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2017年8月20日

薬の外郎 歴史編(2)

本家の京都外郎家は「外郎」の名の通り(正確には、字の通りの中国の外交官ではないのだが)、対明貿易にも関わっていたのだが、小田原から明国は遠すぎる。たぶん小田原外郎家には外交官としての働きは誰も求めなかったんだと思う。小田原に根付いた時点で当人も薬屋(薬種問屋は含む)として生きていくつもりだったろう。

お薬(或いは香料)を売る相手として、京都ならお公家様がいるけど小田原(ていうか京都以外)にはいない。そもそも京都や大阪のような大都会に比べて、小田原(を含む関東)はお金持ちの数が圧倒的に少ない。セレブ相手の商売には不利なんだよね。

というわけで恐らく、小田原外郎家は早くから庶民を相手に商売を始めたのだと思う。

最初は「街道薬」として有名になった。
街道薬てのは、街道を通る人が買うお薬で、旅の友であり、お守りであり、そして何よりお土産としても通用するもの。軽くてかさばらないし、実用的でいいお土産だよね。
参勤交代の制度もあって街道インフラが整備され、平和な時代が続いてだんだん余裕も出来、江戸時代の中期以降は、庶民も旅ができるようになる。今でいうと世界一周みたいな感じかな。誰もが行けるわけじゃないけど、宇宙旅行ほど夢のようなことでもない。暇とお金があれば案外安全に旅ができる。
小田原は東海道五十三次の中でもかなり大きい城下町。京都まで行かなくても伊勢まで、或いはもっと手軽に箱根まで。小田原まで行くと江戸人が大好きな富士山もだいぶ近くに見えるしさ。
小田原ういろう本店は、今でも国道一号沿いに堂々としたお城を構えています。(本当にお城風なんだよう)。

これだけなら他の街道薬も負けていません。寺社のお薬もいろいろある。

小田原外郎がすごいのは、なんといっても歌舞伎の「外郎売」で売り出したことなのである。

お正月に見たブラタモリでは、初代團十郎が成田不動尊を売り出した話をやっていた。二代目を授かったことが嬉しかったのだそうだ。二代目は持病が治ったのがうれしくて、小田原外郎を勝手に売り込んでくれた、とういろう家は言っているが・・・PRを頼んだんだと思うなー。そりゃよく効いていい薬だと思ったから応じたのだろうけど。
外郎売は口上の面白さもあって爆発的なヒット。日本各地に外郎はあるのに、本家は京都なのに、「外郎=小田原名物」とみんなが思うようになった。これって昭和のTVコマーシャルにより、「ういろう=青柳ういろう=名古屋名物」と思われてるのと同じ構図よね。

小田原外郎は、東海道膝栗毛にも出てくる。お薬の外郎をお菓子の外郎だと思って食べてしまう話なのだが、そんなの間違えるわけないだろ!と思うから笑えるのであって、 両方の外郎を知らないと「ふーん?」で終わってしまう。それだけお薬もお菓子もみんなに知られていたってことよねぇ。

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