯眞魚(まお)。子供のころからお坊さんになると決まっていたので、本名というより幼名なのかな。かわいくていい名前だよね。昨今のキラキラネームに使えそう。
その後、教海、如空、と言う名前を経て、22歳の時に空海と言う名前に。
空海ってホントにいい名前だと思う。空海様がこんなに有名じゃなければ、「くみ」とか「そらみ」とか「くうま」とか言う子供が結構いたのではないか。お酒の名前、お店、ファッションブランド、バンド名、何につけてもカッコいい名前だと思う。単純に「空と海」でも素敵だが、仏教らしく「空(くう)の海」と読んでも素敵。最澄と言う名前が、いかにも出来のいいエリートで嫌味な響きがあるのと好対照。

若くしてお寺持ちの最澄に対して、空海は若い頃は下積みというか修行の日々。大日経に出会って、これだ!と思うものの、当時の日本には先達がいなくて遣唐使に立候補。唐に着いてから向こうの役人にも恵果先生にも認められて出世の階段を上り始めるのだった。
なんで唐で突然盛大に認められたのか?いろいろあるんだろうけど、結局字が上手だったからでは?

直筆だという聾瞽指帰(ろうこしいき:読めないよ!)を霊宝館で見た。字の巧拙はわからないけど、やたらに難しい字を迷わずサラサラ書いている感じはする。唐に行く随分前の作。
本も紙も今よりうんと貴重だった時代、難しい字をサラサラ書ける人、はそれだけで十分尊敬に値しただろう。自分の考えや主張、疑問点をサラサラと難しい字で書ける空海様は、そりゃぁ、狭い日本では煙たがられても、唐では、日本人なのにスゴイ!と受け入れられたんだろう。

恵果先生は空海様に全てを教えて遍照金剛と言う名前をくれて亡くなってしまう。すると唐にもいづらいわけで日本に帰ってくる。
日本はまだ平安時代が始まったばかり。東大寺を建てても、唐招提寺を建てても、いまいち世の中は収まらなかった。建国200年を過ぎて繁栄を極めていた唐で流行りの宗教がいい、東大寺の奈良仏教じゃなくて、と思う気持ちは判る。そこに唐の高僧から認められた空海様がたくさんのお土産を持って帰国。まぁすごい、是非その力で朝廷を盛り上げてください、となるわけだ。

今昔物語では、巻11の9に空海、10に最澄が宋(正しくは唐)に行って仏教を持ってくる話、25に高野山、26に比叡山を開く話が並んで書いてあるんだけど、空海様については他に巻14の40で、「弘法大師、修円僧都と挑める話」がある。
天皇の護持僧だった修円僧都(興福寺=奈良仏教の僧侶)が念力で栗を煮てみせると、同じく護持僧の空海が邪魔して煮えなくさせてしまう。二人は犬猿の仲となって技の掛け合い。最後に空海は自分が死んだと噂を流して、修円がホッとしたところに技をかけて殺してしまう・・・おいおい。
僧侶というより陰陽師みたい。仏教ってそういうもの?と言う話はまた次回。

2015年7月12日

女人道

高野山は長い間女人禁制だった。今昔物語にも、「女永く上らず」と書いてある。明治5年に禁が解けた。早くはないけど、参政権とか大相撲とかを考えると早めの対応だったと言えるのではないか。
解禁前の女性参拝客はどうしていたかというと、空海様が封じた結界の外をウロウロしていたのだ。今でも女人道というのが一部残っている。

既に解禁されたのにわざわざ女人道に行ってみたのは、恒例国定公園記念切手の風景が、この道の途中にあると聞いたからだった。 軽い気持ちで歩き始めると、、、

右下の看板に注目。
く、熊・・・!!怖いよう!!
熊にあったら落ち着いて動かずにじっとしていましょう、みたいな英語の解説もあった。えーっ。

早足で歩く。緑が濃い山道なのに、鳥の鳴き声が少なくて怖い。でも時々鶯が鳴いていた。応援してくれてるようでありがたい。でも遠い。先が見えない。全部で30分程の行程の真ん中くらいに弁天堂があるはずなのだが、なかなか着かない。まだですか、弁天様(涙)。怖いよう・・・

20分弱でやっと弁天堂に着いた。この間誰にも会わず。小さな祠のそばに雨をしのぐような小屋があり、ここでしばしの休憩。残りは下り道だった。

下り始めてすぐに切手の風景を発見。そこだけ木々が途切れていて、ここから見なさいと言うことらしい。確かに根本大塔の先っぽが見えるが、、、運動場が興醒めだよう。
ガイドブックも切手も運動場がトリミングされているが、実際はこう見えます。何か手前を隠すように木を植えたらどうかね?

写真を撮ったらガンガン下る。途中で前方からがさがさ音がして緊張したが、熊ではなく外国人カップルだった。あー怖かった。たぶん向こうも、あー怖かったと思っていただろう。
女人道は奥之院前までずっと続いているのだが、私は大門前でリタイア。解禁されていてよかったと感謝しながら門内に入る。平たくてほっとする。

2015年7月5日

奥之院

高野山の目玉は壇上伽藍であるべきだと空海様は考えたと思うんだけど、これだけじゃダメかな、とも思ったんじゃないか。自分が死んじゃったら、こんな秘境の寺院なんて忘れ去られるだろうと。だから、私は死んでも山の奥でちゃんとみんなを見守っていたいから、体をこのまま置いておいてね、と遺言したんじゃないか。

実際、今昔物語の平安末期で既に忘れ去られていたのだった。しばらくは遺骸(とは言わないのかもだけど)を収めた洞に入って髪を剃ったり(仏様だから死んでも伸びたんですね)、お着替えさせたりしてたのに、「其事絶て久しく無かりけるを」という状態になっていた。曾孫弟子にあたるお坊さんが久々にやってきてキレイにして別れを惜しんで泣いた。「人の詣づる時は、上ける堂の戸 自然ら少開き、山に鳴る音有り。或る時には金打つ音有り。様々に奇き事有る也。」
これはかの空海様のなす奇跡に違いないということで、「奇異なる所也とて、今に人参ること絶えず。」と復活するのだった。

高野山が高野山として存在し続けられたのは、空海様が眠っている(起きている?)洞=奥之院があったからと断言できる。今でも高野山をかすめていく特急ツアーは、奥之院しか行かない。壇上伽藍も車窓から見学なんである。空海様がっかりしてるかなー。それでもなんでも来てくれるから良し、と言うかな。そんな気もする。


また前置きが長くなった。奥之院はこんな感じ。ずらっと並ぶ杉木立のうんと奥に空海様がいる。そこに至るまでの杉木立の中にはたくさんのお墓(正確には供養塔)。ざっと20万基。すごい。

私はバスで行ったんだけど、何も考えずに「奥之院前」で降りたらこんな感じだった。参道も周りのお墓もなんか新しい。後でわかったんだけど、ここは後から出来たショートカットなのね。大きい駐車場が近くにあって、たぶん特急ツアーはこちらの参道を行くのでしょう。
新しいお墓が多いので、面白い形のが多い。企業の供養塔も多くて、UCCはコーヒーカップ型、ヤクルトはヤクルト型の石があった。関西~西日本の会社が多い印象。シャープのもあった。シャープのお墓・・・と何だかしんみりしてしまった。
古くからある参道は、「奥之院口」バス停で降りないといけなかったのだった。帰りはそっちまで歩いた。もう少し古めの企業は表参道にちゃんと場所を確保している。グリコとかパナとか。南海鉄道も大きい。感心したのは、パナソニックは「パナソニック」に削り直していたこと。これ宣伝費で落ちるのか?

企業で感心している場合ではなく。戦国武将が大集合だよー。
叡山を焼き討ちした信長のもある。明智も徳川もいる。高野山と縁が深い豊臣家は敷地がうんと広い割に石塔が少なくてがらーんとしている。一族少ないのなーと思うとなんか悲しい。武田も上杉も伊達もある。徳川家はもっと大きいのが別の場所にあるけど、ここにもお江様の塔がある。おひざ元紀州徳川家は一人ずつの塔になっている。知らない藩の知らないお殿様のもたくさんある。供養塔を見て回るだけでも面白い。もちろん一井の人のお墓もいっぱい。戦争や災害の被害者を祀る塔も多い。歴史の宝庫、て感じ。

こんなにみんなが集まってしまったのは、空海様のそばにいたい、いるといいことがある気がする、という気持ちなんだよね。高野山側でも、何宗の人でもいいよ、と受け入れているらしい。 すごいなぁ。

空海様がいる御廟の前は燈籠堂といってたくさんの燈籠が並んでいる。地下への入り口があったので、何だろう?と入ってみたら、またたくさんの燈籠。出番を待っているスペアかと思いきや、燈籠のスイッチを入れられるようになっていた。外国の教会で、コインを入れると電気のろうそくが灯る自動販売機を見たことあるけど、あんな感じ。しかしコインじゃなくて、ICカードをかざす!察するに、自分の寄付した燈籠が灯るような認証の仕掛けではないか。すごいなぁ。進んでるのなぁ、こんなシステムを作っているエンジニアもいるんだなーと感心してしまった。

供養塔巡りも面白いけど、杉木立の中を歩くだけでも、心が洗われる気分。どうせなら、ショートカットではなく、表参道を歩くのがお勧めですぜ。 特急ツアーの皆さんよ。

2015年6月28日

壇上伽藍

先週、間違えて「天井」と書いた(汗)

高野山に行くといろいろ空海様について教わることが多いわけだが、これどこかで読んだような?と思っていたのだった。先日Googleしてわかった。今昔物語(本朝編)だ。どれどれともう1回借りてきてみたら、高野山で聞いたあれもこれも、みんなここに書いてあることじゃないですか。
高野山で聞いたのは、空海さまがしかるべき場所を探していたら犬を連れた猟師(実は山の神様)が高野山を教えて譲ってくれた、という伝説で、同じ話が今昔物語にも載っているんだけど、見つけた結果、それまでの東寺(については先週書いた)も、神護寺(高雄のお寺)も弟子に任せて、「高雄を棄て南山(=高野山)に移り入給ぬ。」と書いてある。これだけみると高野山の方がずっと大事だったんだと思われる(少なくとも今昔物語の時代=平安末期の認識としては) 。続けると「堂塔・房社を其員造る。其の中に高さ十六丈の大塔を造て、丈六の五仏を安置して、御願として名づけつ。金剛峯寺とす。」というわけで、金剛峯寺=今の壇上伽藍のことだ、とはっきりわかる。当時はそれしかなかったんだろう。

ちなみにwikiの記述では壇上伽藍は金剛峯寺に含まれる形。ま、権利関係としてはそうなんだろうけどさ、今や「金剛峯寺」と呼ばれる建物は別にあるんだから、別に書いた方がわかりやすいと思うよ。大抵のガイドブックも別扱いだし。現・金剛峯寺の住所に壇上伽藍の写真は止めた方がいいのではないか。良く読めばわかることではあるが。

前置きが長くなった。今昔物語にも出てくる大塔が、これだよ。根本大塔。
もちろん、建築物としては当時のものではなく、昭和に建て替えたものなんだけど。48.5mと言う高さは「十六丈」なんでしょう。今見ても結構高い。

外側も白に朱が映えてキレイだけど中はもっとだぞ。公式サイトがみつからないがこんな!
中心が大日如来像+周りに他の如来像が4つで、きんきら金が五仏。周りの4仏それぞれに4つの菩薩像が柱上に極彩色で描かれていて、曼荼羅を立体化した表現なんだって。曼荼羅立体化は空海さまの発案らしい。平安時代のことだからこんな感じのハデ感だったんだろう。

壇上伽藍=根本大塔、と紹介されることが多いし、インパクトとしてはそうなるんだけど、他にもいろいろ建物があった。他の建物には大塔ほどの派手さはないけど、入れる範囲(金堂)では中は負けない派手さ。お泊りした宿坊の本堂も結構キレイだった。密教は禅宗と較べてハデに走りがちなんだろう。それはそれで天国感があるよね。

三昧堂前の西行桜は桜んぼ。西行さまのお手植えの桜があったが、本物はもう枯れてしまったそうだ。西行さまってば、高野山に来ても桜植えてんのなー、なんて歴史を駆け抜ける気分。

壇上伽藍のあたりは敷地が広い(木々が切り払われている)ので、よけいに空に近い感じがする。 もともとは神社があった場所で、その神社もちゃんと残っています。霊気を感じる場所てのは、どの宗教でもいっしょなのね。

2015年6月25日

高野山真言宗 総本山 金剛峯寺

総本山なんだから、高野山で一番偉いお寺で、だから高野山観光のメインディッシュ、かというとそうでもない。半日で駆け抜けるツアーバスだと、金剛峯寺は「車窓から」になっている場合もあります。私はここが一番面白かったんだけど、まぁ一般的にはどうだろう(笑)、高野山らしいところではないのかもしれない。ある意味「ただの総本山」だし。

金剛峯寺、というのは明治時代くらいまで高野山のお寺全部の名前だったそうです。昔の地図を見ると今以上にたくさんのお寺(宿坊含む)が林立している。これを組織的に整理するにあたって、一番大きなお寺(たぶん)だった、青巌寺というのと興山寺というのを合わせて「金剛峯寺」と呼ぶことにして、これが総本山です、ということに決めたらしい。
まあだから、もっと歴史のあるお寺は他にもいっぱいあるわけだ。


←正門。門もそうだけど、お寺の屋根も檜皮葺でシック。後ほど紹介する壇上伽藍の世界とは違って、日本的なシックさだよね。
雨が降った後なので、よけいにしっとりと風情のある建物になっていました。

門の提灯に付いている紋章は、左が五三の桐で右が三つ巴。右の方はもともとここにあった神社由来だそうですが、五三の桐と言えば?
お菓子の桃山にもついている、豊臣家の紋ですな。前身の青巌寺は秀吉が建てたお寺なのでした。

さて、このお寺のどこが面白かったかって言うとー、台所があったんだよ。
写真は撮れなかったので、公式サイトを見てね。すごーく大きいお釜や囲炉裏、様々の料理道具。一度に2,000人分のおにぎりを焚けるのだそうだ。お寺なのに荒神様がいた。

それと何故か台所の近くに恵果先生の像があった。恵果先生というのは空海様が唐に行った時に、密教をさずけてくれた唐の高僧。
あそこに誰かいる、と思えるようなリアルな像というか人形と言うか。近づきながら恵果先生じゃない?(直前に絵は見たので)と思ったらそうだった。何でこんな所に?と思ったのだが、どうも高野山1200周年を記念して、中国のお寺から頂いたらしい。いかにも中国チックな像。もらったのはいいけど、置く場所に困ってとりあえずお台所のそばに置かれたんじゃないか。可哀そうな先生。
ま、何年かするとちゃんと居場所を割り当ててもらえるのかもしれない。

内装も素敵(屏風絵とか)だし、お庭も素敵。500円の入場料がいるけど、お接待の場所でお茶と麩菓子をもらえて、のんびり足を休められる。お坊さんが来て講話があったりもする。なかなか楽しかった。

話を元に戻す。
金剛峯寺自体はあまり歴史が、と書いたけど、空海さまはたぶん高野山を修業の場と位置付けていて、一般参拝客はここまで来なくていいと思ってたんじゃないかな。
平安末期の源氏物語では、宇治で遠距離恋愛だったし、奈良の長谷寺ツアーは一大イベントだった。さらに遠くのしかも1,000メートル(800mだった)登山って、今の感覚では、イグアスの滝とか南極大陸とかの、お金と時間をぜいたくに使う秘境ツアーに値するのではないか。
空海さまは一般人がお参りなんか来るなよ、と思っていたわけではなくて、都のはずれ(今となっては京都駅近)に東寺(教王護国寺)を用意していた。ていうか高野山を開くまえに東寺を立ててるんだよね。東寺と金剛峯寺との間には寺格を争う長い歴史があり・・・東寺は今では「東寺真言宗」の総本山なのだった。
高野山仲間の方も、一枚岩だったわけではなく、あの狭い高野山の中で派閥抗争が繰り広げられていたのだった。まーどこの宗教も一般組織もそうなんだけどさ。大きくなると派閥争いになるんだよねー。空海様はさぞかしため息をついていたんだろう。

2015年6月21日

宿坊に泊まったよ

高野山に行くなら宿坊に泊まろう!と決めていたのだった。宿坊ってのは元々は字の通り「お坊さんのための宿」だったんだろうけど、高野山に関して言えば、ほとんど旅館。いやお寺なんだけど。お寺が参拝客を泊めてくれる場所なんだけど、けっこう旅館。

お部屋。廊下から撮ったところ。手前は次の間。独り旅には十分すぎる広さ。奥にテレビもある。金庫もある。エアコンもあった。手前にはお茶セットと当地の和菓子。
私は、お風呂もトイレも付いてないプランを選んだけど、付いている部屋もあるのだよ(宿坊によるけど)。 お風呂は普通に広くて快適。トイレも当然ウォシュレット。この辺は宿坊によるんだと思う。古き良き?宿坊の雰囲気を残すところもあるんじゃないかな。
設備的に旅館と違うのは、鍵がちゃんとかからないこと。これは私が泊まった部屋だけかもだけど。中からかちゃんと下せるものはあるのだが、がたがた障子を引っ張ると開いてしまう。開所恐怖症の私は以前だったら落ち着かなかったと思うが、入院生活で慣れた(笑)

もうひとつ旅館と大きく違うのは、夕飯が早いこと。5時から6時の間。従って宿には5時に帰りつかないといけない。お風呂は8時まで。門限は10時。ま、夜に外に出ても何があるわけでもなし、お風呂の後は写経体験をやって9時過ぎには就寝。以前なら早過ぎで眠れなかったかもだが、これも入院生活のおかげであっさり消灯(笑)。

そうそう、ご飯だよ。ご飯はゴーカ精進料理。じゃーん!
おいしかったよー。一生懸命食べたので、お腹いっぱいになった。これは入院生活とは全然違うね。おいしいし、たぶん病院食よりヘルシーだと思う。 そうでもないかな?ちょっと食べすぎかな?
私は頼んでませんが、高野山の宿坊ではお酒も飲める。普通の宿坊で飲めないものらしいです。

朝は早朝から朝のお勤め・・なんですが寝坊した。慌てて支度したが数分遅刻。寝起きのぽやんとした頭でありがたいお経を聞きました。す、すみません!!お部屋に帰ると朝ごはんが出来ていてもぐもぐ。
お坊さんたちはみんな朝のお勤めに参加しただろうに、いつの間に朝ごはんを作ったり配ったりお布団片づけたりしたんだろう。お勤めには6人位いたけど、そういう下働きはしない管理職もいるだろうし、料理と掃除だけでも大変なのでは?お部屋だけじゃなくてトイレもお風呂も、お庭もお寺もあるんだし、と思っていたら、廊下で見るからにパートのおばさん達に遭遇。なんだ、そういうことか。そうでないとやってられないよね。。

宿坊はお寺に付属している。お寺としては小さいんだけど「別格本山」とどこも書いてあるので、高野山内にある=格式が高いエライお寺なのらしい。総本山はもちろん金剛峯寺。その話は次回。

2015年6月14日

てくてく高野山

しばらくぶりの、てくてく一人旅。

高野山は前から興味があって、病気が見つかる前に計画も立てて宿も確保してあったのだった。人間ドックの結果、悪性腫瘍だと思うと言われて即刻向かわされた病院で、順番待ちしながら新幹線他の時刻表を調べて、よしこれで予約だと思っていたんだから我ながらのんきなものだ。

石楠花の咲く5月に行きたかったのだが、今年は開創1200年だそうで大騒ぎの最中。記念イベントが終了するのを待って2泊2日で行ってきました。もう石楠花は葉っぱだけになっていた(泣)。

まぁでも新緑の気持ちいい時期で楽しかった。心が洗われた、といえるかどうか自信ないけどさ。仏教ってそういうことか!と思えることも多かった。
松丸文庫シリーズで今昔物語を読んだときに、仏教について良く知らないことに気が付いたんだよね。キリスト教について知っている程度には知っておきたいな、 と思った。高野山に行って、付け焼刃でガイドブックとかも買って、少し理解した気がする。すこーしだけど。

前置きが長くなった。高野山は、一言でいうと「お寺」です(そりゃそうだ)。 「高野山」という名前の「山」があるわけではなくて、峰に囲まれた小さな盆地。

盆地っていうと、京都みたいに道路の先に山が見える気がするけど、街中では山は見えない。普通に平たい場所に見える。こんな←。

 ケーブルカーでぐんぐん上に上って、更にバスで急カーブの山道をぐるぐる上がって大門と言われる入り口を通ると、あれ!ここからなんか平たいんですけど!と言う感じ。足でうんうん登ってきたらものすごくびっくりすると思う。
ちなみに足で麓から1日がかりの行程だそうです。今でも町石道という参道があって登ってきている人がいた。クタクタそうでした。

1000メートル級の山に囲まれた奇跡のような盆地。ここだ!と思った空海さまの気持ちわかるなー。京都から見える比叡山と違って、都からうんと遠い山奥。修行に専念できそう。

専念できそうなもう一つの理由は、異様に静かなこと。
鳥の声がすごく少ない。高度なのか気候なのか木の種類(針葉樹が圧倒的に多い)なのか、鳥いない?と思うくらい静か。田圃もないから、この時期の田舎にはつきもののカエルの合唱もなし。緑が濃い割には静かなので、不思議な感じ。これも空海さまの張った結界のおかげなのかね?