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2020年8月26日

(パート)ショソン

「家庭でできる和洋菓子」の項目名は「パートショソン」なのだが、その名前のお菓子は検索しても出てこない。
でも似たようなお菓子が出て来る。「ショソン・オ・ポム」という名前のアップルパイ、というかペストリー。概ねこんな感じ。

ショソン chausson とは何か?フランス語でスリッパのことだとGoogle先生は言うし、wikiにも書いてある。「形がスリッパに似ている」というのだが、「家庭でできる和洋菓子」の写真もwikiに載っているのも、半円形でスリッパにはあまり見えない。同じ半円形で も、直径に対して上写真くらいの厚みがあると、スリッパの先っぽに見えなくもない。
だいたいフランス人のお菓子名は、お茶目というか少し無理があるものが多い。シュークリーム(chou à la crème)がキャベツに見えるなら、これもスリッパに見えるかも。

もっと鋭角で、スリッパの先端ぽい形のものもある。写真はメゾン・ド・カイザーのもの。「ショソン」という名前に引きずられて半円から鋭角に変わっていったのではないか。画像検索するとこのタイプの方が半円形よりも多いかも。

「ショソン」についてはとりあえずよしとしよう。しかしもう一つの「パート」はどこに行ったのか?

「パートショソン」で検索して出て来ていたのは、実は、「ショソン・オ・ポム」と「パートフィユテ」の組み合わせなのだった。Google先生が勝手に単語を分割していたのだ。「ショソン・オ・ポム」は前述のとおり、リンゴのスリッパ(の形のお菓子)。「パートフィユテ」とはパイ生地のこと。

ということは、「パートショソン」=「ショソン生地」ってことなのか?
「家庭でできる和洋菓子」では、使用生地はあくまで「パイ生地」であって「ショソン生地」について書くつもりはなかったようだ。でも、お菓子の名前を尋ねた時に、生地の名前を答えられたのを間違って採用した可能性はある。

ダメ元でフランス語検索してみたら、大量のショソン・オ・ポムに混じって、「ショソン生地」らしいものが出て来た!モノは冷凍パイ生地 Pâte à Chaussons 。たぶん予め円形(楕円形?)にくり抜いてあるんだと思う。
日本のショソンは圧倒的にリンゴなんだけど、ショソンはリンゴに限らない。ミートパイのようなお惣菜系も多い。「家庭でできる和洋菓子」には『中央にジャム、クリーム、季節によっては栗のにたもの、果物を煮たものなどをのせて半分に折ります。』と書いてあり、リンゴに限定していない。
「ショソン・オ・何とか(中身による)」をいろいろ見て、中身に依存しない総称を尋ねたら「ショソン生地」と返事が来ちゃったのかも。結論としては「パート」は要らなかったと思う。

ちなみにGoogle先生は、英語の"chausson aux pommes"を翻訳すると、「ショーソンオポンメ」と答え、原語はフランス語だよ、と教えてくれる。ところが表示された「原語」のボタンを押して=フランス語の"chausson aux pommes"を翻訳すると、なんと「アップルの売上高」と答える!
フランス語からいったん英語にして更に日本語に翻訳するからこんな謎の翻訳になっちゃうんだろうね。お利巧なAIとしては、「リンゴのスリッパ」の使用頻度は十分に少ないので、リンゴの売上高→アップル社の売上高だな!と推測するのだろうが、余計なお世話なんだよっ。

2020年8月22日

光文社古典新訳シリーズ(25)

祝250タイトル読破!刊行スピードに追い付いてきたので、来月からは新シリーズを並行予定です!

(241) あなたと原爆(ジョージ・オーウェル):ちくま文庫の「動物農場」の解説で、丸谷さんが褒めていたという「象を撃つ」読みたいと思ってたんだ。光文社古典新訳で読めて幸せ。
評論集だけどエッセイに近いものも多い。社会評論も読む価値あると思ったけど、個人的に好きなのは「おいしい一杯の紅茶」。イギリス人ぽい!紅茶が飲みたくなりました。ポットをお湯ではなくレンジで温める、って電子レンジじゃないよね?オーブンレンジってこと?それは面倒なんですけど。

(242) 勇気の赤い勲章(スティーヴン・クレイン):南北戦争の数日間を一兵士の立場で。ドキュメンタリーに感じるが事実を元にしたフィクション。これまでの戦況どころか、目の前の事態すらわからない。負けたと思ったら勝ってたりなんかして。勝ったと思ったら撤退するように言われたり。こんな感じなんだろうな、としみじみ思う。反対する母を振り切って参戦を志願した割には、初戦で負けたと思い込んで敵前逃亡してしまったヘンリー。事情を知らない仲間は傷(=勇気の赤い勲章)を負って行方不明になっていたと誤解する。二回目以降は蛮勇をふるって踏みとどまるけど、なんだかやけっぱちか狂気。兵士なんて一つの駒。なんで戦争はやめられないのか。

(243) とはずがたり(後深草院二条):源氏物語が現実にはやっぱり無理、的な話。疾走よりも迷走の感じ。時代は鎌倉中期。作者が実在したのか、フィクションなのかも不明だそうだが、私の気持ちがどこにあるのかわからない感じが逆に事実っぽい。初めての女性の娘二条を4歳から手元に置いて愛人とし、光源氏を気取る後深草院。でもガードが足りずに二条は他の男とも通じてしまう。心変わりなのか何なのか、自分でも不明。美人で歌も上手く家格も高いのに、両親が死んでしまうと良きパトロンに恵まれない。宮廷を追い出され、出家して歌をめぐる聖地巡礼うろうろ。年をとっても美人で歌も上手いからそこそこ生きていけるけど、でも都に戻りたい。でも戻るとイケてない自分が許せない。せめて歌で後世に残りたいと思ってこの本を書いた、ってのは確かにありそうな話だ。華やかなりしころに元寇があった筈だが全く記載なし。ま、個人的にそれどころじゃなかったことは確かだが。こぞって泥酔と色恋模様に明け暮れる模様が、事実はこんなだろうなと思える。南北朝の起源はこの兄弟なのか。大変ドラマチックだが大河小説には無理だな。歴史を描けてないもの(笑)。

(244) オイディプス王(ソポクレス):やっぱり光文社古典新訳は解説がいいよね!「詩学」ではイマイチわからなかった「タ・タンとタン・タ」(長短)の説明も詳しく書いてある。日本語はギリシャ語じゃないけど、畳みかけるお芝居の感じは想像できる。有名な物語だからいろいろな解釈があること、ソポクレスの創作部分もあること、とか、やっぱり読むなら光文社古典だよ。

(245) 賭博者(ドストエフスキー):ギャンブル中毒あるある。ルーレットがロシア人のためにあるかどうかは自信ないが、解説にあるお金について、ロシア=蕩尽/フランス=収奪/イギリス=分配でドイツ=蓄積ってのは、各国の美術館・博物館を彷彿とさせてさもありなん。おばあちゃんの遺産をあてにした家族はいつ死ぬかとドイツの賭博場付高級リゾートから何度も電報を送るが、なんと当のおばあちゃんが乗り込んでくる!そして初めてのルーレットで初日は大儲けするが、当然のように翌日から負け始めてみんな大慌て。やめさせようとするがなかなかやめない。みんな遺産を当てにしやがって、私のお金なんだからね!と賭け続けるおばあちゃん。一家の家庭教師のアレクセイは賭けるお金もないからそこそこでやめられていたのに、愛しのお嬢様を借金から救おうとギャンブルに賭けて、いきなり大金持ちに。ところがお金で私を買おうって言うのね!とふられた腹いせにお金目当てのフランス女といい仲になってパリに繰り出しご蕩尽。これで懲りたかと思いきやすっかり生来のギャンブラーになる。イギリス人投資家(ていうか金貸し)から、お嬢様は本当は君が好きだったんだけど・・・もう君は賭博者だよねとダメ出しされ、貰ったお金で明日お嬢様に会いに行こう、でも今夜はこのお金でギャンブルだ!あるある。

(246) 三酔人経綸問答(中江兆民):理想論の紳士君と強硬論の豪傑君と南海先生の3人の酔っぱらいが天下国家を論じる。1/3が解説で1/3が原文。原文+註解でも読めると思うが、そうすると当時のこととして読んでしまいがちかも。新訳の方が確かに今でも通じる一般論として読める。書いてあることは同じなんだけど。理想論でも強硬論でもうまくないのはわかるけど、どうすればいいかはわからない。世襲の君主よりも選挙で選ぶ方が選択肢があるけど、それでも戦争はなくなる気配ない。戦争を望むのは結局国民の総意(ていうか気分)なんだと思う。なんでそうなってしまうのか。そこから抜けられないのか、謎。三酔人の議論を茶化すタイトルを付ける兆民は、ごまかしだけど正直でもある。正解なんてないのだ。それでも、問いから逃げてはいけない。

(247) ロビン・フッドの愉快な冒険(ハワード・パイル):岩波少年文庫収載なので、子供の頃に読んでいる筈なのだが。全く記憶なし。AJ好みではないから忘れたのかも。ロビン・フッドはバラッドで語り継がれていたもので、それを近代になって子供向け?に出版したものだそうだ。概ね水滸伝だが、結末は水滸伝程は寂しくない。それなりには寂しい。子供向けだからか色っぽい系の話は皆無。ていうかマリアン登場すらしない。荒っぽいし大酒飲みで信心深くもないが、王様には忠実。女っ気のない話で、子供でもAJには興味ない話だよなー。ヘンリー2世とかリチャード獅子心王とかイギリスの子供なら理解できるが、日本の子供では素通りしたしさ。今ならカドフェルの次の時代だってわかるし、リチャード獅子心王に連れられたら結局どこに行ったかも推測できるんだけど。オリジナル挿絵付。絵に添えられた英語が古い。出版は19世紀末ってことはわざと古風にしてるのか?大人だから興味深く読める話ではある。

(248) ラ・ボエーム(アンリ・ミュルジェール):オペラ「ラ・ボエーム」原作。原題は「ボヘミアン的生活」だそうで。若き芸術家たちのハチャメチャな青春グラフィティ。今読むと芸術家はみんな男性ばかりという点が引っ掛かるが、でもおバカ男子な雰囲気は女子が入ると崩れるのかもだしなー(笑)。オペラとは筋が微妙に違うそうです。付録二の大使ギュスターヴ・コリーヌ閣下が楽しくて好き。

(249) カルメン/タマンゴ(メリメ):カルメンはスペイン行った時に予習復習で読んだ。セビリアっぽく見えないのは同じ。でも、ジプシーはカルメンで、ホセはバスク人だからセビリアは単なる背景ともいうか。蛇足の4章付。黒人奴隷船を描いた「タマンゴ」の方が面白いな。タマンゴは売る側の黒人だが、酔っぱらって起こったついでに売り払った妻を取り返しに奴隷船に乗り込んで捉えられてしまう。妻と周りをうまく巻きこんで白人(フランス人)を殲滅して自由の身に!でも操船がわからず遭難する羽目に。ありそう。

(250) アラバスターの壺/女王の瞳(ルゴーネス):ボルヘスの師による幻想短編集。南米よりエジプトとかのエキゾチシズム。でもダークサイドミステリー的な科学っぽい記述が却ってエセ感を煽って逆効果のような。素直に怖いだけの「ヒキガエル」とかが好きだな。

2020年8月7日

Guardian’s 1000 (19)

梅雨は明けたが今度は暑さが続いてやっぱり外に出たくない。自粛依頼もあるしね。というわけで、読書は相変わらずさくさく続く今日この頃。

(181) 評決のとき(ジョン・グリシャム/新潮文庫):
グリシャムはいくつか読んでるんだけどベスト千に入った2冊はどちらも初読。これは処女作だけどなかなか売れなかったそうで。面白いとは思うけど、裁判以外でも人が死に過ぎだと思うし、最終的に無罪なるのもちょっと・・・ま、アメリカらしいとも言うんだけど。AJのおススメはやっぱり「依頼人」だな。

(182) 甘い薬害(ジョン・グリシャム/アカデミー出版):
原題King of TortsのTortsは法律用語で不法行為という意味なんだけど、邦題はどこから来たんだろ?tortがtart(タルト)に似てるのか?意図不明。
集団訴訟のデメリットが良くわかる。甘ちゃん弁護士がその道のプロに見込まれ薬害集団訴訟を手掛けて一躍時の人+大金持ちになるが、すぐに転落。得た全てを失うが、恋人は戻ってくるし初心も少し取り返せてグリシャムらしい結末。でもなんでこれかなー、もっと他にも作品あるのに。

(183) ミザリー(S・キング/文春文庫):
S・キングは私にとって「怖い映画の原作者」。私は怖い映画は苦手で見ないのだが、テレビでうっかり見始めたら怖い番組だったということがままある。大抵は気づいた時点でチャンネルを変えるのだが、怖いとわかっても気になって途中で止められないのがS・キング原作のスリラー。映画ミザリーは見てないが、これもうっかり見たらやめられなそう。読書もノンストップで最後まで読んでしまいました。怖かった・・・。自動車事故で大怪我をした作家ポールを助けてくれたのが熱烈なファンのアニー。ところが救急車を呼ぶでもなく、監禁されて終わらせた筈の自作の話を書く羽目になり、熱烈なだけじゃなく何人も人を殺しているとわかってきて・・・怖い。どうなるの?どうするの?どうしよう。最後は軟着陸。キングっていつもそうのような気がする。しかし一番ええっ!と思ったのは、スティーヴン・キングをStephenと綴ること。これでスティーヴンと読めるのか?不思議。

(184) ドロレス・クレイボーン(S・キング/文春文庫):
こちらは怖くなかった。普通の犯罪小説。ろくでなしの夫を持ったドロレスは、日蝕の日に殺害に成功。疑われつつも無理もないよねと事故死で決着する。それから何十年もたち、殺意を知っていた勤め先の奥様ヴェラを殺害した容疑がかけられる。前は殺したけど今度は違うよ!と洗いざらいを告白するドロレス。ヴェラの方はわからないけど、ろくでなしを家族が殺してしまい、でも事故死で済んでしまうケースって案外あるんだろうな、って気がする。

(185) 血と暴力の国(コ―マック・マッカーシー/扶桑社):
暗い。偶然大金をネコババした小悪人のモスは、殺人鬼のシュガー(砂糖ではない)に追われる羽目になる。追う保安官のベルにも実は背負う過去がある。しかしシュガーが極悪非道すぎ。ほとんどスプラッタ状態で救いも何も。スカッとするところもない。唯一笑えたのは、訳者あとがきで、描かれた時代(1980年)にポケットに入る携帯電話はまだないんだけど、質問しても作者から返事来ないのでこのまま訳しました、と書いてあったこと。そうそう、なんだかずっと前からあった気がしてしまうよねーと思った。

(186) エデンの東(スタインベック/ハヤカワepi文庫):
ジェームス・ディーンの映画で有名。読むのは初めて。ディーンの役どころ(キャル)はこんな感じだったのだが、こんな人いたっけ??と思ったのが中国人のリー。解説読んだらやっぱり映画にはいなかった。こんなに魅力的なキャラクターを削除するなんてひどい話だよ。大雑把な筋はカインとアベル。確かにオリジナル(聖書)は何を言いたいのか不明だが、こういう兄弟はあるだろうと思える。解説にもあるけど、悪女のキャシーが今一つ薄っぺらいのが残念だ。人格障害はありうる話だが、それで終わらせるのもどうか。改心しなくていいけど、もう少し逡巡はあってもいいのではなかったか。

(187) ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹(ジェフリー・ユージェニデス/ハヤカワepi文庫):
僕らの憧れ美しい5人姉妹。末っ子が自殺してから1年後に残り4人も心中。理由は不明。恋或いは愛が原因かもしれないけど、そうとも言えない。少し怪談気味。State of the Nationではないかもだけど中部アメリカっぽい。Loveではない気がする。原題はThe Virgin Suicidesで素直なのに邦題はヘビトンボに注目しすぎかなぁ。これはこれで不気味な要素なんだけど。

(188) ザ・ロード(コ―マック・マッカーシー/ハヤカワepi文庫):
荒廃した世界を南へとさすらう父子。襲ってくるのはゾンビや野犬ではなく、同じくさすらう人々。絶望のサバイバル。現実世界もある意味でこうだったりするけど、明日という夢や希望があるかどうかで全然違うよな。それでも善き人は火を運ばなくてはならない。うむ。最後に小さく救いがあるのがAJ好み。

(189) すべての美しい馬(コ―マック・マッカーシー/ハヤカワepi文庫):
16歳のジョン・グレイディは親友と共に愛馬と共にメキシコへ。途中で良馬を連れた別の少年と道連れになるが、雷を恐れて馬も何もなくしてしまう。次の街で馬を見つけた少年を置いて旅を続け、馬牧場に就職。力量を認められお嬢さんと恋仲になって順風満帆と思いきや、恋がバレて馬を取り返そうとした殺人犯の連れとして警察にチクられ刑務所行き。殺人犯は処刑されてしまうが、ジョン・グレイディと親友は結局釈放される。親友はこの時点でアメリカに帰るが、ジョン・グレイディは元の職場へ。彼女の祖母が絶縁を条件に助けてくれたことを知る。絶縁しないもん!と駆け落ちをせまるがお嬢さんは応じない。自棄のヤンパチ、警察署長を人質に自分達の馬を取り戻し、アメリカに帰る。帰っても自分の居場所はなく、どうしようかなーと終わる。現代版ハックルベリー・フィンの冒険、と後書きに書いてある。そうか、私はビルディングス・ロマンってやつに興味ないんだな。それでこのジャンルは点が辛いのかも。

(190) ブラッド・メリディアン--或いは西部の夕陽の赤(コ―マック・マッカーシー/ハヤカワepi文庫):
19世紀半ば、グラントン大尉のインディアン討伐軍に参加してメキシコに向かう少年。実話ベースのフィクション。相変わらず暗いしスプラッタすぎる。曲者のホールデン判事が魅力的で怖い。最後まで生き残り楽しく生きているらしい判事。人間は遊ぶために生きる、は頷けるが、賭けるものが大きい遊戯程魅力的->一番大きいものを賭けるのが戦争だから、戦争は必然って。そうかも、と思わせるところが怖すぎる。討伐隊はインディアンを殺して頭皮を剥ぐ。頭皮の数だけお上から懸賞金をもらえるから。女子供はもちろん、友好的なインディアンも殺しちゃうし、肌の色がいているメキシコ人も殺しちゃうし、ついでに懸賞金対象外の人も殺したりひどい目に合わせたり。結局英雄は追われる立場になる。そりゃそうだ。スプラッタ過ぎてAJの好みではないのだが、アメリカ(メキシコも)こんなことしてたのか、と言う勉強として、読んだ方がいいかなとも思う。

2020年8月5日

エクリヤ

現在の一般的日本語では「エクレア」ですね。音的にもエクレアの方が近い気がするけど、先頭にアクセントを置きやすくする意味では、エクリヤもありかも。

近所で確実に手に入るってことで、コージーコーナーで買った。
「家庭でできる和洋菓子」には、『普通エクリヤといえば、チョコレートホンザンをつけます』と書いてある。コージーコーナーには、基本のチョコレート(手前)の他に、モカ(奥)とイチゴ味クリームの三種類を売っていました
ここまではなんの悩みもないのだが、問題はこの先。
『お家でつくる場合には、エクリヤプラリネになさるのがよいでしょう。これは、砂糖に水を少し加えて火にかけ、煮つめてにがくならない程度のキャラメルソースをつくり、クリームを入れたエクリヤの上にぬり、ピーナッツかくるみの刻んだものをふりかけます』
チョコレートを溶かすだけなら難しくないけど、フォンダンにしてしかもキレイに塗りつけるのは簡単じゃない。それに比べれば、カラメルを上からたらーりと被せる方が簡単で家庭向きな気がする。だけどさ、これってどこが「プラリネ」?

一般的にも「プラリネ」が意味するものは複数ある。
第一は、アーモンドの砂糖掛け(キャラメリゼ)。アーモンドに限らずナッツ全般でいいらしい。しかしキャラメリゼしたからって何でもプラリネと呼ぶわけじゃない。それを知らずに、カラメル掛け=プラリネ、と誤解したのだろうか。
第二は第一の派生形で、砕いたアーモンド(等のナッツ)をキャラメリゼしたもの。ケーキの断面にツブツブがついていることがあるけど、あれのことだね。砂糖掛けの前提が先にあって、砕いたやつもプラリネと呼ばれるわけだけど、そこを知らずにナッツの砕いたやつ=プラリネ、と誤解したのだろうか。

ちなみに「プラリネ」には更に派生形があって、第二プラリネをすり潰してペースト状にしたもの、そのペーストを中身にしたチョコレートボンボン、中身がナッツと関係なくても小型のチョコレート全般をプラリネ、と呼んでしまうこともある。
このいい加減さを鑑みると、カラメル掛けピーナッツ乗せエクレアが「エクリヤプラリネ」でもいっか、と言う気もするな。

ちなみに「エクレア プラリネ」で検索してみると圧倒的にDEMELのエクレアが上がってくる。これは中に「プラリネクリーム」を入れたチョコフォンダンのエクレアだそうで。察するに「プラリネクリーム」とは、第三プラリネ(第二プラリネのペースト)をホイップクリームに混ぜたナッツ味のクリームらしい。第二プラリネ(ツブツブ)もクリームの上に乗っているようだが、エクレア上にトッピングはされていない。「家庭でできる和洋菓子」のプラリネエクリヤとは似てないが、美味しそうだなぁ・・・