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2015年8月28日

女誠扇綺譚(佐藤春夫)

松丸文庫シリーズの死者の書を読むために借りた幻妖の水脈(筑摩書房)に、掲題作が入っていました。佐藤春夫は結構好きで固め読みしたことあるんだけど、こんなのあったんだ。ストーリーというより書いてあることにカンドーしたので読書メモ。

舞台が台南。佐藤春夫はこの小説通りに、新聞社(報知新聞)の記者(と言っても既に作家として有名だったからお抱え作家の方が正しいだろう)として台南にもいたんだって。1926年の作というから、大正と昭和の境目。台湾は日本の統治下。

さて小説は安平に向かう道を「台南から四十分ほどの間を、土か石になったつもりでトロッコで運ばれなければならない。」と書いてある。「坦々たる殆ど一直線の道の両側は、安平魚の養魚場なのだが、見た目には、田圃ともつかず沼ともつかぬ。海であったものが埋まってしまった--というより埋まりつつあるのだが」と続く。あー養魚場だったのかーと思った。
私が行ったころはもうかなり埋まりきってる所だったが、でもところどころに沼?池?のようなものが見えた。 ずっと前から埋まり始めていたんだ。

「トロッコの着いたところから、むかし和蘭人が築いたという TECASTLE ZEELANDIA 所謂土人の 赤嵌城をめあてに」・・
あれ?ゼーランジャと赤嵌楼は別の建物なんですけど。私と同じ勘違いをしているよ、春夫さんってば(笑)。私と同じように国姓爺合戦から、鄭成功が取った海辺のお城→ゼーランジャ、と勘違いしたんじゃないか。気持ちわかるなー。小説の中では何もない丘になっていて、日本政府が無粋な建物を建てしまう前だったらしい。

物語は安平からトロッコで台南市街に戻って、禿頭港という台南市西郊外の街の廃屋に舞台が移る。物語中でももうそこは港ではなくて名前だけの港。主人公は、その廃屋が濠に面していると言って、台湾人の同行者に『濠?--港に面してね』と訂正され、ここ港だったんだ、と再認識している。港の名残も見えないよ、と。賛成だ。台南はまったく港に見えなかった。海っぽくなかった。

『海はだんだん浅くなるばかりで、しかもいつの間にか気がついた頃にはすっかり埋まっていたのですよ。』

えっと思った。

埋め立てたんじゃなくて、埋まっちゃったのか・・・

もちろん、最近の開発は埋め立てによるものなんだろうけど。赤嵌楼のあたりまで海だったら、湾が大きくて、遠浅で大きい船が奥までは入れなかったとしても、それなりに良港だったろう。それが干上がっちゃって今みたいに外海になっちゃったら、台風の守りにもならない。
「ぽかぽか台南」に、台南は古都には見えない、と書いたけど、埋まっちゃったのが原因で台南は都としての命も短く、都感が足りなかったのかもしれない。古都には見えなかったけど、忘れられた都には見えたような気がしてきた。

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