(41) 菊と刀 (ベネディクト):こういう本があるのは知っていたけどこんなに面白い本とは知らなかった。来日せずに、日本人からの聞き取りと日本メディアから書いたそうですが、なかなか当たっていて興味深い。もちろん戦中当時と今では日本文化も変わったところがあるんだけど。一番驚いたのは、日本人がいつでもどこでも眠るのは、子供の頃に子守(兄とか姉とか)背負われて眠るからだという説。えええっ!外国人が乗り物の中で眠らないのは、日本ほど治安が良くないからだと思い込んでいました。そういう問題ではなく、ベッドじゃないところでは普通眠らないものなのか。唖然。
(42) アンナ・カレーニナ(トルストイ):二度目か三度目。アンナの方の筋は大体覚えていたのだが、リョーヴィン君の方の筋はサッパリ。こんなやついたっけ?な感じ。何度もリョーヴィン君の章を飛ばしたくなったので、たぶん前に読んだ時は飛ばしたんだろう。二つの筋を重ねて書いているから意味があるのは理解するが、アンナの筋の方が全然面白いんですけど。
(43) 嵐が丘(E・ブロンテ):これも二度目か三度目。何度読んでも暗い。ヒースクリフは何でそこまで暗いのかなぁ。恋愛物としてはもう少し幸せな描写がほしい。
(44) 黄金の壷/マドモワゼル・ド・スキャデリ(ホフマン):黄金の壷は2回目。前に読んだのと同じ翻訳者らしく、印象も同じ。砂男とかくるみ割り人形の方が好きだなぁ。何で選に漏れたのかなぁ・・
(45) 寄宿生テルレスの困惑(ムージル):どういうわけか「寄生虫テルレス」で検索しておりなかなか借りられなかった。「テルレス」で検索して「寄宿生」であることに気付く。いやーSFだとばかり(笑)。後書きにトーマの心臓が上げられていた。寄宿舎における不純同性交友には違いないが、こういうのボーイズ・ラブとは言わないと思うぞ。性はあっても愛がないもの。少年てのは悩ましいものなのだね。
(46) 車輪の下で(ヘッセ):同じ寄宿生ものでもこちらは理解できる。不純まで行かないが同性交友を含む。子供の頃に読んだ時にはハンス君がひたすら可哀想だったが、今読むと周りの大人として何か出来なかったのかなと思う。でも案外何も出来ないだろうなぁ。エリートというのは悩ましいものだ。
(47) 鹿と少年(ローリングス):大草原の小さな家の少年版、アメリカ開拓物語。と思いきや、既に南北戦争が過去のものになった頃に、古きよき開拓時代と同じような生活をしている南部の貧しい白人たちを描いたものなのだそうで。ほんとはここにもいた筈のもっと貧しい黒人はどこにも登場しない。ペットの仔鹿が大鹿になり、生活のために撃ち殺す羽目になる少年と父を中心にした男っぽい物語だが作者は女性。狩の名人で人格者だが苦労を背負い込んでばかりの父に対し、美人ではなく優しくもなくいつも不機嫌な母の描写が、夢がなくてイイと思った(笑)。
(2018/8/29付記)いつの間にか通りの良い「仔鹿物語」に改題されていた。何があったのか・・・
(2018/8/29付記)いつの間にか通りの良い「仔鹿物語」に改題されていた。何があったのか・・・
(48) 木曜日だった男(チェスタトン):作者名に覚えがあると思ったらブラウン神父の人だった。推理小説だけ書いてたわけじゃないのか。これは推理というか冒険小説? 最初のスパイが追放された時点で犯人というか大筋は想像が付いてしまうのだが、月曜から金曜まで揃ってから後が、えっ?そっちの方向に行くかな普通?という展開で、更にえっ?これで終わるの!?的な終わり方。結局何を言いたかったんだ、おい。でもロンドンの街での追い駆けっこはなかなか面白かった。ロンドンぽい。
(49) 故郷/阿Q正伝(魯迅):二度目か三度目。後書きを読んでなるほどと思ったのだが、確かに狂人日記って芥川っぽい。でも阿Qは坊ちゃんには似てないと思う。明治大正の時代にも日本語で書ける中国語作家がいたんだね。でも楊逸の方が全然日本語上手(そんな失礼な)。
(50) ジーキル博士とハイド氏(スティーブンスン):これも二度目か三度目。二重人格の代名詞として使ってしまうが、元々はむしろ別人なんだね。後書きを読まないと、ハイド氏の方が小柄で、背広がダブダブになる、という描写を見落としてしまう。多重人格障害が病気として認知された今では、顔つきは変わっても体つきは変わらないほうが納得できるし、署名は変わっても驚かないんだけど。