実際、今昔物語の平安末期で既に忘れ去られていたのだった。しばらくは遺骸(とは言わないのかもだけど)を収めた洞に入って髪を剃ったり(仏様だから死んでも伸びたんですね)、お着替えさせたりしてたのに、「其事絶て久しく無かりけるを」という状態になっていた。曾孫弟子にあたるお坊さんが久々にやってきてキレイにして別れを惜しんで泣いた。「人の詣づる時は、上ける堂の戸 自然ら少開き、山に鳴る音有り。或る時には金打つ音有り。様々に奇き事有る也。」
これはかの空海様のなす奇跡に違いないということで、「奇異なる所也とて、今に人参ること絶えず。」と復活するのだった。
高野山が高野山として存在し続けられたのは、空海様が眠っている(起きている?)洞=奥之院があったからと断言できる。今でも高野山をかすめていく特急ツアーは、奥之院しか行かない。壇上伽藍も車窓から見学なんである。空海様がっかりしてるかなー。それでもなんでも来てくれるから良し、と言うかな。そんな気もする。
また前置きが長くなった。奥之院はこんな感じ。ずらっと並ぶ杉木立のうんと奥に空海様がいる。そこに至るまでの杉木立の中にはたくさんのお墓(正確には供養塔)。ざっと20万基。すごい。
私はバスで行ったんだけど、何も考えずに「奥之院前」で降りたらこんな感じだった。参道も周りのお墓もなんか新しい。後でわかったんだけど、ここは後から出来たショートカットなのね。大きい駐車場が近くにあって、たぶん特急ツアーはこちらの参道を行くのでしょう。
新しいお墓が多いので、面白い形のが多い。企業の供養塔も多くて、UCCはコーヒーカップ型、ヤクルトはヤクルト型の石があった。関西~西日本の会社が多い印象。シャープのもあった。シャープのお墓・・・と何だかしんみりしてしまった。
古くからある参道は、「奥之院口」バス停で降りないといけなかったのだった。帰りはそっちまで歩いた。もう少し古めの企業は表参道にちゃんと場所を確保している。グリコとかパナとか。南海鉄道も大きい。感心したのは、パナソニックは「パナソニック」に削り直していたこと。これ宣伝費で落ちるのか?
企業で感心している場合ではなく。戦国武将が大集合だよー。
叡山を焼き討ちした信長のもある。明智も徳川もいる。高野山と縁が深い豊臣家は敷地がうんと広い割に石塔が少なくてがらーんとしている。一族少ないのなーと思うとなんか悲しい。武田も上杉も伊達もある。徳川家はもっと大きいのが別の場所にあるけど、ここにもお江様の塔がある。おひざ元紀州徳川家は一人ずつの塔になっている。知らない藩の知らないお殿様のもたくさんある。供養塔を見て回るだけでも面白い。もちろん一井の人のお墓もいっぱい。戦争や災害の被害者を祀る塔も多い。歴史の宝庫、て感じ。
こんなにみんなが集まってしまったのは、空海様のそばにいたい、いるといいことがある気がする、という気持ちなんだよね。高野山側でも、何宗の人でもいいよ、と受け入れているらしい。 すごいなぁ。
空海様がいる御廟の前は燈籠堂といってたくさんの燈籠が並んでいる。地下への入り口があったので、何だろう?と入ってみたら、またたくさんの燈籠。出番を待っているスペアかと思いきや、燈籠のスイッチを入れられるようになっていた。外国の教会で、コインを入れると電気のろうそくが灯る自動販売機を見たことあるけど、あんな感じ。しかしコインじゃなくて、ICカードをかざす!察するに、自分の寄付した燈籠が灯るような認証の仕掛けではないか。すごいなぁ。進んでるのなぁ、こんなシステムを作っているエンジニアもいるんだなーと感心してしまった。
供養塔巡りも面白いけど、杉木立の中を歩くだけでも、心が洗われる気分。どうせなら、ショートカットではなく、表参道を歩くのがお勧めですぜ。 特急ツアーの皆さんよ。
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