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2015年1月25日

提言その16:看板税

久しぶりの東京2020への提言。

景気もいまいちで、五輪に必要なお金が集められるか不安だし、ここで一石二鳥の新税を打ち出してはどうかな。

東京23区内の看板に、その大きさに応じた税金を掛ける。

同じ大きさでも彩度の差が低いもの(=地味なもの)は割安にする。夜間照明する場合は2倍、ネオンサインは4倍、動画広告も4倍。
いわゆる広告看板だけじゃなく、ポスターや、住所表示の類(店名やビル名)、公共の告知も対象。
屋内については看板税の対象外とするが、外から見えるようにガラスに貼りつけてあるのは、外壁に貼ったのと同じとみなす。幟も暖簾も看板に準じた扱い。

逆に、観光客のために貼って欲しい情報については、統一マーク(大きさも色調も細かく規定されている)を設けて、これを使う分には税金の対象外とする。
ホテルとか病院とか銀行とか。開店時間や休業日とか。クレジットカード使えるかとか。
もちろん、統一マークも無制限に貼れるわけではなく、適正利用しないと税金の対象にする。並べてロゴの形にしちゃうとかはダメ。

街中の、デカければ目立つよね式看板が減ったら、それだけで結構スッキリすると思うの。公共団体によるイケテない看板も減って欲しい(警視庁のピーボ君付きのやつとか・・・)。
イケテないから全面禁止だと、「どこがイケテないんだ!」ともめると思うけど、お金を払うなら置いてもいいことにすればそんなに文句もないのでは。
限られた面積や色調のなかで、いかにセンスのある広告を打つか、で看板業界もかえって盛り上がるのではないかなー。どうだろう?

循環器・血液

消化器とか呼吸器とかは、身体機能がそのまま単語になったようなもので、逆に身体機能に対して触れずに「消化」「呼吸」を説明する方が難しいと思うけど、「循環」は一般的な概念だから、「循環器」が何を指すかは、知らないと判りにくい気がする。ま、ほとんどの人が知ってるだろうけどさ。でもたとえば、英語で Circulation Systemという単語だけみたら、私なら空調設備を思い浮かべます。間違いではないけど、それが身体に関しての記述なら、循環器系ってことね、と思わなくてはいけない。

ざて循環器。何が「循環」してるかっていうと、もちろん血液ですね。
正確には血液だけじゃなくてリンパ液もあるんだけど、リンパ液は何をしてるのかまだよくわかってないこともあって病気もあまりない(笑)。血管系のことを指して循環器と言っていることが多い。

循環している「血液」ですが・・・「血」と言う言葉があるのに、何で「液」をわざわざ付けたんだろう?血って言ったら液だろ、普通。外国語にはこんな使い分けはなくて、例えば英語ならbloodがそのまま血液を指す医学用語として使われている。どこで「液」が付いたのかな。

もしかして、とwikiで「血」を検索してみる。やっぱり。
中医学(漢方とかの中国医学)に「血(けつ)」という概念が既にあったので、それと区別するために「液」を付けたんだな、たぶん。
中医学の血は、西洋医学の循環器とは定義が違うけど、似通っている所もある。「肝に戻る」と思われてたのは興味深い。

西洋医学では血液は心臓に戻る。ま、循環しているんだからどこを起点にしてもいいんだろうけど、説明としては心臓が起点になっていることが多い。そうじゃない説明をAJは見たことない。
心臓(左心室)から送り出された血液は動脈を通って体中の毛細血管に運ばれて、酸素が消費されて、二酸化炭素が溶けた血液が静脈を通って心臓(右心房)に戻ってくる。で、心臓(右心室)から肺に行って二酸化炭素を酸素に替えてもらって心臓(左心房)に返ってくる。ここからまた左心室から血液が送り出されて・・・循環するのだった。

そんな循環器のよくある病気って言ったらアレよね。次回はそのアレについて。

2015年1月18日

巻きせんべい(食品番号:15050)

「巻き煎餅」で画像検索すると米菓の品川巻がかなり含まれてしまうが、「巻煎餅」なら正しい巻煎餅が上位にずらーっと表示される。なんだか芸の細かいGoogle様。
小麦粉煎餅という前提なしで「巻煎餅」と言われると、AJ自身は品川巻を思い浮かべてしまいます。小麦粉で巻いているやつって、シガール(ヨックモック)とかルーベラ(ブルボン)とか、洋菓子ばかりが頭に浮かぶ。でもwikiの「煎餅」に「巻煎餅(絹巻煎餅)」という記述があり、正解に辿り着いた。絹巻ならわかる。あれが「巻きせんべい」なのか。

成分表の定義は以下の通り。「小麦粉、砂糖、鶏卵を用いた生地を焼き、有平(あるへい)糖を芯(しん)にして巻いたものである」。wikiの巻煎餅の記述と一致するし、私の記憶の絹巻とも一致する。

こんなの→。これは京都の三条若狭屋さんのもので、お煎餅部分に黒胡麻が入っていて香ばしいです。
昔、知り合いが京都の出張土産に、お気に入りの美味しい和菓子を買って来たよー、とくれた。ここのだったかどうかは自信ないけど、「絹巻」だったことは良く覚えている。ずいぶん庶民的なお菓子が好きな人なんだなーと思ったものだった。

久しぶりに食べる絹巻。パリパリで美味しい。
絹巻と言うのは本来、反物を巻く棒のことで、それに似ているから絹巻という名前になったんだと思い込んでいたけど、今、検索してみたらそんな事実はないらしい。単に巻き芯とか芯棒とか呼ばれている。えーあれじゃないの??でもすごく似ているんですけど・・・

2015年1月12日

光文社古典新訳シリーズ(15)

とうとう150タイトルまで来たかー。感無量。どんどん読むぞー。
ここから1冊を選ぶのは難しいな。三文オペラは読んでて面白かったが、印象に残るかと言うと、うーん。今期は推理小説ぽいのが多かったな。

(141) 三文オペラ(ブレヒト):マック・ザ・ナイフってこれの劇中歌だったのか。「ドスのメッキース」じゃわかんないよ。解説を読んで理解。ま、原語はドイツ語だからね。ドイツ語はメッキー・メッサーだそうな。ナイフはメスなんだった。色男のメッキースは強盗団のボス。乞食団?の元締めピーチャムの一人娘と駆け落ちするが、親が娘を取り返そうとメッキースを罠にかける。元恋人の売春婦ジェニーに売られるも、どっこい警視総監はメッキースの軍時代の同期の桜。一度は逃げるが結局つかまってとうとう絞首刑と思いきや、最後は恩赦でお貴族様の仲間入り。なんだそれのドタバタ劇。

(142) 郵便配達は二度ベルを鳴らす(ケイン):こちらは映画で有名だよね。郵便は配達されないっていうかそういう場面ない。でも「2度ベルが鳴る」て比喩はわかる気もする。風来坊が行きがかりで働くことになったダイナーの主人は気のいいギリシャ人。そこそこ美人のアメリカ人妻が自慢だが、妻はこの生活から抜け出したい。浮気→夫殺害に。一度は失敗するも2度目は完遂。もうダメかと思った裁判もなんとか無罪判決を勝ち取ったが、弁護側から金をせびられ逃げる途中でうっかり奥さんを死なせてしまい、次はそりゃ死刑判決だわなー。実は動機が希薄な行きがかり犯罪。

(143) 赤い橋の殺人(バルバラ):犯罪小説かな。偶然が必然になってヤな奴を殺してしまったその後。「良心」は遺伝子に刷り込まれてるのかもね。罪には罰をと思っているのに、なかなか死ねない様子が哀れ。

(144) ドン・カズムッホ(マシャード・ジ・アシス):美しい妻と親切な友人夫妻と幸せな毎日を送っていたのに、友人が水死してから何だか妻が不倫してたような気が。息子が友人に生き写しの気が。そしてひきこもりの人生が始まるのだった。妻は無実説に一票。

(145) アドルフ(コンスタン):10歳年上の人妻に遊びの恋を仕掛けたら本気で恋してしまった青年。が、恋が成就するなり冷めるのも早い。恋ってこういうものだよなーとしみじみ思う。

(146) 神学・政治論(スピノザ):神学ってこういう学問のことだったのかー(そこからかよ)。スピノザの主張は日本人的にはトーゼンに感じるが信者の皆さんには許せないだろう。今でも殴られると思う。しかし地の文にヘブライ文字が出てきて感心。今の印刷って何でもありなのなー(そっちに感激かよ)。

(147) 読書について(ショーペンハウエル):哲学っていうか道徳?表題作と「自分の頭で考える」は似たような内容。「著述と文体について」が面白かった。賢い人は名文を書く。うんうん。シンプルがベストだ。哲学があらゆる文学で一番価値がある。うーん。そうかもしれない。フランス語はラテン語の方言だ。あははー。確かにそうかも。ヨーロッパ言語って互いに影響し合うから難しそうだね。ドイツ人はドイツでありたい。昔からそうなのかなー。とにかく頭のいい人だということはわかる。

(148) 道徳形而上学の基礎づけ(カント):何とか読んだ。やっぱり難しいよう。理性とか善とかは空論として意味があることはわかった。確かに善に向かう傾向ってあるね。それを突き詰めるのが哲学なんだね。そこまでは理解した・・・

(149) マルテの手記(リルケ):詩人のリルケの手記って言うか雑記。身辺雑記のようにも見えるが神経症的ファンタジー(作り物)でもある。金持ちと貧民とどちらでもない旅行者のマルテ。パリの浮遊感。

(150) ハックルベリー・フィンの冒険(トウェイン):初めて読んだ。トム・ソーヤーの冒険よりはこっちの方が面白いと思う。が、子供の頃に読んだとして面白いと思ったかどうかは疑問。これ夢がないよ。登場人物の殆どがしょうもないヤツ。メリー・ジェーンというカッコイイ女性が独りだけいるけど、他ははた迷惑な人とか困ったちゃんとか明らかに犯罪人とか。ハックはいいヤツだが友達にはなりたくないかも。トム・ソーヤーとは口も利きたくない。男の子が読むと、冒険がカッコイイと思うのかなぁ・・・

「読み直す1冊」シリーズ(8)

前回同様、今回も10冊と思ったのだが、7タイトル目が全10冊、10タイトル目は全20冊。しかもどっちも最後は尻切れトンボ。まったくもー!年内は無理だったが、冬休み中には何とか読み終わりました。やれやれ。
いつものように光文社古典でも出ている、桜の園とヘンリーライクロフトの私記はパス。

(41) 怪談(小泉八雲/繁尾久:旺文社文庫):耳なし芳一とか。時代の割に文章が新しいと思ったが日本語で書いたんじゃないんだった(笑)。いわゆる怪談より、アイルランドの話を書いた「日まわり」が気に入った。小泉八雲って来日前から苦労人だったんだね。

(42) 野菊の墓(伊藤佐千夫:新潮文庫):4度目位?こんな話だった。卵的な恋か。確かに小説としてうまいとは言えないよなー。今読むと悪いのは政男だと思う。悪気がなかったのはわかるが、民子は愛されている確信を持てずに死んだと思う。政男、胸を張って民さんを愛してると言ってる場合じゃないぞ。

(43) 赤毛のアン(モンゴメリ/村岡花子新潮文庫):5度目位。今回は特に村岡花子訳を選んで読んだ(笑)。児童書で読んだ頃からいまいちだと思っていたが何で好きじゃないのかわかった。アンが大人になっちゃうからだ。ピッピの方がずっと好きだ。

(44) 草迷宮(泉鏡花:岩波文庫):初めて。これ面白かった。泉鏡花、名調子ー。何を言いたいかはわかんないけど(笑)、流れるような畳み込むような独特の文章が素敵。

(45) 奇岩城(ルブラン/堀口大學:新潮文庫):小学生の頃大好きだったアルセーヌ・ルパン。何度も読んだ。こんな話だったのは覚えてるけど・・・何か面白くない。堀口大學訳。「ごまよ開け」はないだろ。全体にモンテクリスト伯みたいだ。題名もネタバレでいかがなものか。光文社古典で今風に訳したのを読みたい。

(46) 土(長塚節/新潮文庫):暗い。当時の農民生活はこんなだったと理解は良くできるが、暗くて救いがない。とにかく暗い。みんな暗い。

(47) 昆虫記(ファーブル/山田吉彦:岩波文庫):全10冊。大変だった・・・。ごく一部は子供の頃に読んだ。フン転がしの絵を覚えている。ファーブル先生ってフランス人だった。お茶目。ダーウィンの進化論に違和感あるのは無理もない。当時は遺伝子と言う概念もまだなくて机上の空論ではあったんだものな。虫を使った数々の実験がカワイイ。ファーブル先生が提起した疑問に答えた最新訳が欲しいね。虫の写真はイラナイ。みていて気持ち悪くなるので、リンクだけ貼っておいてほしい。

(48) 遠野物語(柳田国男:岩波文庫):初めて。こういう本だったのか。文語調の初編と口語体の続編。物語っていうかフィールドワーク?聞き書きにもなってないし。家の間取りとか図版も付いていて面白いが、物語として面白いかは微妙。面白いかどうかではなくて、文化として残すことに意味があったんだろうけど。どこまで独自の文化だったのかも微妙。グリム兄弟の例もあるしな。

(49) 銀の匙(中勘助:角川文庫):お坊ちゃまの自伝的小説。読みやすさと言う点では古臭くないのだが、いかんせん書かれた時代は古い。単語の注釈が必要。食べ物の話が満載で○(そこかよ)。中勘助って漱石の教え子だったんだ。読んでいて楽しいとは思う。同名の農学校マンガとは何も関係ありません。

(50) 大菩薩峠(中里介山:ちくま文庫):20冊あった!(泣)。面白くないとは言わないが何を書きたいのかわからん!最初の1-2冊はわかりやすかったが、だんだん惰性になっていくような。メインテーマと思われる敵討ちも、背景の明治維新との関係も、全然結末なしで終わっちゃうし。2冊でやめときゃよかったよ。腹立つー。

2015年1月11日

かわらせんべい(食品番号:15049)

小麦粉煎餅と言えば瓦煎餅が代表選手だよね。食品成分表の定義でも「最も一般的なせんべい類の一つである」となっている。定義の方は、「砂糖と鶏卵を混ぜ、水で溶かした重曹(炭酸水素ナトリウム)、水、小麦粉を加えてこね、さらに水を加えた生地を、型に入れて、直火で焼いたものである」。

瓦煎餅と言えば亀井堂、というのがAJの認識で、冬休みに人形町まで出掛けてきました。人形町亀井堂は神戸の「亀井堂総本店」の分家だそうだ。
人形町亀井堂の瓦煎餅は久しぶりに食べたけど美味しかった。瓦煎餅はどこにでもあるけど、やっぱり美味しいとこのは美味しいね(そりゃそうだ)。写真左下のお茶壺型のは、その名も「茶つぼ」という、瓦煎餅の砂糖掛け。ここでしか買えない(ネットで買えない)と書いてあったのでつい買ってしまったが、これがまた上品な美味しさで絶品でございました。

で、瓦煎餅。瓦の形をしているから瓦煎餅と言われるわけですが、なんで瓦にはこんな切れ込みが入っているのか?
この形は正確には、「切込桟」と言われる「桟瓦」で(wiki)、切れ込みは重ねた瓦同志を固定するのに使われるんだな。平瓦と平瓦を丸瓦で押さえるのではなくて、切れ込みの分だけ重ねていく。ここの解説がわかりやすい。重なりが少ないから屋根が軽くて済む=土台となる住宅がそんなにしっかりしなくても大丈夫、ってことで、江戸時代にこの瓦が発明されてから、普通のおうち(お城や寺社以外)でも瓦葺のおうちが増えたのだそうだ。

神戸の亀井堂総本店には、原寸大瓦煎餅もある!桟の部分もきっちり再現されてますね。しかしちょっと大きすぎだと思う・・人形町で買ったやつは「小瓦」に相当する大きさ。このサイズが標準でしょう。最初の瓦煎餅はどの大きさだったのか。原寸大で瓦割り~!とかしてたのかね。

2015年1月8日

インフルエンザ(1)


インフルエンザに良く似た言葉に「インフルエンサー」というのがあります。マーケティング用語、でいいのかな?モノ(或いはサービス)を買うにあたって、影響力を持つ人。具体的に言うと、カリスマ・ブロガーとか、万単位のフォロワーを持つような有名人。流行らせる人ってこと。

インフルエンザも同じようもので、元々は何かわかんないけど「流行らせるもの」「影響するもの」をさしていたのでしょう。昔は病気の原因なんてわかんないから、あれもこれもそれも「何か」のせいとしかいいようがないのだった。♪みんな妖怪のせいなのね♪的な。

でも顕微鏡が登場して、コッホやパスツールが登場して、細菌が見つかった。あんなに怖かったペストも結核もコレラも♪みんな細菌のせいなのね♪ということになったのだが、今度は細菌はいないのに感染する病が見つかった。顕微鏡じゃ見えない位小さい「何か」のせいだ、とまた「何か」に逆戻り。たぶんこの時点では「もっと小さい何か」という程度の認識だったのでしょうな。そいつに「ウイルス」という名前を付けた。ウイルスが細菌とどのくらい違うか、は別途書くので今回はパス。
結果的に、インフルエンザは「インフルエンザウイルス」がおこす病気のことを指す、という定義になったのだった。どんなに流行する病でも、インフルエンザウイルスが原因じゃなければインフルエンザとは呼べないし、逆にインフルエンザウイルスが原因なら感染力が弱くてもインフルエンザと呼ばれることになっている。

今では「インフルエンザ」の方が通りがいいけど和名もあって「流行性感冒」、略称:流感。感冒=風邪(これもウイルスが原因)の伝染力の強いヤツ、という定義はわかりやすくてとてもいいと思うんだけどな。中国語は「流行性感冒」を採用。
英語では「flu」というけど、日本ほど厳密にインフルエンザと風邪が使い分けられていない気がする。「fluみたい」と言いながら病院に行くでもなし、解熱剤を飲んで仕事続行という人を何人か見掛けたもの。

今期も既に十分に流行っているインフルエンザ。予防が大事だけど、かかってしまったら他の人に移さないようにおうちでじっとしていてね。

2015年1月4日

2015年スタート(済)

2014年の総括と一緒にスタートすればよかったのに、今年の抱負を書くの忘れたー!

今年の目標はだな、「無駄にニコニコ」は継続するとして、「毎日運動」も体調を見ながら継続するとして、日々の目標をちゃんと管理する、かな。
少し解説すると、「日々の目標」とは、だいたい1週間単位でやるべきことを書きだしたリストを指します。昨年の実績でいうと、この日々の目標は結構クリアしているのだ。だけど、大掃除とかあれとかこれとか終わらない内に年を越してしまった。
なんでか。日々の目標は最低限のノルマだけになっているってことと(ある意味で自分の実力を把握して立てるようになっているのだった)、1年とか1か月ベースでの目標を日々の目標に落とし込めてないのだな。手帳を眺める時間が少ないのが敗因の一つだと思っていて、今年は台所の朝晩眺めるところに手帳を置いてみる。で、毎週日曜日にレビューすれば・・・

これだけで回るか、PDCAサイクル(笑)。
とりあえず今週はクリアできそうだ。3日坊主かもしれないけど。

2015年1月2日

2014年総括

あけましておめでとうごさいます。あっという間に新年になりました。冬休みももう土日を残すのみ。今年の帰京ラッシュは悪天候もあり大変そうだなぁ。スープがちょうど冷める距離を歩く程度の私にはあんまり関係ないんだけどさ。

さて、もう去年のことになってしまったが、例年の総括。

2014年世の中的ニュース

個人的にはSTAP細胞のニュースが印象的だったな。理研というのは一流の組織である筈なのだが、ここまで来ちゃってるのか、と思った。別に一企業だけの話でもないだろう。コピペって簡単だからな。あれまで見つからないで来てたからこの先も大丈夫と思ったんだろうな。見つかってみると何でチェックできなかったんだ?と思ってしまうのだが、世の中案外チェック機能は働かないものなんだよなぁ・・

2014年AJ的ニュース

一昨年に引き続き、闘病中の私、ってとこかな。春先からは病院通いも増えてあんまり他のことは出来なかった。2013年に較べると慣れた部分もある。あんまり慣れたくもないが(笑)。

2014年一番ラッキーだったこと

んー。職場の研修(試験つき)を無事にこなしたことかな。どうも7割が合格ラインであるらしいのだが前回は72点。ぎりぎり・・・(汗)。次の研修時にはもう少し余裕をもって通過したいものだ。

2014年アンラッキーだったこと

夏の入院時に欠勤するにあたって、保険その他のために前月分の給与から先に天引きされた。それは事前にも連絡をもらってて別に問題はなかったんだけど、たくさん天引きされて不要な分が次月に戻ってきて、次月の給与が見掛け上高くなってしまい、健保からもらえるはずの給付金がその月はもらえなくなっちゃったー!前月分にもらえなかった給与を後でもらっただけなのにー!!(泣)次回はこんなことにならないよう気をつけるもんね、と固く心に誓うのであった。

2014年ベスト食べ物

悩む。
河津の金目鯛も美味しかったが、時期的にかお店の問題か、一昨年の下田の方が美味しかったような気がする。ケーキでは、月島でサバランを久しぶりに見つけて美味しかったけど、ベストにあげるにはいまいちのような。先日の忘年会も想定よりおいしかったけど、ベストに推すほどかな・・

悩んだ挙句、ポップコーンに決めた。ポップコーンの写真はないけど、お店の写真ならあるぞ。
表参道のククルザ。3時間近く並んだ。寒かった。ホッカイロをもらった。寒かったけど、美味しかったから許す。
キャラメル付きポップコーンはこの時点(2014年春)でも既に十分人気だったのだが、その後、普通のお菓子メーカーでも展開を始めて、今ではスーパーでもコンビニでも買えるようになりましたな。有難味がないこと甚だしい(笑)。

2014年ベスト今週の和菓子

えーっ!と思ったのは、この間取り上げたばかりの「いそべせんべい」なんだけどさ。驚きだけじゃなくて美味しくないとね。いや、磯部煎餅がまずいとは言ってませんよ。まずくはないけど、2014年ベストに輝くには、普通に美味しいだけでは物足りなく・・・

「今週の和菓子」として書いてないので気が引けるが、2014年に食べた和菓子で一番おいしかったのものを素直に、それは「虎屋饅頭」!
冬にならないと出ないし、どこの虎屋でも売っているわけではない虎屋饅頭。これは虎屋茶寮で食べました。美味しかったよー。無闇に高いし、なかなか食べる気にはなれないのだが、たまには食べたくなるのだった。お饅頭というからにはこれくらいの大きさが欲しい。

2014年ベストお買いもの

春に買ったクロックラジオについては何回も書いた。クロックラジオの導入にあたって(ていうか単についでに)、ミニコンポとオーディオラックを廃棄して、棚を買ったんだけど、これも重宝している。正確に言うと、無印のスタッキングシェルフ。2段の下に引き出しを入れた。でもまだうまく使いきれていないな。今年はこれをちゃんと使いこなそうっと。
夏にはミキサーを買ったんだった。その後、生もの禁止状態になってグリーンスムージーはお休み中なのだが、2月頃には再開できると思う。買ったこと自体は後悔してない。してないけど・・あまりに使っていないな。既に台所の棚にしまわれている。
秋には、ずっと欲しかったランプ(いわゆるランプ型のランプ)を衝動買いした。ランプとしては使っていない(電池も入れてない)が、インテリアとしては満足だ。
つい先週にはまた無印で湿温度計を買った。2色あって前からカワイイなと思っていたのだが、いつの間にか白い方のデザインが変わっていたので、こっちもなくなるかも、と駆け込み購入。まだ購入から1週間たっていないが、割と気に入っている。
2014年もいろいろ買ったが、ベストはね・・・うーむ。やっぱりクロックラジオにしとこうかな。気に入ってるしな。

2014年ベストお買いもの(MadeInJapan部門)

うううう・・・毎年最も悩むのがこの部門なのだが、今年も困ったよ・・・
あっ!そうだ、今年は漆器のお皿を買ったのを忘れてた。
五家宝を載せたこのお皿。黒江屋で買った。1枚で買えるものは多くなくてあまり選ぶ余地がなかったんだけど、端正で割と気に入っています。本日現在まだ大事に紙に包んで収納しているのだった。
何か漆器っていいよね。漆自体は別に日本の専売特許ってわけじゃないけど、 黒くて溜のテラテラした感じって、日本ならではの派手さ、と言う気がする。口当たりの良さも好き。ま、今回買ったのはお皿だから口当たりは関係ないんだけど。

2014年ベスト読書

これは迷わず、「すばらしい新世界」(光文社古典新訳文庫)に。幸福って何なんだろう・・・としみじみ考えさせられた。
「新世界」は案外遠くないような気もする。なんだか静かに確実にそちらに向かっているような気もする。それが「すばらしい」のかどうかは悩ましいのだが、ある意味では確かに素晴らしいような気もする。こういうのが正しい幸福だ、と言う気もするのだが・・・ そんな幸福に意味あるのか?と言う気もするし、こんな幸福が意味ないと思えるのは「野蛮」な気もする。
野蛮で何が悪いのか?うーん。幸福っていうのは、理性や知性が司るべきものなのか。本能に任せるべきなのか。実際問題、「幸福を感じる物質」は既に見つかっているわけで、もっと安全に運用できるようになれば、こういう世界は作れなくはない。作る意味あるのかはわかんないけど、そもそも世界に意味なんてあるようなないような・・・みんなが幸せになる方が、幸福が偏ったところにあるよりもいいような気もするが、「幸福物質」による幸福でほんとに幸福なんだろうか。でも本人に区別が付かないのに「ほんとの幸福」に意味なんかないような気も・・・堂々巡り。


ま。どんな幸福であれ、笑う門には福来る(意味不明)。2015年もいい年でありますように。