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2011年5月29日

いきなり入梅+台風2号

ぐずぐずした天気が続いて、でも5月だとさすがに入梅とは言わないのかなと思っていたら、5月でも入梅してしまいました。例年より2週間程早いらしい。私は雨は割と好きだけど、土日の天気が悪いのは好きじゃない。洗濯ものが乾かないじゃないか。平日に降ってくれよー。おまけに5月の台風。ま、本州に上陸する前に台風ではなくなったけど。

ま、梅雨はいいんだけどさ、暑くなるのはいやだなぁ。特に今年は。クーラーの効かない満員電車はツライから、夏の早起きキャンペーンをしないとかな・・・ああ気が重い。早く秋にならないかなぁ・・・(タメイキ)

ところてん

夏の和風デザート、心太(ところてん)。心太を和菓子って言う?という気もするが、甘味処にあるし(甘くないけど)、洋菓子ではないし、外国では食べてないようだから和菓子の仲間だということにする。

関東風ところてん
甘くないと書いたけど、酢醤油に辛子、青海苔で食べるのは関東の食べ方で、関西では黒蜜を掛けて食べるから甘味に違いない。黒蜜の話を最初に聞いた時、えええっ!と思ったけど、寒天は黒蜜で食べるんだから、別に心太に黒蜜を掛けてもおかしくはない。
おかしくはないけど、黒蜜掛けて食べるのは寒天の方がおいしいと思うなぁ・・・と言ったら、関西出身者から寒天と心太は同じものだろ、と言われた。いや違うよねと関東出身者に同意を求めたら、形が違うと言われた・・・いやそうじゃなくて・・・

私の理解では、テングサ(海草)から心太が出来て、それを寒いところで凍結乾燥したものが寒天であり、心太は寒天の原料あるいは中間生成物だけど同じものじゃない。wikiを見てもそう書いてあるので、間違いないと思うんだけど、どうも知らない人の方が多いようだ。AJ母の実家は伊豆七島でテングサの産地ですが、テングサを取って心太にして長野に送ると寒天になって出荷される、と言う話を子供の頃から聞いていたから知っているだけで、普通の人は知らないものなんだろうかね?

そういえば昔AJ実家には心太突きがあった。プラスチック製のちゃちいやつ。昔は心太の素或いは心太の固まりを売っていて家で切ったのか?とAJ母に聞いてみたが、母も天突きの存在は覚えているが使った覚えがないとのこと。 でも「トコロテン式」なんて言葉があるくらいだから、昔は一家に一台あったんじゃないかなぁ・・・どうだろう?今の若者は心太突きと言っても通じないだろうけど。

2011年5月22日

節電前年比マイナス11%達成。でも・・・

5月の電気使用量は前年比マイナス11%で、おお!と思ったのだが、先月と較べると全然変わっていない。なんで去年は5月の使用量が4月より多かったんだろう??日数も去年と変わっていないんですけど。去年のブログを読んでみる・・・連休の過ごし方も大して変わんないけど・・・あっ!ピザを焼いている・・・いやいやピザはオーブンじゃなくフライパンで焼いたんだった。いったい何が違うのだ?

ちなみに昨年の6月は電気代が1年の中でも一番安いことになっている。今年の5月と同じくらい。これも何が安い理由か判らない。機器ごとに測定しないと判んないよね。今月は10%台をマークしたけど、来月は無理な気がする。うーむ。でも真夏にマイナス15%になればいいか・・・

団子(串団子)

「ダンゴ」というと皆様どんなダンゴを思い浮かべますかね?私は串に刺さった串団子。AJ母は団子とアンコが別々になっている柴又団子のようなもの、AJ父に至っては肉団子だそうで・・・ぶつぶつ。

昔みんなのうたで「だんご三兄弟」という歌がありました。AJ自身も絵を描けと言われたら、団子三つを串刺しにする気がするけれど、大方の串団子は団子4つなのよね。でも考えてみると「4つ」という数は日本人感覚からするといかにも中途半端だ。だからなんとなく3つにしてしまうのかな、とGoogleに聞いてみると、なんと、団子が4つなのは関東(江戸)の風習で、関西では5つなのだそうだ。元々は1つの串に5個の団子で一串5文だったのが、4文銭がメジャーになったために1串4団子で4文、に変わったのだそうだ。ふうむ、なるほど。中途半端な「4文銭」が鋳造される理由の方が良く判らないが、当時は金(銀?)本位制な部分もあるので、中途半端なこともあったのだろう・・・江戸ではワンコインで買えることを優先し、上方は「五」という数字を守った、という状況は理解できる。

串団子にもいろいろあるけど、AJのお気に入りはやっぱりこれ。→
これ私は「あまから」と呼んでいますが、近所の和菓子屋では「焼き団子」と書いてあった。確かにアンコを乗っける団子は焼かないからね。wikiによると「みたらし団子」が多数派のようだ。発祥の地、京都の下鴨神社門前では「みたらし団子」って名前なのは食べに行ったことがあったから知っていたけど、全国でみたらし団子と呼んでいるとは。東京ではあまりそう呼ばれてない気がする。
ちなみにスーパーで売っているヤマザキの串団子には「たれ」と書いてあった。んー意味は判るけど、焼き鳥じゃないんだから・・・

wikiの団子を読んでもうひとつびっくりしたのは、団子の原型は「団喜(だんき、「歓喜団」とも)が由来」と書いてあったこと。えええっ!歓喜団って清浄歓喜団のこと?全然団子に似てませんけど!!
でもよく読むと昔の「団喜」は今の団子に似ていたらしい。歓喜団の方が進化したんだろう。
清浄歓喜団って何?って方はこちらへどうぞ。

和菓子屋さんの焼き団子は、焼いている内にお餅が膨らむので、バーナーでこげ色をつけているだけ(たぶん)のスーパーの団子に較べて不揃いで写真に向かない。食べておいしいのはこっちなんだけどなー。
だんご三兄弟は、次に生まれてくる時はあん団子になりたいと言っていたが、それはあん団子の方がハンサムだからかな?でも私はあまからの方が好きだぞー。

2011年5月15日

饅頭

饅頭と書いて、日本だと「まんじゅう」、中国語では「マントウ」。同じ字だから同じ食べ物だと思いきや、違うんだからややこしい。「マントウ」はご存知の方も多いでしょうが、蒸しパンのようなもので、中に何か入っていることもあるが、入っていないこともある。「まんじゅう」の中に何も入ってなかったら、怒るよね普通。

同じ字を使っていることから推測できるように、まんじゅうの起源は中国。三国志の諸葛孔明が人柱の代わりにお饅頭を川にお供えしたのが始まりと言われています。宮廷女官チャングムもこのエピソードを習っていたなぁ。人の頭の代わり(だから饅「頭」と書くのだ)に川に供えるんだから、当然蒸しパンだったはずがなく(蒸しパンだと浮いちゃうと思う)、中華まんみたいに肉が詰まっていた。つまり、「中華まん」がオリジナル饅頭であり、「まんじゅう」は「日本まん」というべきもの。

さてその饅頭が日本に伝わったのは、wiki(饅頭)によると2系統あるのだそうで、ひとつは小麦粉皮を使う系統。もうひとつは、上新粉に大和芋を混ぜた皮の薯蕷饅頭系統。どっちも日本に来てから中に詰めるものが小豆餡になってしまった所はいっしょ。羊羹と同じってことよね。中国オリジナルに近いのは小麦粉の方だけど、日本では小麦より米の方がずっと一般的だったから、日本式饅頭は薯蕷饅頭で決まり!(勝手に決めるな)

志ほせ饅頭


wikiによると薯蕷饅頭の元祖である東京銘菓、塩瀬のおまんじゅう・・・ちっちゃ!一口まんじゅうと書いてあるけど、0.5口の間違いではないか。でも大和芋の味がふんわりしておいしい。あんこの甘さも控えめで何個でも食べられてしまいます。
ちなみにAJにとって、塩瀬総本家というのは豆大福のお店で、お饅頭が有名なお店と言うのはwikiを読んで知ったのでした・・・。そんな立派な祖先をお持ちの名店だったとは。失礼いたしました。



昔のお饅頭(イメージ)
塩瀬のお饅頭は小さすぎるけど、でも現代のお饅頭はAJが子供の頃のより小さくなっている気がする。紅白まんじゅうとか巨大じゃなかった?子供一人で食べるには大きくて、でも1日するとパサパサになってしまって。子供だからそう感じたのかもだけど。
今回写真を撮るために近所の和菓子屋も含めて探して回ったけど、そんな巨大なまんじゅうは存在せず。仕方なく季節外れの中華まんで我慢。このくらいの大きさがあったような・・・気のせい?

しかしこうしてみると日本人って小豆餡が好きだな。中国と較べて肉食が一般的と言えなかった当時の日本では、豆が最も肉に近い素材だったのだろうね。江戸時代になって砂糖が一般的になったせいで、様々な「中華肉料理風」が「小豆餡の和菓子」になってしまったんだろう。おいしいからいいけどね。

ホーンブロワーシリーズ(H氏選書その3)

前にボライソーシリーズについて書いたけど、これも海軍の話。でもこっちの方が全然面白い!フィクションなんだけど、なるほどその手があったか的な戦いのオンパレード。描かれている時代は近くて、 1794年~1815年(ひとつだけ1848年)。何が面白いって、主人公の保冷所・・・じゃなくてホレイショ・ホーンブロワーが魅力的なのですよ。ハンサムで甥っ子と兄弟に見えるほど若々しく、腕っ節も強くて出会う部下みんなに熱愛されたボライソー君に較べて、ホーンブロワーと来たら、頭は薄くなるし腹は出てくるし、イヤミでぶきっちょな孤高の人。その割に女性にはモテるのだが、これは女性にのめりこまないからだろう。とてもステキ。本国でも世界でもホーンブロワー君の方が断然人気であるらしく。wiki英語版には全10冊の1冊ずつが項目として登録されている。wikiみれば内容が判るので、ここにはいちいち書かないことにする(笑)。

ボライソーシリーズを読んだ時の感想に対する訂正:
1) フランス海軍はそんなに強くない:そりゃ中には強い人もいただろうけど総じて。フランスはやっぱり陸軍なのだ。フランス軍の中身は必ずしもフランス人ではない(イギリスも同じだけど)
2) イギリス人は船が好き:これは訂正なし。ボライソーシリーズと違ってちゃんと海の記述があり、ホーンブロワー君は外国の様子にも興味津々なのだが、どうもイギリス人としては例外的らしい。スペイン語やフランス語が話せるように努力したり、敵でないフランス人と恋に落ちたり、国際派なのが断然カッコイイ。
3) イギリス人は牛が好き:これも訂正なし。ホーンブロワー君は外国の食べ物にも興味津々なのが親近感を誘います。
4) イギリス人はフランスが嫌い:これも訂正なし。ホーンブロワー君個人は、職業としてフランスと戦っているだけで、フランス人というよりナポレオンが嫌いなんだろう。でも全体としてフランスってなんだか・・・という空気は伝わってくる。
5) カリブの覇権もぐしゃぐしゃだが、欧州内もナポレオンのせいでぐしゃぐしゃ。フランス・スペイン・オランダに加えて、ロシアや北欧、ドイツについても勉強になりました。

全10冊ですが、一押しはやっぱり「勇者の帰還」。でもこれを読むためには前2冊くらい読まないとかな。戦術オンパレードという意味では「決戦!バルト海」も面白い。いや全部面白いんだけどさ。ただ翻訳が一部ん?と思うことがあります。特に1巻目の「海軍士官候補生」。あれは飛ばしていいかも。

2011年5月8日

ゴールデンウィーク終了

連休中間は、2日続けて有楽町~銀座をうろうろ。後半は恒例行事となりつつある「ミシンと遊ぶ」。

今年の課題である袖付けは、まぁうまく行ったけど、途中まで開きのある見返しに大苦戦。このデザインって私には難しすぎたんだなぁ。切れ込みを入れすぎて布に大穴が開いてしまいました。実技試験だったら即刻落第になるところですが、上からパッチをあてて、こういうデザインだったことにする(笑)。襟もなんだか小さくなっちゃった。でも元々そういうデザインに見えないこともない(笑)。大き目のチェックで柄合わせが今ひとつ失敗したところもあるけれど、遠めには判らない範囲。うっかりハードルが高かった割には、本人の満足度は高い。調子に乗って、大量に残った布でスカートも作ってしまいました(ファスナーを逆に付けちゃったけどね・・・)。

と書くとすごく器用な人になった気がするが、そんなことはないのだった。ホームメードのお洋服って結局、生地を買ったところで勝負がつくね。縫いやすくてかつ自分に似合う生地を買えば、あとは多少縫い方が変でも、それなりに着られる服になるもんだ。上手く縫えなかったら着られないから、とテキトーに安物の生地を買って作ってたから着ようと思える服にならなかったんだな。

例年は夏休みにも縫い物するんだけど、今夏はクーラー使えないと無理だな。夏休みは何して遊べばいいんだろう・・・何もしないでぼーっと昼寝かね。やだねぇ・・・

柏餅

端午の節句に食べる柏餅。餡子の入ったもちを柏の葉っぱでくるんだもの。端午の節句の食べ物としては他に粽があるけれど、こちらは中国から直輸入された由緒正しい風物詩。柏餅の方は日本(江戸?)で勝手に作ったようです。葉っぱで1個ずつ容器を作って蒸す?面倒くさいなぁ、要するに餅が葉っぱに包まっていればいいんだろ的な発想で出来たような。気のせい?
柏餅の餡子は小豆餡(漉し餡)が多いけれど、私は断然みそ餡が好き。

柏餅が日本オリジナルなのは皆さん想像付くと思うけれど、「柏(かしわ)」自体が日本オリジナルなのはご存知でした?
この葉っぱの持ち主はブナ科の木で、Wikiではカシワと記載されている。本当は「槲」って書くのが正しいそうな。では「柏」はどんな木かというと、ヒノキの類の常緑樹とのこと。実が白っぽいから柏って言うんだって。ええっ!!ヒノキって針葉樹じゃんか。カシワは見たとおりの広葉樹。紅葉(黄葉)もする。ブナ科の実ならどんぐりだから白くもない。粽と柏餅以上に全然似てません。なんでこの木に「柏」という字を当ててしまったんだろう??

wikiによると、カシワの葉っぱが柏餅に使われるのは、『葉は芳香があり、さらに翌年に新芽が出るまで古い葉が落ちない特性から「代が途切れない」縁起物』だからなのだそうだ。芳香がある点はヒノキに似てるな。「古い葉が落ちない」ところが、常緑樹に似てると思ったのかな?しかしそれだけだったら他にもいろんな木が該当すると思うし「白」の理由が必要だと思うんだけど?

「柏餅」という言葉が先にあったのなら、ヒノキでは無理があって、餅が白いからこれで柏餅でいいよね、なんて理由もありうるかもだけど。でもどうみても「柏」が先でその葉っぱで包んだから柏餅なんだもんな。謎。

2011年5月1日

ゴールデンウィーク前半終了

初日の29日に羊羹を買いにデパートに行ったんだけど、人出が多くてびっくり。デパートも「復興支援セール」と銘打って買え買えとうるさい。天邪鬼なAJとしては、デパートの復興かよとつぶやきつつ、羊羹だけ買って帰ってきた。自粛自粛と縮こまっているのもどうかと思うが、自粛はやめよう!と騒ぐのもどうかと思うね。自粛をするのものしないのも、自分で決めるもんだろ・・・

という私は、今年の黄金週間は遠出なし/半径5km圏内で過ごす予定。だったのですが、ちょっと会社に顔を出す羽目になり、カレンダーとおりの休暇になる予定。ま、朝はのんびり行けるし、今の職場はごはん所も銀行も図書館も近いし、休出は別につらくはないんだ(何しに行くんだよ)。

真ん中はちょこちょことお買い物+ご飯食べに都心に出かけて、後半は例年通りミシンと遊ぶ予定。今年は袖付けに挑戦するのだった。どうなることやら。

羊羹(練羊羹)

羊羹の「羊」は判るけど、「羹」は「あつもの」と読んで熱いとろとろスープのこと、と判る人はあまり多くないかもな。「羹に懲りて膾を吹く」ってことわざでしか私も見た覚えがないもの。さて漢字の意味は判ったとして、「羊の熱いスープ」と和菓子の羊羹と何の関係があるのか?

元々は、羊の熱いスープの冷めたもの(煮こごり)を模した精進料理だったのだそうです。お坊さん向けに大豆で肉料理を作ったりする類。たぶん最初はもっと小豆の分量も少なくてプルプルした甘くないものだったのかな。江戸時代に砂糖を加えて和菓子になったらしい。

羊羹の全形(パッケージ入り)
羊羹の切り身
小豆を使わないものもあるけれど、やっぱり砂糖でぴかぴか黒光りする小豆の練羊羹が、日本の甘味の代名詞。

寒天で固めたものだから、知らない人には固めのゼリーと説明すればいいのかな・・・

長細い直方形の食べ物で、和菓子界では「竿物」に分類されますね。だから数詞は「竿」。

数センチずつ切って食べるけど、切り身が薄すぎても厚すぎても下品と言われるので悩ましいのだが、虎屋の羊羹には「ここを切れ」と印が付いていました。印どおりに切ったけど・・・気持ち厚くないか?

ちなみに、虎屋の「夜の梅」は、小豆の粒々が闇夜にうっすら浮かぶ梅の花みたいだから付いた名前なのだそうだ。いくら闇夜でも梅の花はもっと白いような気がするが。でも幻想的な絵ではあるよね。