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2020年7月14日

光文社古典新訳シリーズ (24)

♪雨が降る降る、あーめが降るー♪読書がさくさく進みます。

(231) 二十六人の男と一人の女(ゴーリキー):短編4つ。ゴーリキーは相変わらず暗い。みんなのアイドルが炎上する表題作は喜劇な部分もある。正義漢「グービン」はせつない。泥棒の「チェルカッシ」の懊悩もせつない。同情と恋愛がごっちゃになるタチアーナの「女」はさらに切ない。コサックは差別される側だと思ってたけど、どこでも貧乏人には冷たいのね。そういうもんだろうなと思う。

(232) 奪われた家/天国の扉(コルタサル):うっすら怖い幻想短編集。元踊り子のお嫁さん「天国への扉」はアルゼンチンあるあるではないかな、普通に怪談。「奪われた家」は何に奪われたのかなんであっさり諦めるのかわからないのがうっすら怖い。同じく敵意の真相がわからないままの「バス」もありそうで怖い。うさぎを吐き出す「パリへ発った夫人宛の手紙」は気味が悪い。一番怖いと思ったのは「遥かな女」で、ブダペストが効いてる。そう来るのかと思ったけど、やっぱりキター!な怖さ。「偏頭痛」は症状の名前が薬品名で不思議、偏頭痛もちならあるあるかもしれない。「キルケ」のゴキブリ入りボンボンはやだー!「動物寓話集」は動物が怖いのが得意なんだな・・と思った。

(233) ソヴィエト旅行記(ジッド):希望を胸にソ連に行ってみたら現実は理想と違ってガッカリ、な旅行記。現代ではそりゃそうだろと思うのだが、当時は外向けに美化されていた以上に、理想的であって欲しいと思う欲目が強かったからなぁ。歓待してもらったのにこんなこと書いていいかなぁ、でも書かなきゃダメだよなぁ、とジッドでも逡巡はするんだ。今だと概ね北朝鮮だけど、案外日本でもこういうところあるなと思ったりする。自分の眼で見て自分の頭で考える。

(234) 千霊一霊物語(アレクサンドル・デュマ):千夜一夜物語というより日本の百物語。集まった人たちが次々に怪談を語る。時代背景があるところがヨーロッパぽいよね、なんで日本では「昔々あるところに」になっちゃうんだろう?

(235) 大尉の娘(プーシキン):M025再読。「みずみずしい新訳」で岩波文庫とだいぶ印象が違う!内容は同じなんだけど(当たり前)。これテレビドラマ向きだと思う。

(236) パイドン -魂について(プラトン):ソクラテス処刑の日。魂は不滅だから自分が死んでも悲しむことない、と強気のソクラテス。肉体が亡びたらみんななくなってしまうと嘆く友人達を言い負かす。結局魂って何かってことよね。魂と肉体に分けるのなら、不滅なものが魂だと私も思う。じゃあ魂って何なのか?まぁ、あると考えた方が納得しやすいじゃん、ってレベルではあるな(苦笑)

(237) テアイテトス(プラトン):若い天才数学家テアイテトス及びその師のテオドロスと、プロタゴラス(ソフィスト)の知識論について対話するソクラテス。そもそもソフィストの言い分(相対論)を理解してないので、論駁されたところで、あーそういうことだったのか、と右往左往。当時は大事だったのだろうけどねぇ。ソフィストの言い分を、あれもこれも論破して、「知識とはあれでもこれでもないもの」と言っていきなり終わる。全くソクラテスなんだからさ。「知っている」と「わかる」は現在日本語では当然のように別物なのも混乱するところ。これは「知識」というより「理解」とは何か、だな。その昔、新しい技術用語についてほぼ何でも「それは知ってます」と応える後輩がいて、内心それ知ってる内に入んないよ、気軽に知ってると言うなよ、とイライラしたのを思い出した(笑)。

(238) ペーター・カーメンツィント(ヘッセ):ヘッセ25歳のデビュー作!には見えません!!上手い!車輪の下よりデミアンよりこれが好きだー。アルプスの少年ペーターは都会に出て文学青年となり、いろいろあったけど故郷に戻りました。ハイジのような山の生活ではないけど、アルプスの麓に暮らすってこういうことね、と思える。時に厳しい、でもやっぱり帰りたくなる故郷が魅力的かつ具体的に描かれていて、ハイジよりぐっとスイスっぽい。ペーターの不器用な女性遍歴も好ましい。半分位は自伝らしいけど、結局予言にもなっている所も秀逸。ま、女性関係については当たってないんだけど。

(239) チャンドス卿の手紙/アンドレアス(ホーフマンスタール):若き天才の作だそうで。救いのない結末でAJ好みではないな。ベネチアが舞台のアンドレアスは割と好き。夢の国ベネチアの雰囲気が出ている。あとはなんだか・・救いがないんだもの。

(240) ドルジェル伯の舞踏会(ラディゲ):素直な青年貴族フランソワは、好人物だけど軽薄なドルジェル伯と可愛い奥様マオに出会う。ドルジェル伯に惹かれているような、奥様に惹かれているような。マオの方でも、亭主のお気に入りだからフランソワがお気に入りだと思っているが、無意識にフランソワに恋しているかも。伯爵も無意識にそれに気づいてか、今更夫人に恋着してみたり。なんとなく幸せにつるんでいた三人がバカンスで出来た距離で恋心に気づく。まだ恋愛まで行ってないのに貞淑な妻であろうと、フランソワのママに恋心を打ち明け、恋を諦めようとするマオ。ところが片思いだと思いこんでいたフランソワは逆に大喜びで、ママはキューピッドにされたとおかんむり。味方を失って困ったマオはとうとう伯爵に打ち明けるが、軽薄な夫は大丈夫だよとばかり、「さあ、マオ、眠りなさい」。で、いきなり終わる。えーっ、ここで終わるのー!!クレーヴの奥方を下敷きにしているのだそうだ。それぞれが恋に恋している様子がきちんと描けていて、こっちの方が面白いぞ。終わり方の唐突さも秀逸。20歳でこれはやっぱり早熟な天才。ラディゲの遺作で、今までの訳はコクトー含む友人による改作になっているが、新訳はラディゲの最終校正版を元にしているのだそうだ。

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