総本山なんだから、高野山で一番偉いお寺で、だから高野山観光のメインディッシュ、かというとそうでもない。半日で駆け抜けるツアーバスだと、金剛峯寺は「車窓から」になっている場合もあります。私はここが一番面白かったんだけど、まぁ一般的にはどうだろう(笑)、高野山らしいところではないのかもしれない。ある意味「ただの総本山」だし。
金剛峯寺、というのは明治時代くらいまで高野山のお寺全部の名前だったそうです。昔の地図を見ると今以上にたくさんのお寺(宿坊含む)が林立している。これを組織的に整理するにあたって、一番大きなお寺(たぶん)だった、青巌寺というのと興山寺というのを合わせて「金剛峯寺」と呼ぶことにして、これが総本山です、ということに決めたらしい。
まあだから、もっと歴史のあるお寺は他にもいっぱいあるわけだ。
←正門。門もそうだけど、お寺の屋根も檜皮葺でシック。後ほど紹介する壇上伽藍の世界とは違って、日本的なシックさだよね。
雨が降った後なので、よけいにしっとりと風情のある建物になっていました。
門の提灯に付いている紋章は、左が五三の桐で右が三つ巴。右の方はもともとここにあった神社由来だそうですが、五三の桐と言えば?
お菓子の桃山にもついている、豊臣家の紋ですな。前身の青巌寺は秀吉が建てたお寺なのでした。
さて、このお寺のどこが面白かったかって言うとー、台所があったんだよ。
写真は撮れなかったので、公式サイトを見てね。すごーく大きいお釜や囲炉裏、様々の料理道具。一度に2,000人分のおにぎりを焚けるのだそうだ。お寺なのに荒神様がいた。
それと何故か台所の近くに恵果先生の像があった。恵果先生というのは空海様が唐に行った時に、密教をさずけてくれた唐の高僧。
あそこに誰かいる、と思えるようなリアルな像というか人形と言うか。近づきながら恵果先生じゃない?(直前に絵は見たので)と思ったらそうだった。何でこんな所に?と思ったのだが、どうも高野山1200周年を記念して、中国のお寺から頂いたらしい。いかにも中国チックな像。もらったのはいいけど、置く場所に困ってとりあえずお台所のそばに置かれたんじゃないか。可哀そうな先生。
ま、何年かするとちゃんと居場所を割り当ててもらえるのかもしれない。
内装も素敵(屏風絵とか)だし、お庭も素敵。500円の入場料がいるけど、お接待の場所でお茶と麩菓子をもらえて、のんびり足を休められる。お坊さんが来て講話があったりもする。なかなか楽しかった。
話を元に戻す。
金剛峯寺自体はあまり歴史が、と書いたけど、空海さまはたぶん高野山を修業の場と位置付けていて、一般参拝客はここまで来なくていいと思ってたんじゃないかな。
平安末期の源氏物語では、宇治で遠距離恋愛だったし、奈良の長谷寺ツアーは一大イベントだった。さらに遠くのしかも1,000メートル(800mだった)登山って、今の感覚では、イグアスの滝とか南極大陸とかの、お金と時間をぜいたくに使う秘境ツアーに値するのではないか。
空海さまは一般人がお参りなんか来るなよ、と思っていたわけではなくて、都のはずれ(今となっては京都駅近)に東寺(教王護国寺)を用意していた。ていうか高野山を開くまえに東寺を立ててるんだよね。東寺と金剛峯寺との間には寺格を争う長い歴史があり・・・東寺は今では「東寺真言宗」の総本山なのだった。
高野山仲間の方も、一枚岩だったわけではなく、あの狭い高野山の中で派閥抗争が繰り広げられていたのだった。まーどこの宗教も一般組織もそうなんだけどさ。大きくなると派閥争いになるんだよねー。空海様はさぞかしため息をついていたんだろう。
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