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2009年10月4日

安平古堡

先週休んだらもう終わったのかと思われたようで、台南は食べるだけだったのかと言われた。いやいや食べるだけのために行ったんじゃないって。古都台南は見所がたくさんあって見物に1日掛かります(1日だけかよ!)
歌舞伎とかに詳しい方なら「国姓爺合戦」をご存知かと思いますが、中華民族の英雄、鄭成功がオランダを打ち破って台湾を漢民族の手に取り戻した時に都が置かれたのが台南。ていうか、破られる前にオランダが本拠地を置いていたのが台南と言う方が正確かな。海戦を制して海岸に近いお城を制圧するところから始まるのを歴史小説で予習しておいた。地図で海の近くにある城跡が安平古堡だったので、朝からここへ向かう。交差点で信号待ちの間にバス(30分に1本)に逃げられた・・・(泣)。
無事に安平に付き、入場料を払って中に入る。今でも海を睨むように立っている鄭成功様の像。後ろに小さく見えているとんがり屋根が安平古堡、ていうか展望台。ずいぶん無粋なものを建てたものだ。もう少しそれっぽく作ればいいのに・・・古堡というけれど、ゼーランジャ(熱蘭遮)城跡と言えるものはレンガの壁(黒砂糖と蜂蜜で固めたのだとか。蟻が穴を開けそう・・・)くらい。それも今ある建物とは無関係にぽつんと建っている。海に近い高台にあるこの場所は軍事的に便利だったので、日本軍が台湾に来た時に、昔の城跡は全く無視して今の建物(展望台抜き)を作ってしまったらしい。ううう、ごめんなさい・・・昔の城跡は現在タラタラと発掘中のようでした。
無粋な展望台に登ればすぐそこに海が見えるのかと思ったら、結構遠かった。この写真で判りますかね。右奥に少しだけ薄く海が見えているんですけど。中央部の青い水溜りは海ではないのですが、こういう大きな水溜りが周りにたくさんあった。何かの養殖場だと思う。当時はこのお城のあたりが海岸線で、その後だいぶ海を埋め立てたんだな、確かに小説でも大きい船が入れない浅い海って書いてあった気がする、とその時は思った。でも解説文とかをよく読んでみると、鄭成功が最初に陥落させたのは台南市内にあるプロビデンシャ城の方だった。えー?海に近いお城だった気がするんだけど??と帰国後、件の小説を読み直してみると、なんとゼーランジャ城は当時は海の中(島)にあるのだった・・・東京湾だって昔は浅草で海苔が取れたんだから、そうびっくりすることでもないのかもだけど、ずいぶん規模の大きい浅瀬だったらしい。オランダと言ったら干潟だもんね。オランダ人から見て台南こそが天然の良港に見えたのかもしれない。台南市内はあまり海っぽいとは思わなかったが、安平は海に近い観光地な感じがした。キレイに整備された運河も近くにあって気持ちのよい街だった。
見物して豆花とエビ巻きを食べて、さて市内に戻ろうと思ったけどバス停の場所が判らない。うろうろした結果、何人かの観光客らしい人たちが並んでいるバス停を発見。たぶんここだろう、とまた待つこと30分。間違いなく駅行きのバスが来たのだが、停まらずに過ぎ去ってしまう。ええええっ!!と思ったのは私だけではなく、みんな「げー信じられない」と言っていたのだが(たぶん)、しかしよくあることなのか、ちえ、という感じで皆さん散っていった。困った。でもまた次を待つのは面倒なのでタクシーに乗って市内に戻ることにしたのだった。

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