クリスマスまであと1か月を切り、AJ家にもようやくクリスマス飾りが登場しました。
今年から毎月分散した「大掃除」は、まだ結構残ってはいるけど、この三連休で窓とレンジフードが終わってだいぶ追いついた気分。
そうそう、職場のNちゃんに、カビキラーした上にラップを掛けておくと、劇的にきれいになりますよーと言われて、どれどれと試してみたけど、ほんとにキレイになって感動しました。ブラシでごしごしの必要もなく、ただ泡泡させたあとに、ピーッとラップを貼って放っておくだけ。数時間してラップを 剥がして水で洗って出来上がり。お手軽~。築10年のAJ家は、新築のようにはきれいにならなかったけど、もっと早めに手をうっておけばピカピカを保てたのかも。反省。ま、それでもこれだけキレイになればいいやと思えるくらいにはなったので、お風呂場のカビに困っている方は是非お試しを。
だいぶ寒くなってきたので、冬のセーターも投入。コートもマフラーも手袋も出したので、これ以上寒くなったら、あとはババシャツにお任せだー。湯たんぽもココアもスタンバイ。冬には冬の楽しみがあるなー。
2012年11月25日
柿の種
柿の季節が終わらない内に柿の種を取り上げようとは思っていたのだが、缶入りのがなかなか見つからず。明治屋で、袋入りだけど缶のと同じ絵が付いているのを見つけたので、もうこれでいいことにした(笑)。
ちょっと反射して見にくいですが右側の袋に描いてある絵が四角い缶に描いてあったんだよう。(浪花屋のサイトを参照)
今更知らない人はいないと思うが、ちょっと辛めの小さいおせんべ。果物の柿の種に形が似ているから「柿の種」というのだった。
・・・あんまり似ている気がしないんですけど。柿のタネってもっと丸っこいよね?そもそも種がない柿も多いし・・・昔の柿のタネは痩せていたのか?とGoogle先生に聞いてみると、渋柿のタネに似ているのだそうだ。証拠写真がwikiにある。下が渋柿。なるほどこれはそっくりだ。
今はどこのスーパーにもコンビニにも普通に売っているから、知らない人もいるかもだけど、これって新潟銘菓なのだよ。AJが子供の頃には、新潟土産として缶入りの(結構な大きさの)をもらっていた気がする。今の缶には小分けされた袋で入っているようだが、昔はざらざらとそのまま入っていたような。で、湿気ると一塊になっていたような気がする。
元祖柿の種は、この絵柄の浪花屋製菓さんですが、元祖「柿ピー」を売り出したのは、亀田製菓さんだそうで。昨今スーパーにあるのはこちらですね。柿の種の辛さをピーナツが和らげる絶妙な組み合わせ。柿の種だけだとお供はお茶になるけど、ピーナツが入るとアルコールOKになるのが不思議。「柿ピー」が標準だと思うが、「ピー柿」という言い方があることも今wikiで知った。「ピー柿」はピーナツの方が柿の種よりも多いのかね?
ちょっと反射して見にくいですが右側の袋に描いてある絵が四角い缶に描いてあったんだよう。(浪花屋のサイトを参照)
今更知らない人はいないと思うが、ちょっと辛めの小さいおせんべ。果物の柿の種に形が似ているから「柿の種」というのだった。
・・・あんまり似ている気がしないんですけど。柿のタネってもっと丸っこいよね?そもそも種がない柿も多いし・・・昔の柿のタネは痩せていたのか?とGoogle先生に聞いてみると、渋柿のタネに似ているのだそうだ。証拠写真がwikiにある。下が渋柿。なるほどこれはそっくりだ。
今はどこのスーパーにもコンビニにも普通に売っているから、知らない人もいるかもだけど、これって新潟銘菓なのだよ。AJが子供の頃には、新潟土産として缶入りの(結構な大きさの)をもらっていた気がする。今の缶には小分けされた袋で入っているようだが、昔はざらざらとそのまま入っていたような。で、湿気ると一塊になっていたような気がする。
元祖柿の種は、この絵柄の浪花屋製菓さんですが、元祖「柿ピー」を売り出したのは、亀田製菓さんだそうで。昨今スーパーにあるのはこちらですね。柿の種の辛さをピーナツが和らげる絶妙な組み合わせ。柿の種だけだとお供はお茶になるけど、ピーナツが入るとアルコールOKになるのが不思議。「柿ピー」が標準だと思うが、「ピー柿」という言い方があることも今wikiで知った。「ピー柿」はピーナツの方が柿の種よりも多いのかね?
2012年11月24日
過去メモ(4:大学生)
1973年のピンボール(村上春樹):僕と転がり込んできたふたご。街を出ていくねずみ。僕が入れ込むピンボール「スリーフリッパーのスペースシップ」。口あたりがいいとは言えないけど後味の悪さはなくて、高級すぎず低級過ぎず、日常のような、それでいてもっと透徹な非日常。双子がとてもいい。冒頭の駅と犬のくだりも。「僕」も含めてみんなよく判らない人だらけなのだが、そういう意味での「人物描写」なんて興味ないんだろうなぁ。このストーリー、この描写、この行動、これで十分人物が描けているんだもんね。人なんて判らないのが正しい。どうでもよさげな舞台設定とか風景描写も好き。映像的だよね。どういう本を読んできた人なんでしょうか。とりあえず「風の歌」よりこっちの方が好き。(「風の歌を聴け」がマイベスト村上春樹だと思っていたのに、ピンボールの方が好きだったのか。忘れてた自分にびっくり・・・)
海の向こうで戦争が始まる(村上龍):風のような時代感覚を持つ春樹氏に較べて、こちらの村上さんは旧時代のしっぽを多分に残してらっしゃる。「透明なブルー」よりその傾向は強まったですね。ま、それがこの人の個性だったりするんだろうけど。新しそうに見えてもこの人の考え方は古いよ。いいか悪いかは別にしてだけどさ。物語の目的というか組み立てはハッキリしている。文章は相変わらず力任せで汗をかいている感じ。文の調子がどうも乱暴なんだよな。しかしフィニーと僕の乾いた会話、特にフィニーのセリフから海の向こうのおどろおどろしい記述がフラッシュバックする手法はお見事。突然帰ってくるのもいい。『わたし小さいころ犬を飼っていたのよ』とかね。重たいテーマを実に重たく暗く陰惨に描いているのですが乾いているから「怖い話」(江戸川乱歩とか)とは一線を画すブンガクになっています。現実と夢、どっちつかずの「海の向こう」は良かったね。『あれは夢だろうか-いいえ、あなたの見ているのは現実よ。でも私たちには関係のないこと。』 そうなんだよなー。上達しましたねー。(全くえらそうに)
新しい人よ眼ざめよ(大江健三郎):読み始めはかなりかったるかったんだけど、途中から一気呵成に読まされました。やっぱりうまいよねこの人。自分を/自分の息子を、よく客観視/主観視して描けるものだ。うまいよねー。親馬鹿なんだけど親馬鹿の所にとどまっていず・・・すごいよねー。イーヨー、光くんもすごいけど。最初不気味に登場してじきに素晴らしく光り輝く存在に。演出もうまいが本人がやっぱり魅力的でもあるんだろうね。大江氏にとってこの作品は、物語でも体験記でもなく、書くという作業によって何かを掴もう、定義しようという手段であるわけですね。それが文学の「正しい形」だったりするんじゃないかな。誰のためでもなく自分自身のために書く。「古い」考え方ではあるけどやっぱりそうであってほしいものだ。こういう本が巷でどんどん売れてたりすると、文学少女としては生きやすいのだけれど。受け狙いや暇つぶしや実験ばっかりじゃなくて、こういうまじ!な作品もとても好き。大江先生、十年一日と言われようとも、めげずにがんばれー!(ノートの中ではこれが最高得点でした)
十八歳、海へ(中上健次):疲れたー。「読みがい」のある本でした。短編集ですが玉石混交。古い本で1960年代に書かれたものと思いますが(正解は1977年でした)、古いし硬い。懸命に生きようとする哲学青年の挫折を文学チックに扱っているのですが・・・古いよ。この中では「海へ」が好き。イントロが長すぎだけど、海に包まれ、海を包んでいくラストの方は結構迫力がある。海へ-。男性と言うのはこうでなくちゃと言う面がやはりあると思うし。たぶんなりゆきでこうなっちゃったんだろうとは思うけど。全体に「昨日の」小説かな。古い本だから当たり前かもだけど。重く暗く陰鬱、何を書いても私小説、的な。いいんだけど別に。
石の眼(安部公房):お久しぶりの安部公房。筋は、ダムの建設ハンターイ!無意味なダム建設はやめろー!異議ナーシ!という感じの社会は小説に「藪の中」要素を持ち込んだもの。でも最後にわかっちゃうから推理小説と取るべきなのかな。いけなくはないけど、普通に安部公房している作品の方が好きだな。みっちり下調べして社会を浮き彫りに松本清張しても結局「文学」チックになってしまうので説得力に欠ける。麻子さん『私は陽気な娘・・・悔いを知らない娘・・・』はいいけど、後の人はあんまり。「石を食う虫の話」は光ってますが。囲みになっているところが砂の女ぽいけど。この手は有効だね。ま、その、とにかく、その時代に読まないとインパクトが薄れるという見本のような本でした。おわり。
男のポケット(丸谷才一):前に何だったかエッセイを借りたら、内容がとても高度で付いていけなかったのだが、これなら誰でも大丈夫。文章が劇的にうまいですねー。旧かなつかいがこれほどすらすら読めるってのは文章がうまいからだ。書いている内容も素敵。エッセイって文は人なり、だ。(確かに自分の感想文を再読しても、文は人なりだと痛感する・・・)。旧かなを使っていますが文体はむしろナウい(ああ懐かしい形容詞・・)。オレンジ色のニクいヤツ(夕刊フジ)への連載だったことからか内容はとてもとっつきやすい。人格者としての丸谷先生にほれ込んでしまいますねー。新幹線に乗る時には是非本を持っていこう。図書館の本じゃダメかな。(丸谷先生は先日お亡くなりになってしまいました。寂しい。)
村上朝日堂(村上春樹・安西水丸):エッセイって人柄が出ると前にも書いたけど、ほんとねーという感じ。春樹氏がすっかり32歳のおじさんしてて、あーこういう人なのね、A型山羊座のストイックがサービス精神で明るさを振りまくとこうなるんだーと思った。豆腐好きなんだって。食べ物にやたら興味をもつのはいいことだと思うのだ。そうかーA型山羊座も開けるとこうなるのかー。いつもの作品では大変そうな春樹氏がゆったり腰かけてて、そこにしっかり存在してて、「あ、かわいい」とかいう。作家はこうでなくちゃね。エッセーはA型作家の解放区。と、すっかり占い談義になってしまいました。おわり。
カンガルー日和(村上春樹):軽いタッチのスケッチ風短編集。
・カンガルー日和:カンガルーの赤ん坊を見に行く話。ピンボールの時の配電盤のお母さんみたいなキーワードとしてのカンガルー。
・4月のある晴れた朝に100パーセントの女のこと出会うことについて:こういう風に考えているひと結構多いのでしょうね。どこかにいる100パーセントの女のこ。
・眠い:白いもやもやと結婚願望と・・・これあんまり好きじゃない
・タクシーに乗った吸血鬼:ありそうな話。冒頭の悪いことは重なる、の所と最後の彼女に電話するくだり『練馬ナンバーの黒塗りのタクシーには乗らない方がいいよ』『心配してくれてるのね』『もちろん』この辺がいい。
・彼女の街と彼女の緬羊:『札幌の街にあっては雪はそれほどロマンティックなものではない。どちらかというとそれは評判の悪い親戚みたいに見える』。うまい!札幌の小さなホテルのテレビで見掛けた遠い街の役場に勤める広報課の彼女。ここから空想が膨らんでしまうのだが・・・いまいち。
・あしか祭り:星新一じゃないんだからさー。ラストのあしかのステッカーを車に貼っちゃって『取れにくかったと思う」というのがおかしい。
・鏡:安部公房風ですが、これはうまい。ラストの、この家には鏡がない、というどんでん返しが鮮やか。これは半分実体験なんだろうけど、しかし文章のうまさよ。
・1963/1982年のイパネマ娘:形而上学的な足の裏を持った女の子かー。これもラストの『レコードの最後の一枚が擦り切れるまで、彼女は休むことなく歩き続ける』が秀逸。
・バートバカラックはお好き?:モーツァルトはお好き?の現代団地版。モーツァルトの方を読んでないと意味わかんないのでは?
・5月の海岸線:『朝の光、コーヒーの香り、人々の眠たげな目、まだ損なわれてはいない一日』ううむ。海岸線の上に立つ高層住宅群かー。実際あれは昔を知る人にとっては絶望的な風景ではあるよね。幕張の潮干狩を思いだすと、僕ですらこの建物たちは何なんだと思うもの。君たちは崩れ去るだろうとは言わないけどさ。
・駄目になった王国:題名がまずふるってる。王国の描写もいいけど、タイトルの勝利。
・32才のデイトリッパー:そうねー。ほんとに若い頃は年をとったら戻りたいと思うんだろうなーと思ったものだが実際に年をとってみると大してうらやましくもなかったりするんだよなー。一度で十分。なるほどねー。『電柱を数えるのにも飽きた/三十二才の/デイトリッパー』。なるほどねー。(さらに年をとってみて、ほんとにそう思う。人生は一度で十分だ。)
・とんがり焼の盛衰:とんがりコーン? とんがり鴉かぁ。これはほとんど公房的世界だね。時々ゴシックになるのも乾いたシュールさも。
・チーズケーキのような形をした僕の貧乏:こういう内容の方が春樹氏っぽい。三角地帯がいきなり『チーズケーキのような』なんですからね。ま、内容はないんだけどさ。
・スパゲティーの年に:これありそうでいい。「悪いけど、今スパゲティーをゆでているところなんだよ」と空想のスパゲティーを茹でる。『お金のこともあるし』『うん』『返してほしいのよ』『悪いけど』『スパゲティーね』『うん』ありそうな会話だよなーこれ。
・かいつぶり:これも公房的。いきなり、手乗りかいつぶり、なんだもんよー。実験的。
・サウスベイストラット:曲のためのBGMっていいね。内容はハードボイルド。春樹君が俺なんていうと気持ち悪いよ。
・図書館奇譚:SF冒険小説。でも細部にちりばめられた言葉が素敵だな。『時間だって永久運動ではない。来週のない今週だってあるのだ。先週のない今週だってあったのだ。』伏線も綺麗に張れていて安心して読める。とにかくラストがどれもうまいよ。
中国行きのスロウ・ボート(村上春樹):中国かぁ・・・実際近いのにあまりに遠いね。中国って他の国よりむしろ遠い感じなんだよね(実際今よりずっと遠かったろうが、私自身は中国含めて外国に行ったことがあったわけでもなかった)。山手線の逆回りに乗せてしまった彼女。そもそも、ここは私のいる場所じゃない。うん。渋谷とかってそんな感じしない?(
(これは短編集なんだけど、表題作についてしか書いてない。あとは空白)
さようなら、ギャングたち(高橋源一郎):饒舌。おちゃらけているような、照れているような、でも中身が結構ブンガク。文章にゆとりがあるね。リアリティというか現実的と言うか・・・内容は現実的じゃないんだけど。新しい文章、なのかな。自分のスタイルを持っているというのは良いことだ。中島みゆきソングブックさん、好き。名前が死んで川を流れている所も好き。キャラウェイの所も冷蔵庫のくだりもいいな。とりとめのないように見えて計算しつくされているんだろうな。判りにくいと言えば分りにくいのだが、でも判りやすいよ。とにかく、僕は好きですよこれ。
以上で過去シリーズは終わり。昔読んだものも読み直したくなる今日この頃。
海の向こうで戦争が始まる(村上龍):風のような時代感覚を持つ春樹氏に較べて、こちらの村上さんは旧時代のしっぽを多分に残してらっしゃる。「透明なブルー」よりその傾向は強まったですね。ま、それがこの人の個性だったりするんだろうけど。新しそうに見えてもこの人の考え方は古いよ。いいか悪いかは別にしてだけどさ。物語の目的というか組み立てはハッキリしている。文章は相変わらず力任せで汗をかいている感じ。文の調子がどうも乱暴なんだよな。しかしフィニーと僕の乾いた会話、特にフィニーのセリフから海の向こうのおどろおどろしい記述がフラッシュバックする手法はお見事。突然帰ってくるのもいい。『わたし小さいころ犬を飼っていたのよ』とかね。重たいテーマを実に重たく暗く陰惨に描いているのですが乾いているから「怖い話」(江戸川乱歩とか)とは一線を画すブンガクになっています。現実と夢、どっちつかずの「海の向こう」は良かったね。『あれは夢だろうか-いいえ、あなたの見ているのは現実よ。でも私たちには関係のないこと。』 そうなんだよなー。上達しましたねー。(全くえらそうに)
新しい人よ眼ざめよ(大江健三郎):読み始めはかなりかったるかったんだけど、途中から一気呵成に読まされました。やっぱりうまいよねこの人。自分を/自分の息子を、よく客観視/主観視して描けるものだ。うまいよねー。親馬鹿なんだけど親馬鹿の所にとどまっていず・・・すごいよねー。イーヨー、光くんもすごいけど。最初不気味に登場してじきに素晴らしく光り輝く存在に。演出もうまいが本人がやっぱり魅力的でもあるんだろうね。大江氏にとってこの作品は、物語でも体験記でもなく、書くという作業によって何かを掴もう、定義しようという手段であるわけですね。それが文学の「正しい形」だったりするんじゃないかな。誰のためでもなく自分自身のために書く。「古い」考え方ではあるけどやっぱりそうであってほしいものだ。こういう本が巷でどんどん売れてたりすると、文学少女としては生きやすいのだけれど。受け狙いや暇つぶしや実験ばっかりじゃなくて、こういうまじ!な作品もとても好き。大江先生、十年一日と言われようとも、めげずにがんばれー!(ノートの中ではこれが最高得点でした)
十八歳、海へ(中上健次):疲れたー。「読みがい」のある本でした。短編集ですが玉石混交。古い本で1960年代に書かれたものと思いますが(正解は1977年でした)、古いし硬い。懸命に生きようとする哲学青年の挫折を文学チックに扱っているのですが・・・古いよ。この中では「海へ」が好き。イントロが長すぎだけど、海に包まれ、海を包んでいくラストの方は結構迫力がある。海へ-。男性と言うのはこうでなくちゃと言う面がやはりあると思うし。たぶんなりゆきでこうなっちゃったんだろうとは思うけど。全体に「昨日の」小説かな。古い本だから当たり前かもだけど。重く暗く陰鬱、何を書いても私小説、的な。いいんだけど別に。
石の眼(安部公房):お久しぶりの安部公房。筋は、ダムの建設ハンターイ!無意味なダム建設はやめろー!異議ナーシ!という感じの社会は小説に「藪の中」要素を持ち込んだもの。でも最後にわかっちゃうから推理小説と取るべきなのかな。いけなくはないけど、普通に安部公房している作品の方が好きだな。みっちり下調べして社会を浮き彫りに松本清張しても結局「文学」チックになってしまうので説得力に欠ける。麻子さん『私は陽気な娘・・・悔いを知らない娘・・・』はいいけど、後の人はあんまり。「石を食う虫の話」は光ってますが。囲みになっているところが砂の女ぽいけど。この手は有効だね。ま、その、とにかく、その時代に読まないとインパクトが薄れるという見本のような本でした。おわり。
男のポケット(丸谷才一):前に何だったかエッセイを借りたら、内容がとても高度で付いていけなかったのだが、これなら誰でも大丈夫。文章が劇的にうまいですねー。旧かなつかいがこれほどすらすら読めるってのは文章がうまいからだ。書いている内容も素敵。エッセイって文は人なり、だ。(確かに自分の感想文を再読しても、文は人なりだと痛感する・・・)。旧かなを使っていますが文体はむしろナウい(ああ懐かしい形容詞・・)。オレンジ色のニクいヤツ(夕刊フジ)への連載だったことからか内容はとてもとっつきやすい。人格者としての丸谷先生にほれ込んでしまいますねー。新幹線に乗る時には是非本を持っていこう。図書館の本じゃダメかな。(丸谷先生は先日お亡くなりになってしまいました。寂しい。)
村上朝日堂(村上春樹・安西水丸):エッセイって人柄が出ると前にも書いたけど、ほんとねーという感じ。春樹氏がすっかり32歳のおじさんしてて、あーこういう人なのね、A型山羊座のストイックがサービス精神で明るさを振りまくとこうなるんだーと思った。豆腐好きなんだって。食べ物にやたら興味をもつのはいいことだと思うのだ。そうかーA型山羊座も開けるとこうなるのかー。いつもの作品では大変そうな春樹氏がゆったり腰かけてて、そこにしっかり存在してて、「あ、かわいい」とかいう。作家はこうでなくちゃね。エッセーはA型作家の解放区。と、すっかり占い談義になってしまいました。おわり。
カンガルー日和(村上春樹):軽いタッチのスケッチ風短編集。
・カンガルー日和:カンガルーの赤ん坊を見に行く話。ピンボールの時の配電盤のお母さんみたいなキーワードとしてのカンガルー。
・4月のある晴れた朝に100パーセントの女のこと出会うことについて:こういう風に考えているひと結構多いのでしょうね。どこかにいる100パーセントの女のこ。
・眠い:白いもやもやと結婚願望と・・・これあんまり好きじゃない
・タクシーに乗った吸血鬼:ありそうな話。冒頭の悪いことは重なる、の所と最後の彼女に電話するくだり『練馬ナンバーの黒塗りのタクシーには乗らない方がいいよ』『心配してくれてるのね』『もちろん』この辺がいい。
・彼女の街と彼女の緬羊:『札幌の街にあっては雪はそれほどロマンティックなものではない。どちらかというとそれは評判の悪い親戚みたいに見える』。うまい!札幌の小さなホテルのテレビで見掛けた遠い街の役場に勤める広報課の彼女。ここから空想が膨らんでしまうのだが・・・いまいち。
・あしか祭り:星新一じゃないんだからさー。ラストのあしかのステッカーを車に貼っちゃって『取れにくかったと思う」というのがおかしい。
・鏡:安部公房風ですが、これはうまい。ラストの、この家には鏡がない、というどんでん返しが鮮やか。これは半分実体験なんだろうけど、しかし文章のうまさよ。
・1963/1982年のイパネマ娘:形而上学的な足の裏を持った女の子かー。これもラストの『レコードの最後の一枚が擦り切れるまで、彼女は休むことなく歩き続ける』が秀逸。
・バートバカラックはお好き?:モーツァルトはお好き?の現代団地版。モーツァルトの方を読んでないと意味わかんないのでは?
・5月の海岸線:『朝の光、コーヒーの香り、人々の眠たげな目、まだ損なわれてはいない一日』ううむ。海岸線の上に立つ高層住宅群かー。実際あれは昔を知る人にとっては絶望的な風景ではあるよね。幕張の潮干狩を思いだすと、僕ですらこの建物たちは何なんだと思うもの。君たちは崩れ去るだろうとは言わないけどさ。
・駄目になった王国:題名がまずふるってる。王国の描写もいいけど、タイトルの勝利。
・32才のデイトリッパー:そうねー。ほんとに若い頃は年をとったら戻りたいと思うんだろうなーと思ったものだが実際に年をとってみると大してうらやましくもなかったりするんだよなー。一度で十分。なるほどねー。『電柱を数えるのにも飽きた/三十二才の/デイトリッパー』。なるほどねー。(さらに年をとってみて、ほんとにそう思う。人生は一度で十分だ。)
・とんがり焼の盛衰:とんがりコーン? とんがり鴉かぁ。これはほとんど公房的世界だね。時々ゴシックになるのも乾いたシュールさも。
・チーズケーキのような形をした僕の貧乏:こういう内容の方が春樹氏っぽい。三角地帯がいきなり『チーズケーキのような』なんですからね。ま、内容はないんだけどさ。
・スパゲティーの年に:これありそうでいい。「悪いけど、今スパゲティーをゆでているところなんだよ」と空想のスパゲティーを茹でる。『お金のこともあるし』『うん』『返してほしいのよ』『悪いけど』『スパゲティーね』『うん』ありそうな会話だよなーこれ。
・かいつぶり:これも公房的。いきなり、手乗りかいつぶり、なんだもんよー。実験的。
・サウスベイストラット:曲のためのBGMっていいね。内容はハードボイルド。春樹君が俺なんていうと気持ち悪いよ。
・図書館奇譚:SF冒険小説。でも細部にちりばめられた言葉が素敵だな。『時間だって永久運動ではない。来週のない今週だってあるのだ。先週のない今週だってあったのだ。』伏線も綺麗に張れていて安心して読める。とにかくラストがどれもうまいよ。
中国行きのスロウ・ボート(村上春樹):中国かぁ・・・実際近いのにあまりに遠いね。中国って他の国よりむしろ遠い感じなんだよね(実際今よりずっと遠かったろうが、私自身は中国含めて外国に行ったことがあったわけでもなかった)。山手線の逆回りに乗せてしまった彼女。そもそも、ここは私のいる場所じゃない。うん。渋谷とかってそんな感じしない?(
(これは短編集なんだけど、表題作についてしか書いてない。あとは空白)
さようなら、ギャングたち(高橋源一郎):饒舌。おちゃらけているような、照れているような、でも中身が結構ブンガク。文章にゆとりがあるね。リアリティというか現実的と言うか・・・内容は現実的じゃないんだけど。新しい文章、なのかな。自分のスタイルを持っているというのは良いことだ。中島みゆきソングブックさん、好き。名前が死んで川を流れている所も好き。キャラウェイの所も冷蔵庫のくだりもいいな。とりとめのないように見えて計算しつくされているんだろうな。判りにくいと言えば分りにくいのだが、でも判りやすいよ。とにかく、僕は好きですよこれ。
以上で過去シリーズは終わり。昔読んだものも読み直したくなる今日この頃。
2012年11月18日
おもちゃカタログから
クリスマスシーズンになると(まだ1か月以上あるのに、もうシーズン到来なんですね、毎年早くなる気がするよ)、チラシに入ってくるおもちゃカタログを熱心に眺める。ほぼ買わないんだけど見ているだけで面白いのさ。
特に女の子玩具を眺めるのが好き。女の子玩具に登場するようになったら、世の中に認知されたってことよね、と思っています。スマートフォンは数年前から出ているが、「しゅっ」(フリック)ができるのはまだみたいだな。もうそろそろ出ないとまずいと思うんだけど。タブレットも出てきてる。感心したのは「お札すいっとレジスター」が付いているリカちゃんショップ。そうそう最近のレジはレジ係が数え間違いする余地がないように「お札すいっと」になってるんだよなー。
男の子玩具はあまり変わり映えしないよ・・・と見ていて、目が点になるものがあった。『変身携帯』。去年から発売されているそうです。変身するのにケータイを使うことに驚いたわけではなく、ケータイの古臭さに驚いたのですよ。ちょっと見てよこれ。ノキアのローエンド携帯にそっくり(笑)。もうちょっとカッコいいものにならないとまずいのではないかね。ま、ケータイであることがわかりやすくていいとは思うけどさ・・・
特に女の子玩具を眺めるのが好き。女の子玩具に登場するようになったら、世の中に認知されたってことよね、と思っています。スマートフォンは数年前から出ているが、「しゅっ」(フリック)ができるのはまだみたいだな。もうそろそろ出ないとまずいと思うんだけど。タブレットも出てきてる。感心したのは「お札すいっとレジスター」が付いているリカちゃんショップ。そうそう最近のレジはレジ係が数え間違いする余地がないように「お札すいっと」になってるんだよなー。
男の子玩具はあまり変わり映えしないよ・・・と見ていて、目が点になるものがあった。『変身携帯』。去年から発売されているそうです。変身するのにケータイを使うことに驚いたわけではなく、ケータイの古臭さに驚いたのですよ。ちょっと見てよこれ。ノキアのローエンド携帯にそっくり(笑)。もうちょっとカッコいいものにならないとまずいのではないかね。ま、ケータイであることがわかりやすくていいとは思うけどさ・・・
ラムネ菓子
先日朝日新聞の子供向け記事に、ソーダ飴がソーダっぽい理由が書いてあった。重曹とクエン酸が口の中で一つに混ざることで、シュワシュワと二酸化炭素が出る=二酸化炭素が溶けているソーダと同じ味っていうか食感ていうか、になる。という科学のお話。なるほど、ラムネ菓子も同じ理屈なんだな、と思ったのだった。
ソーダ飴は「日本のお菓子」とは言いにくいけど、ラムネ菓子ならいいんじゃないかな。こういうの形のお菓子、海外では見ない気がするもの。(PETSはシュワシュワしないよね・・・確か)
粉を固めた錠剤みたいな感じで、ほんわりフルーツ味。なぜか極彩色のセロファンに包まれているのがお約束。フルーツの絵が入っているセロファンの時もあったなぁ。安いからか、遠足のお仕着せお菓子(自分が買うものではなく主催者が配るもの)の常連でした。久しぶりに食べても、美味しいとかいうよりただ懐かしい(笑)。
ちなみに、「ラムネ」というのは日本語ではなく外来語で「レモネード」のことですね。ここまでは判りやすいのだが、実は「レモネード」(lemonade)が何を指すかは、アメリカとイギリスでは違うのだった。アメリカのはシュワシュワしないレモン水で、イギリスのはシュワシュワする。だから「ラムネ」はたぶんイギリスから来たんだね。wikiを見てみたら、さらに各国の情報が出ていて興味深い。
と思っていたら。。。あれ??日本語の「レモネード」ってシュワシュワしないの??うっそー。私は今の今まで、ラムネとレモネードは同じものだと思っていました。使い分けられているのか。。。
ソーダ飴は「日本のお菓子」とは言いにくいけど、ラムネ菓子ならいいんじゃないかな。こういうの形のお菓子、海外では見ない気がするもの。(PETSはシュワシュワしないよね・・・確か)
粉を固めた錠剤みたいな感じで、ほんわりフルーツ味。なぜか極彩色のセロファンに包まれているのがお約束。フルーツの絵が入っているセロファンの時もあったなぁ。安いからか、遠足のお仕着せお菓子(自分が買うものではなく主催者が配るもの)の常連でした。久しぶりに食べても、美味しいとかいうよりただ懐かしい(笑)。
ちなみに、「ラムネ」というのは日本語ではなく外来語で「レモネード」のことですね。ここまでは判りやすいのだが、実は「レモネード」(lemonade)が何を指すかは、アメリカとイギリスでは違うのだった。アメリカのはシュワシュワしないレモン水で、イギリスのはシュワシュワする。だから「ラムネ」はたぶんイギリスから来たんだね。wikiを見てみたら、さらに各国の情報が出ていて興味深い。
と思っていたら。。。あれ??日本語の「レモネード」ってシュワシュワしないの??うっそー。私は今の今まで、ラムネとレモネードは同じものだと思っていました。使い分けられているのか。。。
2012年11月11日
ゆべし
山形出身の知人の定番お土産だったせいで、私にとっては北の印象が強いゆべし。
先日、信州土産に胡桃ゆべしをもらった。
そういえば「ゆべし」ってどういう意味だろう?パソコンに「ゆべし」と入力してみたら「柚餅子」と変換された。
・・・柚子??びっくりして原材料名を確認しましたが、柚子は入っていません。主な材料は、水飴、砂糖、餅米、くるみ、醤油、黒蜜、餅粉などなど。
これとは違う「ゆべし」があるのかな?とWikiに聞いてみる。
すると、元々は柚子をくりぬいた中に何か入れて作るもの(丸柚餅子とか柚子釜とかいう)で、そこから派生して柚子容器に入れないもの→柚子を使わないもの(私の認識しているゆべし)という展開になったらしい。
そういえば去年、輪島のお土産に箱に入ったやつもらった。変色した柚子が入ってて、切って食べた。珍しいお菓子と思ったけど、あれが本来の柚餅子だったのか・・・写真撮っておけばよかった。
wikiを見てておやおやと思ったのは、ゆべしとトルコ菓子のロクムが似てる、と書いてあること。えーっ・・・そう言われると食感は似てるかもだけど、ゆべしはあんなに劇甘じゃないぞ。醤油を含んだ優しい甘から味。今日のお土産のゆべしは随分柔らかかったけど、もう少しかためのも好き。
先日、信州土産に胡桃ゆべしをもらった。
そういえば「ゆべし」ってどういう意味だろう?パソコンに「ゆべし」と入力してみたら「柚餅子」と変換された。
・・・柚子??びっくりして原材料名を確認しましたが、柚子は入っていません。主な材料は、水飴、砂糖、餅米、くるみ、醤油、黒蜜、餅粉などなど。
これとは違う「ゆべし」があるのかな?とWikiに聞いてみる。
すると、元々は柚子をくりぬいた中に何か入れて作るもの(丸柚餅子とか柚子釜とかいう)で、そこから派生して柚子容器に入れないもの→柚子を使わないもの(私の認識しているゆべし)という展開になったらしい。
そういえば去年、輪島のお土産に箱に入ったやつもらった。変色した柚子が入ってて、切って食べた。珍しいお菓子と思ったけど、あれが本来の柚餅子だったのか・・・写真撮っておけばよかった。
wikiを見てておやおやと思ったのは、ゆべしとトルコ菓子のロクムが似てる、と書いてあること。えーっ・・・そう言われると食感は似てるかもだけど、ゆべしはあんなに劇甘じゃないぞ。醤油を含んだ優しい甘から味。今日のお土産のゆべしは随分柔らかかったけど、もう少しかためのも好き。
2012年11月4日
やっと麦茶が終わった・・・
秋が駆け足で遠ざかる感じで、AJ家は冬モードに近くなってきました。こたつ布団も掛けは買ったし(敷はまだなんだけど)、お布団もババシャツも出した。マフラーとコートはまだだけど、街ではそろそろ見掛けるようになってきましたね。今週から11月だものなぁ。
一生懸命消化していた麦茶もようやく飲み終わり、緑茶/紅茶の季節になってまいりました。去年のお米も食べ終わったので、やっと新米が買えるぞー。
お買いものシーズンに向けて、リストアップも始めました。Amazonさんからもよくメールをいただくのですが、何で前に買ったもののお知らせが来るのかなー。もっと安くなりましたと言われても腹が立つだけなんだけど。自分が欲しいと思っているものがピタリと来たら気持ち悪いけど、買ったものが何度も来るのもちょっとなー。あ、kindleも買えと来てたな。AppleさんからはiPadを買えと言われた。
タブレットは買わないけど、iPod Touchをようやく買う予定にしています。何色にしようかなー。カバーもポーチも買わないとかなー。わくわく楽しい今日この頃。
一生懸命消化していた麦茶もようやく飲み終わり、緑茶/紅茶の季節になってまいりました。去年のお米も食べ終わったので、やっと新米が買えるぞー。
お買いものシーズンに向けて、リストアップも始めました。Amazonさんからもよくメールをいただくのですが、何で前に買ったもののお知らせが来るのかなー。もっと安くなりましたと言われても腹が立つだけなんだけど。自分が欲しいと思っているものがピタリと来たら気持ち悪いけど、買ったものが何度も来るのもちょっとなー。あ、kindleも買えと来てたな。AppleさんからはiPadを買えと言われた。
タブレットは買わないけど、iPod Touchをようやく買う予定にしています。何色にしようかなー。カバーもポーチも買わないとかなー。わくわく楽しい今日この頃。
麩菓子
先日「黒棒」について書きましたが、あれは麩菓子の一種か?と聞かれた。
うーん。黒棒は駄菓子だけど、麩菓子はもっと駄菓子だよなぁ・・・本場の九州では知りませんが、黒棒は駄菓子屋で売っているという認識はAJにはありません。麩菓子は駄菓子屋/駄菓子コーナーにしか売っていないけど、黒棒ならデパートの「諸国名産」コーナーにあったりするもの。
さて麩菓子。知らない方っているんですかね?焼き麩に黒糖をからめたもの(黒糖じゃないものをからめたものもあるようです)で、妙に大きいのがお約束。
あんまり美味しいものと言う印象なかったんだけど、超久しぶりに買ってみるとそんなに悪くないじゃん。普通のスナック菓子だと、ついついやめられなくて一袋食べてしまうのですが、これだと2本位食べたところで、もういいいや、という気分になれるのもいいかも。黒糖べったりついているからカロリーもそれなりにあるし、「ヘルシー」とは言えないと思うが、他の袋菓子よりはいいのではないか。
とは思うが何だか見た目が美味しそうじゃないんだよなー。なんかもうちょっとお洒落というかおいしそうなものにならないものかなぁ・・・ ぶつぶつ。
うーん。黒棒は駄菓子だけど、麩菓子はもっと駄菓子だよなぁ・・・本場の九州では知りませんが、黒棒は駄菓子屋で売っているという認識はAJにはありません。麩菓子は駄菓子屋/駄菓子コーナーにしか売っていないけど、黒棒ならデパートの「諸国名産」コーナーにあったりするもの。
さて麩菓子。知らない方っているんですかね?焼き麩に黒糖をからめたもの(黒糖じゃないものをからめたものもあるようです)で、妙に大きいのがお約束。
あんまり美味しいものと言う印象なかったんだけど、超久しぶりに買ってみるとそんなに悪くないじゃん。普通のスナック菓子だと、ついついやめられなくて一袋食べてしまうのですが、これだと2本位食べたところで、もういいいや、という気分になれるのもいいかも。黒糖べったりついているからカロリーもそれなりにあるし、「ヘルシー」とは言えないと思うが、他の袋菓子よりはいいのではないか。
とは思うが何だか見た目が美味しそうじゃないんだよなー。なんかもうちょっとお洒落というかおいしそうなものにならないものかなぁ・・・ ぶつぶつ。
登録:
投稿 (Atom)