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2012年11月24日

過去メモ(4:大学生)

1973年のピンボール(村上春樹):僕と転がり込んできたふたご。街を出ていくねずみ。僕が入れ込むピンボール「スリーフリッパーのスペースシップ」。口あたりがいいとは言えないけど後味の悪さはなくて、高級すぎず低級過ぎず、日常のような、それでいてもっと透徹な非日常。双子がとてもいい。冒頭の駅と犬のくだりも。「僕」も含めてみんなよく判らない人だらけなのだが、そういう意味での「人物描写」なんて興味ないんだろうなぁ。このストーリー、この描写、この行動、これで十分人物が描けているんだもんね。人なんて判らないのが正しい。どうでもよさげな舞台設定とか風景描写も好き。映像的だよね。どういう本を読んできた人なんでしょうか。とりあえず「風の歌」よりこっちの方が好き。(「風の歌を聴け」がマイベスト村上春樹だと思っていたのに、ピンボールの方が好きだったのか。忘れてた自分にびっくり・・・)

海の向こうで戦争が始まる(村上龍):風のような時代感覚を持つ春樹氏に較べて、こちらの村上さんは旧時代のしっぽを多分に残してらっしゃる。「透明なブルー」よりその傾向は強まったですね。ま、それがこの人の個性だったりするんだろうけど。新しそうに見えてもこの人の考え方は古いよ。いいか悪いかは別にしてだけどさ。物語の目的というか組み立てはハッキリしている。文章は相変わらず力任せで汗をかいている感じ。文の調子がどうも乱暴なんだよな。しかしフィニーと僕の乾いた会話、特にフィニーのセリフから海の向こうのおどろおどろしい記述がフラッシュバックする手法はお見事。突然帰ってくるのもいい。『わたし小さいころ犬を飼っていたのよ』とかね。重たいテーマを実に重たく暗く陰惨に描いているのですが乾いているから「怖い話」(江戸川乱歩とか)とは一線を画すブンガクになっています。現実と夢、どっちつかずの「海の向こう」は良かったね。『あれは夢だろうか-いいえ、あなたの見ているのは現実よ。でも私たちには関係のないこと。』 そうなんだよなー。上達しましたねー。(全くえらそうに)

新しい人よ眼ざめよ(大江健三郎):読み始めはかなりかったるかったんだけど、途中から一気呵成に読まされました。やっぱりうまいよねこの人。自分を/自分の息子を、よく客観視/主観視して描けるものだ。うまいよねー。親馬鹿なんだけど親馬鹿の所にとどまっていず・・・すごいよねー。イーヨー、光くんもすごいけど。最初不気味に登場してじきに素晴らしく光り輝く存在に。演出もうまいが本人がやっぱり魅力的でもあるんだろうね。大江氏にとってこの作品は、物語でも体験記でもなく、書くという作業によって何かを掴もう、定義しようという手段であるわけですね。それが文学の「正しい形」だったりするんじゃないかな。誰のためでもなく自分自身のために書く。「古い」考え方ではあるけどやっぱりそうであってほしいものだ。こういう本が巷でどんどん売れてたりすると、文学少女としては生きやすいのだけれど。受け狙いや暇つぶしや実験ばっかりじゃなくて、こういうまじ!な作品もとても好き。大江先生、十年一日と言われようとも、めげずにがんばれー!(ノートの中ではこれが最高得点でした)

十八歳、海へ(中上健次):疲れたー。「読みがい」のある本でした。短編集ですが玉石混交。古い本で1960年代に書かれたものと思いますが(正解は1977年でした)、古いし硬い。懸命に生きようとする哲学青年の挫折を文学チックに扱っているのですが・・・古いよ。この中では「海へ」が好き。イントロが長すぎだけど、海に包まれ、海を包んでいくラストの方は結構迫力がある。海へ-。男性と言うのはこうでなくちゃと言う面がやはりあると思うし。たぶんなりゆきでこうなっちゃったんだろうとは思うけど。全体に「昨日の」小説かな。古い本だから当たり前かもだけど。重く暗く陰鬱、何を書いても私小説、的な。いいんだけど別に。

石の眼(安部公房):お久しぶりの安部公房。筋は、ダムの建設ハンターイ!無意味なダム建設はやめろー!異議ナーシ!という感じの社会は小説に「藪の中」要素を持ち込んだもの。でも最後にわかっちゃうから推理小説と取るべきなのかな。いけなくはないけど、普通に安部公房している作品の方が好きだな。みっちり下調べして社会を浮き彫りに松本清張しても結局「文学」チックになってしまうので説得力に欠ける。麻子さん『私は陽気な娘・・・悔いを知らない娘・・・』はいいけど、後の人はあんまり。「石を食う虫の話」は光ってますが。囲みになっているところが砂の女ぽいけど。この手は有効だね。ま、その、とにかく、その時代に読まないとインパクトが薄れるという見本のような本でした。おわり。

男のポケット(丸谷才一):前に何だったかエッセイを借りたら、内容がとても高度で付いていけなかったのだが、これなら誰でも大丈夫。文章が劇的にうまいですねー。旧かなつかいがこれほどすらすら読めるってのは文章がうまいからだ。書いている内容も素敵。エッセイって文は人なり、だ。(確かに自分の感想文を再読しても、文は人なりだと痛感する・・・)。旧かなを使っていますが文体はむしろナウい(ああ懐かしい形容詞・・)。オレンジ色のニクいヤツ(夕刊フジ)への連載だったことからか内容はとてもとっつきやすい。人格者としての丸谷先生にほれ込んでしまいますねー。新幹線に乗る時には是非本を持っていこう。図書館の本じゃダメかな。(丸谷先生は先日お亡くなりになってしまいました。寂しい。)

 村上朝日堂(村上春樹・安西水丸):エッセイって人柄が出ると前にも書いたけど、ほんとねーという感じ。春樹氏がすっかり32歳のおじさんしてて、あーこういう人なのね、A型山羊座のストイックがサービス精神で明るさを振りまくとこうなるんだーと思った。豆腐好きなんだって。食べ物にやたら興味をもつのはいいことだと思うのだ。そうかーA型山羊座も開けるとこうなるのかー。いつもの作品では大変そうな春樹氏がゆったり腰かけてて、そこにしっかり存在してて、「あ、かわいい」とかいう。作家はこうでなくちゃね。エッセーはA型作家の解放区。と、すっかり占い談義になってしまいました。おわり。

カンガルー日和(村上春樹):軽いタッチのスケッチ風短編集。
・カンガルー日和:カンガルーの赤ん坊を見に行く話。ピンボールの時の配電盤のお母さんみたいなキーワードとしてのカンガルー。
・4月のある晴れた朝に100パーセントの女のこと出会うことについて:こういう風に考えているひと結構多いのでしょうね。どこかにいる100パーセントの女のこ。
・眠い:白いもやもやと結婚願望と・・・これあんまり好きじゃない
・タクシーに乗った吸血鬼:ありそうな話。冒頭の悪いことは重なる、の所と最後の彼女に電話するくだり『練馬ナンバーの黒塗りのタクシーには乗らない方がいいよ』『心配してくれてるのね』『もちろん』この辺がいい。
・彼女の街と彼女の緬羊:『札幌の街にあっては雪はそれほどロマンティックなものではない。どちらかというとそれは評判の悪い親戚みたいに見える』。うまい!札幌の小さなホテルのテレビで見掛けた遠い街の役場に勤める広報課の彼女。ここから空想が膨らんでしまうのだが・・・いまいち。
・あしか祭り:星新一じゃないんだからさー。ラストのあしかのステッカーを車に貼っちゃって『取れにくかったと思う」というのがおかしい。
・鏡:安部公房風ですが、これはうまい。ラストの、この家には鏡がない、というどんでん返しが鮮やか。これは半分実体験なんだろうけど、しかし文章のうまさよ。
・1963/1982年のイパネマ娘:形而上学的な足の裏を持った女の子かー。これもラストの『レコードの最後の一枚が擦り切れるまで、彼女は休むことなく歩き続ける』が秀逸。
・バートバカラックはお好き?:モーツァルトはお好き?の現代団地版。モーツァルトの方を読んでないと意味わかんないのでは?
・5月の海岸線:『朝の光、コーヒーの香り、人々の眠たげな目、まだ損なわれてはいない一日』ううむ。海岸線の上に立つ高層住宅群かー。実際あれは昔を知る人にとっては絶望的な風景ではあるよね。幕張の潮干狩を思いだすと、僕ですらこの建物たちは何なんだと思うもの。君たちは崩れ去るだろうとは言わないけどさ。
・駄目になった王国:題名がまずふるってる。王国の描写もいいけど、タイトルの勝利。
・32才のデイトリッパー:そうねー。ほんとに若い頃は年をとったら戻りたいと思うんだろうなーと思ったものだが実際に年をとってみると大してうらやましくもなかったりするんだよなー。一度で十分。なるほどねー。『電柱を数えるのにも飽きた/三十二才の/デイトリッパー』。なるほどねー。(さらに年をとってみて、ほんとにそう思う。人生は一度で十分だ。)
・とんがり焼の盛衰:とんがりコーン? とんがり鴉かぁ。これはほとんど公房的世界だね。時々ゴシックになるのも乾いたシュールさも。
・チーズケーキのような形をした僕の貧乏:こういう内容の方が春樹氏っぽい。三角地帯がいきなり『チーズケーキのような』なんですからね。ま、内容はないんだけどさ。
・スパゲティーの年に:これありそうでいい。「悪いけど、今スパゲティーをゆでているところなんだよ」と空想のスパゲティーを茹でる。『お金のこともあるし』『うん』『返してほしいのよ』『悪いけど』『スパゲティーね』『うん』ありそうな会話だよなーこれ。
・かいつぶり:これも公房的。いきなり、手乗りかいつぶり、なんだもんよー。実験的。
・サウスベイストラット:曲のためのBGMっていいね。内容はハードボイルド。春樹君が俺なんていうと気持ち悪いよ。
・図書館奇譚:SF冒険小説。でも細部にちりばめられた言葉が素敵だな。『時間だって永久運動ではない。来週のない今週だってあるのだ。先週のない今週だってあったのだ。』伏線も綺麗に張れていて安心して読める。とにかくラストがどれもうまいよ。

中国行きのスロウ・ボート(村上春樹):中国かぁ・・・実際近いのにあまりに遠いね。中国って他の国よりむしろ遠い感じなんだよね(実際今よりずっと遠かったろうが、私自身は中国含めて外国に行ったことがあったわけでもなかった)。山手線の逆回りに乗せてしまった彼女。そもそも、ここは私のいる場所じゃない。うん。渋谷とかってそんな感じしない?(
(これは短編集なんだけど、表題作についてしか書いてない。あとは空白)

さようなら、ギャングたち(高橋源一郎):饒舌。おちゃらけているような、照れているような、でも中身が結構ブンガク。文章にゆとりがあるね。リアリティというか現実的と言うか・・・内容は現実的じゃないんだけど。新しい文章、なのかな。自分のスタイルを持っているというのは良いことだ。中島みゆきソングブックさん、好き。名前が死んで川を流れている所も好き。キャラウェイの所も冷蔵庫のくだりもいいな。とりとめのないように見えて計算しつくされているんだろうな。判りにくいと言えば分りにくいのだが、でも判りやすいよ。とにかく、僕は好きですよこれ。

以上で過去シリーズは終わり。昔読んだものも読み直したくなる今日この頃。

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