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2015年6月14日

てくてく高野山

しばらくぶりの、てくてく一人旅。

高野山は前から興味があって、病気が見つかる前に計画も立てて宿も確保してあったのだった。人間ドックの結果、悪性腫瘍だと思うと言われて即刻向かわされた病院で、順番待ちしながら新幹線他の時刻表を調べて、よしこれで予約だと思っていたんだから我ながらのんきなものだ。

石楠花の咲く5月に行きたかったのだが、今年は開創1200年だそうで大騒ぎの最中。記念イベントが終了するのを待って2泊2日で行ってきました。もう石楠花は葉っぱだけになっていた(泣)。

まぁでも新緑の気持ちいい時期で楽しかった。心が洗われた、といえるかどうか自信ないけどさ。仏教ってそういうことか!と思えることも多かった。
松丸文庫シリーズで今昔物語を読んだときに、仏教について良く知らないことに気が付いたんだよね。キリスト教について知っている程度には知っておきたいな、 と思った。高野山に行って、付け焼刃でガイドブックとかも買って、少し理解した気がする。すこーしだけど。

前置きが長くなった。高野山は、一言でいうと「お寺」です(そりゃそうだ)。 「高野山」という名前の「山」があるわけではなくて、峰に囲まれた小さな盆地。

盆地っていうと、京都みたいに道路の先に山が見える気がするけど、街中では山は見えない。普通に平たい場所に見える。こんな←。

 ケーブルカーでぐんぐん上に上って、更にバスで急カーブの山道をぐるぐる上がって大門と言われる入り口を通ると、あれ!ここからなんか平たいんですけど!と言う感じ。足でうんうん登ってきたらものすごくびっくりすると思う。
ちなみに足で麓から1日がかりの行程だそうです。今でも町石道という参道があって登ってきている人がいた。クタクタそうでした。

1000メートル級の山に囲まれた奇跡のような盆地。ここだ!と思った空海さまの気持ちわかるなー。京都から見える比叡山と違って、都からうんと遠い山奥。修行に専念できそう。

専念できそうなもう一つの理由は、異様に静かなこと。
鳥の声がすごく少ない。高度なのか気候なのか木の種類(針葉樹が圧倒的に多い)なのか、鳥いない?と思うくらい静か。田圃もないから、この時期の田舎にはつきもののカエルの合唱もなし。緑が濃い割には静かなので、不思議な感じ。これも空海さまの張った結界のおかげなのかね?

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