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2015年6月28日

壇上伽藍

先週、間違えて「天井」と書いた(汗)

高野山に行くといろいろ空海様について教わることが多いわけだが、これどこかで読んだような?と思っていたのだった。先日Googleしてわかった。今昔物語(本朝編)だ。どれどれともう1回借りてきてみたら、高野山で聞いたあれもこれも、みんなここに書いてあることじゃないですか。
高野山で聞いたのは、空海さまがしかるべき場所を探していたら犬を連れた猟師(実は山の神様)が高野山を教えて譲ってくれた、という伝説で、同じ話が今昔物語にも載っているんだけど、見つけた結果、それまでの東寺(については先週書いた)も、神護寺(高雄のお寺)も弟子に任せて、「高雄を棄て南山(=高野山)に移り入給ぬ。」と書いてある。これだけみると高野山の方がずっと大事だったんだと思われる(少なくとも今昔物語の時代=平安末期の認識としては) 。続けると「堂塔・房社を其員造る。其の中に高さ十六丈の大塔を造て、丈六の五仏を安置して、御願として名づけつ。金剛峯寺とす。」というわけで、金剛峯寺=今の壇上伽藍のことだ、とはっきりわかる。当時はそれしかなかったんだろう。

ちなみにwikiの記述では壇上伽藍は金剛峯寺に含まれる形。ま、権利関係としてはそうなんだろうけどさ、今や「金剛峯寺」と呼ばれる建物は別にあるんだから、別に書いた方がわかりやすいと思うよ。大抵のガイドブックも別扱いだし。現・金剛峯寺の住所に壇上伽藍の写真は止めた方がいいのではないか。良く読めばわかることではあるが。

前置きが長くなった。今昔物語にも出てくる大塔が、これだよ。根本大塔。
もちろん、建築物としては当時のものではなく、昭和に建て替えたものなんだけど。48.5mと言う高さは「十六丈」なんでしょう。今見ても結構高い。

外側も白に朱が映えてキレイだけど中はもっとだぞ。公式サイトがみつからないがこんな!
中心が大日如来像+周りに他の如来像が4つで、きんきら金が五仏。周りの4仏それぞれに4つの菩薩像が柱上に極彩色で描かれていて、曼荼羅を立体化した表現なんだって。曼荼羅立体化は空海さまの発案らしい。平安時代のことだからこんな感じのハデ感だったんだろう。

壇上伽藍=根本大塔、と紹介されることが多いし、インパクトとしてはそうなるんだけど、他にもいろいろ建物があった。他の建物には大塔ほどの派手さはないけど、入れる範囲(金堂)では中は負けない派手さ。お泊りした宿坊の本堂も結構キレイだった。密教は禅宗と較べてハデに走りがちなんだろう。それはそれで天国感があるよね。

三昧堂前の西行桜は桜んぼ。西行さまのお手植えの桜があったが、本物はもう枯れてしまったそうだ。西行さまってば、高野山に来ても桜植えてんのなー、なんて歴史を駆け抜ける気分。

壇上伽藍のあたりは敷地が広い(木々が切り払われている)ので、よけいに空に近い感じがする。 もともとは神社があった場所で、その神社もちゃんと残っています。霊気を感じる場所てのは、どの宗教でもいっしょなのね。

2015年6月25日

高野山真言宗 総本山 金剛峯寺

総本山なんだから、高野山で一番偉いお寺で、だから高野山観光のメインディッシュ、かというとそうでもない。半日で駆け抜けるツアーバスだと、金剛峯寺は「車窓から」になっている場合もあります。私はここが一番面白かったんだけど、まぁ一般的にはどうだろう(笑)、高野山らしいところではないのかもしれない。ある意味「ただの総本山」だし。

金剛峯寺、というのは明治時代くらいまで高野山のお寺全部の名前だったそうです。昔の地図を見ると今以上にたくさんのお寺(宿坊含む)が林立している。これを組織的に整理するにあたって、一番大きなお寺(たぶん)だった、青巌寺というのと興山寺というのを合わせて「金剛峯寺」と呼ぶことにして、これが総本山です、ということに決めたらしい。
まあだから、もっと歴史のあるお寺は他にもいっぱいあるわけだ。


←正門。門もそうだけど、お寺の屋根も檜皮葺でシック。後ほど紹介する壇上伽藍の世界とは違って、日本的なシックさだよね。
雨が降った後なので、よけいにしっとりと風情のある建物になっていました。

門の提灯に付いている紋章は、左が五三の桐で右が三つ巴。右の方はもともとここにあった神社由来だそうですが、五三の桐と言えば?
お菓子の桃山にもついている、豊臣家の紋ですな。前身の青巌寺は秀吉が建てたお寺なのでした。

さて、このお寺のどこが面白かったかって言うとー、台所があったんだよ。
写真は撮れなかったので、公式サイトを見てね。すごーく大きいお釜や囲炉裏、様々の料理道具。一度に2,000人分のおにぎりを焚けるのだそうだ。お寺なのに荒神様がいた。

それと何故か台所の近くに恵果先生の像があった。恵果先生というのは空海様が唐に行った時に、密教をさずけてくれた唐の高僧。
あそこに誰かいる、と思えるようなリアルな像というか人形と言うか。近づきながら恵果先生じゃない?(直前に絵は見たので)と思ったらそうだった。何でこんな所に?と思ったのだが、どうも高野山1200周年を記念して、中国のお寺から頂いたらしい。いかにも中国チックな像。もらったのはいいけど、置く場所に困ってとりあえずお台所のそばに置かれたんじゃないか。可哀そうな先生。
ま、何年かするとちゃんと居場所を割り当ててもらえるのかもしれない。

内装も素敵(屏風絵とか)だし、お庭も素敵。500円の入場料がいるけど、お接待の場所でお茶と麩菓子をもらえて、のんびり足を休められる。お坊さんが来て講話があったりもする。なかなか楽しかった。

話を元に戻す。
金剛峯寺自体はあまり歴史が、と書いたけど、空海さまはたぶん高野山を修業の場と位置付けていて、一般参拝客はここまで来なくていいと思ってたんじゃないかな。
平安末期の源氏物語では、宇治で遠距離恋愛だったし、奈良の長谷寺ツアーは一大イベントだった。さらに遠くのしかも1,000メートル(800mだった)登山って、今の感覚では、イグアスの滝とか南極大陸とかの、お金と時間をぜいたくに使う秘境ツアーに値するのではないか。
空海さまは一般人がお参りなんか来るなよ、と思っていたわけではなくて、都のはずれ(今となっては京都駅近)に東寺(教王護国寺)を用意していた。ていうか高野山を開くまえに東寺を立ててるんだよね。東寺と金剛峯寺との間には寺格を争う長い歴史があり・・・東寺は今では「東寺真言宗」の総本山なのだった。
高野山仲間の方も、一枚岩だったわけではなく、あの狭い高野山の中で派閥抗争が繰り広げられていたのだった。まーどこの宗教も一般組織もそうなんだけどさ。大きくなると派閥争いになるんだよねー。空海様はさぞかしため息をついていたんだろう。

2015年6月21日

宿坊に泊まったよ

高野山に行くなら宿坊に泊まろう!と決めていたのだった。宿坊ってのは元々は字の通り「お坊さんのための宿」だったんだろうけど、高野山に関して言えば、ほとんど旅館。いやお寺なんだけど。お寺が参拝客を泊めてくれる場所なんだけど、けっこう旅館。

お部屋。廊下から撮ったところ。手前は次の間。独り旅には十分すぎる広さ。奥にテレビもある。金庫もある。エアコンもあった。手前にはお茶セットと当地の和菓子。
私は、お風呂もトイレも付いてないプランを選んだけど、付いている部屋もあるのだよ(宿坊によるけど)。 お風呂は普通に広くて快適。トイレも当然ウォシュレット。この辺は宿坊によるんだと思う。古き良き?宿坊の雰囲気を残すところもあるんじゃないかな。
設備的に旅館と違うのは、鍵がちゃんとかからないこと。これは私が泊まった部屋だけかもだけど。中からかちゃんと下せるものはあるのだが、がたがた障子を引っ張ると開いてしまう。開所恐怖症の私は以前だったら落ち着かなかったと思うが、入院生活で慣れた(笑)

もうひとつ旅館と大きく違うのは、夕飯が早いこと。5時から6時の間。従って宿には5時に帰りつかないといけない。お風呂は8時まで。門限は10時。ま、夜に外に出ても何があるわけでもなし、お風呂の後は写経体験をやって9時過ぎには就寝。以前なら早過ぎで眠れなかったかもだが、これも入院生活のおかげであっさり消灯(笑)。

そうそう、ご飯だよ。ご飯はゴーカ精進料理。じゃーん!
おいしかったよー。一生懸命食べたので、お腹いっぱいになった。これは入院生活とは全然違うね。おいしいし、たぶん病院食よりヘルシーだと思う。 そうでもないかな?ちょっと食べすぎかな?
私は頼んでませんが、高野山の宿坊ではお酒も飲める。普通の宿坊で飲めないものらしいです。

朝は早朝から朝のお勤め・・なんですが寝坊した。慌てて支度したが数分遅刻。寝起きのぽやんとした頭でありがたいお経を聞きました。す、すみません!!お部屋に帰ると朝ごはんが出来ていてもぐもぐ。
お坊さんたちはみんな朝のお勤めに参加しただろうに、いつの間に朝ごはんを作ったり配ったりお布団片づけたりしたんだろう。お勤めには6人位いたけど、そういう下働きはしない管理職もいるだろうし、料理と掃除だけでも大変なのでは?お部屋だけじゃなくてトイレもお風呂も、お庭もお寺もあるんだし、と思っていたら、廊下で見るからにパートのおばさん達に遭遇。なんだ、そういうことか。そうでないとやってられないよね。。

宿坊はお寺に付属している。お寺としては小さいんだけど「別格本山」とどこも書いてあるので、高野山内にある=格式が高いエライお寺なのらしい。総本山はもちろん金剛峯寺。その話は次回。

2015年6月14日

てくてく高野山

しばらくぶりの、てくてく一人旅。

高野山は前から興味があって、病気が見つかる前に計画も立てて宿も確保してあったのだった。人間ドックの結果、悪性腫瘍だと思うと言われて即刻向かわされた病院で、順番待ちしながら新幹線他の時刻表を調べて、よしこれで予約だと思っていたんだから我ながらのんきなものだ。

石楠花の咲く5月に行きたかったのだが、今年は開創1200年だそうで大騒ぎの最中。記念イベントが終了するのを待って2泊2日で行ってきました。もう石楠花は葉っぱだけになっていた(泣)。

まぁでも新緑の気持ちいい時期で楽しかった。心が洗われた、といえるかどうか自信ないけどさ。仏教ってそういうことか!と思えることも多かった。
松丸文庫シリーズで今昔物語を読んだときに、仏教について良く知らないことに気が付いたんだよね。キリスト教について知っている程度には知っておきたいな、 と思った。高野山に行って、付け焼刃でガイドブックとかも買って、少し理解した気がする。すこーしだけど。

前置きが長くなった。高野山は、一言でいうと「お寺」です(そりゃそうだ)。 「高野山」という名前の「山」があるわけではなくて、峰に囲まれた小さな盆地。

盆地っていうと、京都みたいに道路の先に山が見える気がするけど、街中では山は見えない。普通に平たい場所に見える。こんな←。

 ケーブルカーでぐんぐん上に上って、更にバスで急カーブの山道をぐるぐる上がって大門と言われる入り口を通ると、あれ!ここからなんか平たいんですけど!と言う感じ。足でうんうん登ってきたらものすごくびっくりすると思う。
ちなみに足で麓から1日がかりの行程だそうです。今でも町石道という参道があって登ってきている人がいた。クタクタそうでした。

1000メートル級の山に囲まれた奇跡のような盆地。ここだ!と思った空海さまの気持ちわかるなー。京都から見える比叡山と違って、都からうんと遠い山奥。修行に専念できそう。

専念できそうなもう一つの理由は、異様に静かなこと。
鳥の声がすごく少ない。高度なのか気候なのか木の種類(針葉樹が圧倒的に多い)なのか、鳥いない?と思うくらい静か。田圃もないから、この時期の田舎にはつきもののカエルの合唱もなし。緑が濃い割には静かなので、不思議な感じ。これも空海さまの張った結界のおかげなのかね?