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2015年8月30日

落雁(食品番号:15066-15068)

落雁についても前に書いた。盆菓子も干菓子(狭義)も落雁っていうのか!とびっくりしたのだった。

食品成分表の定義は「『らくがん』は、砂糖に水あめを溶かした液〔しとり蜜(みつ)〕あるいは水を加え、穀粉種を加えて混ぜ、木型に詰めて成型し、取り出して乾燥させたものである。みじん粉を用いた『らくがん』、麦こがしを用いた『麦らくがん』、あずき粉又はあずきさらしあんを用いた『もろこしらくがん』を収載した」とのこと。

どうも私の認識は、落雁=麦落雁、であったようです。或いは成分表に収載されていない豆落雁(赤えんどう豆の粉を使う)。素朴で地味な駄菓子。

麦落雁(食品番号:15067)ならスーパーの駄菓子コーナーに、と思ってたのだが・・・ない!駄菓子を置いていそうな店をあちこち回ったけどない!子供の頃にはあったと思うんだけどなー。いつから無くなったんだろう(泣)。Wikiによると、麦落雁は群馬県館林市の名産とのこと。困った時のアンテナショップ。ぐんまちゃんちに行ってみた。

あったー。
予想よりずっとお洒落な袋に入って個包装もされていたけど、中には私の考える「落雁」が入っていました。味も想定通りの素朴で懐かしい味。

昔はこれ「麦こがし」って言う名前で売っていたと思うの。「麦粉菓子」だとずっと思っていた。
でも本当は「麦粉菓子」ではなくて「麦焦がし」であり、落雁ではなくて、原料の粉(またの名をはったい粉、香煎。麦で作ったきな粉みたいなやつ)を指す言葉だと結構大きくなってから知った。
粉の状態のは食べたことがない。あれも和菓子なんだろうか?そうかもなー。いつか見つけたら取り上げようかな。でもきな粉のことは和菓子とは言わないよなー。悩む。

まいいや。今日は落雁の話だった。もろこし落雁(食品番号:15068)も地味目のお菓子。
春にぷちっと東北に行った時に買って来た。秋田名物 諸越。
トウモロコシの粉が入ってるわけじゃないのよ。小豆の粉なの。唐土から渡ってきたから「もろこし」じゃないのよ、「諸越」なの。
Wikiによると、 「諸々の菓子を越えて風味良し」と秋田の殿様が仰ったのでこの名がついたとのこと。麦落雁に較べると、小豆の方がお菓子度が高い感じ。
角館に行った時、「生もろこし」なる和菓子を売っていた。生?と思ったけど、そういえば諸越落雁には焼き色が付いている。普通の落雁は型に入れて打ち出すだけだと思うけど、諸越落雁は火を入れて固めるらしい。成分表さん、その辺も記載すべきではないかね。
(2018/1/8訂正:「火を入れて固める」は誤解でした。型に入れて打ち出して乾燥させる点は普通の落雁と一緒。たまたまそのあとに焼き色を付ける商品が多い、ということらしいです。失礼しました)

最後になったが、基本の落雁(食品番号:15066)。みじん粉(米粉)が原料に含まれるのはわかるが、狭義の干菓子をイメージしてるのか盆菓子なのか、もっと別の何かなのかは、成分表の説明じゃ判りませんね。
無難なところで、干菓子(狭義)の写真を載せとこうっと。

 長々と続けてきた食品成分表の和菓子。落雁をもって、和菓子の部が終了です。パチパチパチ(拍手の音)。
でも食品成分表の「お菓子」だからね、和菓子が終わってもまだ続きがあるのだ。まだまだ終わんないよー。

お手洗いをリフォーム(1)

7月のある日、いつものようにお手洗いの床を掃き掃除してたら、何か変。何かこぼした?と思いながら拭き掃除を始めると、あれ!水が落ちてくる!!どこから水漏れしてるんだ!と大慌て。数分でウォシュレットの「フィルタ」と言う部分であることがわかり、水を止めてフィルタを見てみるも、掃除してどうこうなる様子がない。10年を過ぎているのでそろそろ替え時なんだろうな、と思って、とりあえずバケツをあてがい、いつも相談する馴染のリフォーム屋さんに連絡しました。

しばらく前に実家でウォシュレットが故障して取り換えたので、価格も工事費も想像はついてたんだけど、どうせならウォシュレットだけじゃなくて、全面リフォームしちゃおかな、と思ったのだった。

理由のひとつは、職場のお手洗いが、なんか掃除が楽な気がすること。そりゃ新しい(築2年)からキレイなのは当然としても、たくさん人が使う割には汚れない気がするのだ。最近の便器ってなんか汚れないようにいろいろ工夫ができているのではないか。
もうひとつの理由は、ウォシュレットだけ取り換えた実家では、便器の色とウォシュレットの色が合わなくてイマイチであること。今は真っ白が主流だけど、当時はアイボリーが主流。同じアイボリーでも今のと色調が違う気がする。私は白好きなので、真っ白が流行っている内に変えておいた方が、いつか交換の必要が出た時に、またアイボリー(或いは苦手のグレー)が主流になっちゃてて、あの時変えておけば!と後悔しなくて済む。

TOTOのカタログをもらって、ウォシュレットと便器の選定は3分で終わった。外付け操作盤は掃除する場所が増えて面倒なので、前と同じ一体型がいいな、と思ったら、選ぶ余地がなかった(笑)。TOTO以外の見積ももらったけど、カタログがキレイな(そこかよ)TOTOがイイと思った。

カタログには、オプションとして、紙巻器(トイレットペーパーを掛ける場所ね)とかタオル掛けとか収納とかも出ていた。
前の紙巻器は本体と同じでアイボリー。せっかくウォシュレットと便器の色を合わせるのに、これだけアイボリーじゃおかしいから一緒に変えちゃおう。
ついでにタオル掛けも銀色のプラスチックで可愛くないから変えちゃおう。
だったら壁紙も貼り替えないと釘穴が残っちゃうかもだよね。
ついでに床も貼り替えちゃおうかな。

概算見積で20万円位で出来るとのこと。よし決めた!
ところがその後が大変だった。いや何一つ問題はなく、私自身は設置作業もしておらず、仕上がりには120%満足しているんだけど。
で、いったい何が大変だったのかって?決めるのが大変だったんだよー(笑)
次回に続く。

2015年8月28日

観光地高野山

やっと高野山の最終回。早く書かないと忘れちゃうよー(泣)

高野山は宗教都市だけど、かなりの比重で観光地だ。高野山ケーブルに乗ると、日本語英語の次はフランス語の説明がある。中国語や韓国語がないのは、アジアからの観光客が少ないからかな。先方から見ると、「我が国の方が本元」なんだろうし。
宗教都市としてはそうでも、観光地としては案外楽しいのにな。景色がなかなか、京都の街中なんかよりむしろ統一感あるぞ。



コンビニ。デイリーヤマザキ。
右のかぼちゃ窓がすごく可愛い。
売っているものは、フツーの田舎のコンビニだった。
菓子パンとかビールとか人気ありそうだった。観光客が精進料理のお供にするんじゃないかな。
ローカルスーパー。
お土産のつもりなのか、それとも宿が使うのか、高野豆腐がたくさんあった。あったけど、お土産に見えない・・・お土産として売るなら、もうちょっとそれっぽいパッケージにしてほしいんですけど。

本屋。ここでガイドブックを買った。昔の村の本屋ってこうだったよな、と思える品揃え。文房具はもちろん、玩具とかもある。高野山大学のテキストも売っています。

ありがちなデザインですけど、街の公衆電話がこんな、っていうのはカワイイじゃない?
なのに何で緑の電話なんだろう。グレーのやつだったらこのデザインに馴染むと思うんですけど。でもグレーだと似合いすぎて目立たないかな。そうかも。

これ素敵だなと思ったガードレール。木で出来ている。お洒落ー。これなら風景の邪魔になりにくい。
ここだけだったので遍照尊院オリジナルかもしれない。高野山に限らずみんなで真似したい。東京五輪でも是非。
昔の建築というわけじゃないけど、昔風の建築。全部の建物が揃っているわけではないけど、揃えようという心意気は感じる。観光地はこうでなくちゃね。ディズニーランド的というか、非日常の世界に来たぞ!とテンションがあがるのだった。宗教嫌いな人は無理かもだけど、「興味ない」位の人は遊びに行ってみて。 純粋観光地としても楽しいぞ。

女誠扇綺譚(佐藤春夫)

松丸文庫シリーズの死者の書を読むために借りた幻妖の水脈(筑摩書房)に、掲題作が入っていました。佐藤春夫は結構好きで固め読みしたことあるんだけど、こんなのあったんだ。ストーリーというより書いてあることにカンドーしたので読書メモ。

舞台が台南。佐藤春夫はこの小説通りに、新聞社(報知新聞)の記者(と言っても既に作家として有名だったからお抱え作家の方が正しいだろう)として台南にもいたんだって。1926年の作というから、大正と昭和の境目。台湾は日本の統治下。

さて小説は安平に向かう道を「台南から四十分ほどの間を、土か石になったつもりでトロッコで運ばれなければならない。」と書いてある。「坦々たる殆ど一直線の道の両側は、安平魚の養魚場なのだが、見た目には、田圃ともつかず沼ともつかぬ。海であったものが埋まってしまった--というより埋まりつつあるのだが」と続く。あー養魚場だったのかーと思った。
私が行ったころはもうかなり埋まりきってる所だったが、でもところどころに沼?池?のようなものが見えた。 ずっと前から埋まり始めていたんだ。

「トロッコの着いたところから、むかし和蘭人が築いたという TECASTLE ZEELANDIA 所謂土人の 赤嵌城をめあてに」・・
あれ?ゼーランジャと赤嵌楼は別の建物なんですけど。私と同じ勘違いをしているよ、春夫さんってば(笑)。私と同じように国姓爺合戦から、鄭成功が取った海辺のお城→ゼーランジャ、と勘違いしたんじゃないか。気持ちわかるなー。小説の中では何もない丘になっていて、日本政府が無粋な建物を建てしまう前だったらしい。

物語は安平からトロッコで台南市街に戻って、禿頭港という台南市西郊外の街の廃屋に舞台が移る。物語中でももうそこは港ではなくて名前だけの港。主人公は、その廃屋が濠に面していると言って、台湾人の同行者に『濠?--港に面してね』と訂正され、ここ港だったんだ、と再認識している。港の名残も見えないよ、と。賛成だ。台南はまったく港に見えなかった。海っぽくなかった。

『海はだんだん浅くなるばかりで、しかもいつの間にか気がついた頃にはすっかり埋まっていたのですよ。』

えっと思った。

埋め立てたんじゃなくて、埋まっちゃったのか・・・

もちろん、最近の開発は埋め立てによるものなんだろうけど。赤嵌楼のあたりまで海だったら、湾が大きくて、遠浅で大きい船が奥までは入れなかったとしても、それなりに良港だったろう。それが干上がっちゃって今みたいに外海になっちゃったら、台風の守りにもならない。
「ぽかぽか台南」に、台南は古都には見えない、と書いたけど、埋まっちゃったのが原因で台南は都としての命も短く、都感が足りなかったのかもしれない。古都には見えなかったけど、忘れられた都には見えたような気がしてきた。

2015年8月16日

こうやまき

ご存知の方はご存じなんでしょうね。AJは知りませんでしたが。

遅い朝ご飯を大阪で食べたので、お昼頃に高野山に入って、何か美味しそうな軽食があれば、と思いながら歩いているところに「こうやまき」と書いた露店が見えた。
高野巻き?何を何で巻いたものかな?わくわくと近寄っていくと、、、

高野「巻き」じゃなくて、高野「槇」だった・・・orz。
一気にお腹すいた。

コウヤマキは、太古の昔には世界中にあったのに、今では日本の固有種となった珍しい植物なのだそうだ。
これはお供えに使うための売店なんだと思うけど、写真にもあるように苗木も売っていた。お土産に持って帰っておうちで植えるものなのかもしれない。

秋篠宮家悠仁さまのお印ですと書いてあった。ううう、食べ物だと思ってごめんよう・・・

八つ橋(食品番号:15065)

八つ橋についても前に書いた。

食品成分表の定義は「上新粉で作った生地を蒸し、砂糖、はちみつ、桂皮末等を加えて練り、薄く延ばして大豆粉、桂皮末等をまぶし、短冊状に切った後、平鍋で両面を焼き、熱いうちに型に入れて樋の形に湾曲させたものである」。

迷いようがありませんね。
樋じゃなくて琴の形なんだけど、琴の形には見えないもんね。説明としてはこれで正しいと思う。

さて、このブログにはアクセス者のリンク元統計機能があって、いつも検索エンジンが表示されてるんだけど、春ごろから特定のリンクが出るようになった。
なんだろ?とリンク元に行ってみると、うちの子の写真がデカデカと載ってるー!
何の断りもなかったのでちょっとびっくり。内容に問題があるわけじゃないし、アドレスも明記しているから文句は言わないけど、しかし公式サイトの写真を使うべき内容なのに、勝手に使ったと言われるのが面倒だから、他人(私)が勝手に使っているのを勝手に使っているんだろうな。なんか無責任なサイトだな。私に言われる筋合いはないけど(笑)。

八つ橋の話に戻る。
知名度十分の和菓子ではあるけど、基本お土産お菓子だよね。ま、駄菓子コーナーに売ってはいるので、三嶋豆よりは代表的和菓子なのかもだけど・・・もっと他に入れて欲しいものがあるような。
いいけど。


2015年8月9日

暦の上では ♪今は、もう秋~

私は先週(8/3週)が夏休み週でした。
病院リゾートではなく過ごす、久しぶりの夏休み。とはいえ病院にも行ったんだけどさ。あと歯医者にも行って、お友達と伊東屋に行って、思いつきで日帰り温泉に行って、お手洗いのリフォーム工事をする予定だったんだけど、工事は延期になったので、1日はおうちでミシンと遊んでいました。

いやー暑かった。
お休み明けの土曜日から急に涼しくなって、ちょっと損した気分。いいけど。

日帰り温泉、ちょっと面白かった。観光しようと思うと日帰りは忙しいが、ご飯食べて温泉入るだけなら問題ないのな。 宿泊客がいない時間なので、お風呂もガラガラでのんびり。平日に行ったので、行き返りはラッシュアワーだったけど、ちょっとのことだしな。これもありかも。と思った。

夏休みが終わると、次は秋の行楽シーズンにどこに行こうかなぁと夢想する私なのだった。たまった家事がまだ終わってないんだけど。ああ・・・

三嶋豆(食品番号:15064)

これ、ほとんどの人が知らないと思うんですけど。

成分表で見て、これ何?全然思い当たらない・・・と思ったのが「三島豆」。三島っていうから静岡県三島の名物?と思ったけど、そうではなかった。
Google先生に聞いたら三島は地名ではなく人名で岐阜の名物らしいと分かった。じゃ、岐阜県のアンテナショップに行ってみよう!と思ったけど、岐阜県のアンテナショップは都内にはないのだった(泣)

食品成分表の定義は「大豆を煎(い)り、砂糖で衣掛けしたもの」。それって、関東ひなあられに入っているやつのことかな?と思ったけど、結論から言うとそうでもなかった。

じゃーん。これが三嶋豆だよー。

「三嶋豆」が正しいらしい。
(2017/05/04 追記;2015年版では「三嶋豆」に修正されていました。こっそり直すなー!)
たまたま覗いた富山県ショップで発見。関東雛あられの砂糖掛け大豆とは違って、たっぷりの砂糖衣がツルツルに掛かっています。殆ど白だったけど、中に緑のもあった。

食品成分表には「なお、四訂成分表の『源平豆』は、ほとんどみられなくなったので、『三島豆』に名称変更した。」と書いてある。「三島豆」もほとんど見られなくなってますがね。

「源平豆」って知ってる?とAJ母に聞いてみた。
すると「源氏豆なら知っている」との返事。ただし、三嶋豆とは異なり、大豆じゃなくてピーナツだったとのこと。えー?と思いながらGoogle先生に聞いてみる。なんと近所のみなとやで売っていた!しかし既に廃番。店舗に行っても置いてなかった。残念・・・
恐らく、元祖の源平豆は中が大豆かつ砂糖衣が紅白で、白一色のやつを源氏豆と言ってたんだろうね。それが大豆よりピーナツの方が美味しいということになって、紅白のも源氏豆と言われるようになって・・・でも廃れてしまったんだな。結局残ったのは元祖?の三嶋豆。でも、いつまで残れるのか、頑張れ三嶋豆ー。

密教、ていうか仏教って

私は、幼稚園がキリスト教系だったのでキリスト様に関する最低限の知識はそこで習った。大人になってヨーロッパを旅して、聖書を知らないと意味が分からんな(特に絵画)、と思って聖書を買って読んだ。理解したとは言えないけど、大雑把には把握できた、と思う。

仏教についてはサッパリ。お釈迦様が開祖だということを学校で習って、あとはお釈迦様の生涯についてマンガでかじった程度。今昔物語の天竺編で出典が○○経と書いてあるのをみて、お経ってそんなことが書いてあるのかー!と思った。呪文だと思ってた。お経ってお釈迦様の生涯とか言ったこととかが書いてある=新約聖書みたいなものなのね、とその時点では思っていたのだった。

高野山に行こう、と決めて、宿坊に泊まるんだから写経もしよう、というわけで、般若心経を読んでみた。愛弟子に呼びかけるところとかあって、お釈迦様の言葉を書いたのだと判るのだが、最後の方の有名な「ぎゃーてぃぎゃーてぃ・・・」は意味がナイ。呪文だから訳しちゃいけないのだそうだ。なんだやっぱり呪文だったのか。仏教には呪文があるのね。

さて本題に入る。空海様が日本に伝えた密教=真言宗の、「密」は秘密ということで、「真言」とは呪文のこと。つまり、呪文こそが大事であり、呪文(正確には呪文だけじゃないけど)を通じて何かを実現する、魔法使い的な世界なのだった。今昔物語に陰陽師みたいに描かれていたのは、こういう拝啓あってのことだろう。空海様って呪文の達人だったのね。テクマクマヤコーン。

お釈迦様は、呪文を用いて奇跡を起こしたことがあっても、困ったら呪文を使えとは言ってない気がするな。どこからそうなったのかな、と思いながら、曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)の解説を眺める。真ん中に大日如来がいて、周辺に釈迦如来というのがいる・・・あれ?如来って全部お釈迦様なんじゃないの?

違ったー!
私はずっと、如来も菩薩も、お寺にいる仏像は全部お釈迦様の変身した姿か、お釈迦様の弟子なんだと思っていた。キリスト教の教会みたいに。
教会に入る時には「イエス様、こんにちはー」と挨拶(心の中で)するのと同じで、お寺に入る時は「お釈迦様、こんにちはー」と呼びかけていたのだったが、お釈迦様じゃなかったんだー! いろんな仏様ごめんなさいー!!

そういえば般若心経は、観自在菩薩(観音菩薩)が修行した時、と始まる。私はてっきり自分のことを三人称で語っているのだときめつけていたけど、別人ていうか、先輩の話をしていたのね。
お釈迦様は、如来が、菩薩が、ああ言ったこう言ったと言っている。お釈迦様の信じていたことを信じると言う意味ではいいのかもだけど、仏教はお釈迦様が始める前からあったので、開祖というのはいかがなものか。
まぁでも、キリスト様は自分を祀れとか自分を通じて神を信じろとか全然言ってないのに、いつのまにかそういうことになり、ユダヤ教を迫害するに至る矛盾を考えると、仏教の矛盾の方がましな気がする。

お釈迦様以外にもたくさん如来がいるんだから、仏教って多神教なんだな。でも広辞苑みてもwikiを見ても、そうは書いていない。一神教=キリスト教、イスラム教。多神教=ヒンズー教、ローマ神話。仏教については触れないで、ってことらしい。察するに、多神教ぽい仏教も一神教ぽい仏教も存在するのだろうね。

とにかく、仏教はわかりにくい宗教だ、ということだけが良くわかったのだった。