私は、幼稚園がキリスト教系だったのでキリスト様に関する最低限の知識はそこで習った。大人になってヨーロッパを旅して、聖書を知らないと意味が分からんな(特に絵画)、と思って聖書を買って読んだ。理解したとは言えないけど、大雑把には把握できた、と思う。
仏教についてはサッパリ。お釈迦様が開祖だということを学校で習って、あとはお釈迦様の生涯についてマンガでかじった程度。今昔物語の天竺編で出典が○○経と書いてあるのをみて、お経ってそんなことが書いてあるのかー!と思った。呪文だと思ってた。お経ってお釈迦様の生涯とか言ったこととかが書いてある=新約聖書みたいなものなのね、とその時点では思っていたのだった。
高野山に行こう、と決めて、宿坊に泊まるんだから写経もしよう、というわけで、般若心経を読んでみた。愛弟子に呼びかけるところとかあって、お釈迦様の言葉を書いたのだと判るのだが、最後の方の有名な「ぎゃーてぃぎゃーてぃ・・・」は意味がナイ。呪文だから訳しちゃいけないのだそうだ。なんだやっぱり呪文だったのか。仏教には呪文があるのね。
さて本題に入る。空海様が日本に伝えた密教=真言宗の、「密」は秘密ということで、「真言」とは呪文のこと。つまり、呪文こそが大事であり、呪文(正確には呪文だけじゃないけど)を通じて何かを実現する、魔法使い的な世界なのだった。今昔物語に陰陽師みたいに描かれていたのは、こういう拝啓あってのことだろう。空海様って呪文の達人だったのね。テクマクマヤコーン。
お釈迦様は、呪文を用いて奇跡を起こしたことがあっても、困ったら呪文を使えとは言ってない気がするな。どこからそうなったのかな、と思いながら、曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)の解説を眺める。真ん中に大日如来がいて、周辺に釈迦如来というのがいる・・・あれ?如来って全部お釈迦様なんじゃないの?
違ったー!
私はずっと、如来も菩薩も、お寺にいる仏像は全部お釈迦様の変身した姿か、お釈迦様の弟子なんだと思っていた。キリスト教の教会みたいに。
教会に入る時には「イエス様、こんにちはー」と挨拶(心の中で)するのと同じで、お寺に入る時は「お釈迦様、こんにちはー」と呼びかけていたのだったが、お釈迦様じゃなかったんだー! いろんな仏様ごめんなさいー!!
そういえば般若心経は、観自在菩薩(観音菩薩)が修行した時、と始まる。私はてっきり自分のことを三人称で語っているのだときめつけていたけど、別人ていうか、先輩の話をしていたのね。
お釈迦様は、如来が、菩薩が、ああ言ったこう言ったと言っている。お釈迦様の信じていたことを信じると言う意味ではいいのかもだけど、仏教はお釈迦様が始める前からあったので、開祖というのはいかがなものか。
まぁでも、キリスト様は自分を祀れとか自分を通じて神を信じろとか全然言ってないのに、いつのまにかそういうことになり、ユダヤ教を迫害するに至る矛盾を考えると、仏教の矛盾の方がましな気がする。
お釈迦様以外にもたくさん如来がいるんだから、仏教って多神教なんだな。でも広辞苑みてもwikiを見ても、そうは書いていない。一神教=キリスト教、イスラム教。多神教=ヒンズー教、ローマ神話。仏教については触れないで、ってことらしい。察するに、多神教ぽい仏教も一神教ぽい仏教も存在するのだろうね。
とにかく、仏教はわかりにくい宗教だ、ということだけが良くわかったのだった。
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