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2012年6月24日

歓迎 ビターレモン!

近所のスーパーで、「シュウェップスのレモン・・・」と新製品のPRをしていました。

もしかしてもしかして、ビターレモン?とわくわくしながら近づくと、全然ビターレモンじゃない。水色ラベルじゃないし、普通の大きさのペットボトルに入ってる。「レモン・トニック」と書いてある。
なんだビターレモンじゃないのか・・・がっかり。英国国旗が付いているけど、レモン・トニックなんて向こうであったっけ?と思いながら遠ざかろうとした。

でも、PR係のお嬢さんに試飲の小さいグラスを渡され、レモン・スカッシュみたいなもの?と思いながら飲んでみると・・・ビターレモンの味がする!
即座に1本をカゴに入れました。
おうちに帰って良く見てみると『「シュウェップス ブリティッシュ レモントニック」は、イギリスで愛飲されているビターレモンの味を再現しました。」と書いてある。

再現?これビターレモンと違うのか?何か日本人用にアレンジしたんでしょうかね。AJにはさっぱりわかりません。並べて飲めば判るのかもだけど、でもこれで十分私にはビターレモンだ。どうか長く続いてね、の気持ちを込めて、コンビニで見掛ける度に買っています。

正直、和食(おにぎりとか)には合いませんが、サンドイッチなら大丈夫。ポテチみたいなスナックにはぴったり。でも一番おすすめは、お供なしでこれだけ飲むことかな。独特の苦みがイギリス!な感じで大好き。皆様も廃番にならない内に是非お試しください。


広島って(最終回)

マラソンの中継を見ていて、あれ?と思ったことがある。広島市ってガードレールがない。マラソンコースだけなのかな?と思ってたんだけど、行ってみたらやっぱりガードレールがない。

正確には「ない」というのは言い過ぎで全然ナイわけじゃないんだけど、圧倒的に少ない。

そういえば広島は、路面電車が地下鉄化していない街としても有名。広島市民は被爆後いち早く復旧した広電(市電ではないです。私電)を愛しているから、という説があるようだけど、私の考えるに、交通量に余裕があるからではないかな・・・。幹線道路がやたらに広い。ガードレールがなくて済むのも同じ理由のような気がする。

なんで道路が広いのかというと、それはたぶん原爆と関係あるよね。

焼野原になったのは同じでも、普通の空襲だった東京は火事が収まったら人が戻ってきた。戦後は尚更、ひと稼ぎしに上京した人も多かった。
広島の場合は、草木も生えないと言われてたし、実際に残留放射能もあって、外から新たに入ってくる人は少なかっただろう。元々住んでいた人でもしばらくは帰らない(帰れない)人が多かったんだと思う。だからたぶん都市計画を立てて実行する十分な時間があったんだろうな。

幹線道路は新開発都市並みに広くて真っ直ぐ。でも中に入ると昔ながらの1車線道路。このアンバランスさが他の町とは違う広島っぽさなのかな・・・

平和公園の原爆死没者慰霊碑の前に立つと、向こうに原爆ドームが見える。
 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

後半の文章が、実に日本語らしい文章だよなぁ。主語が誰なんだかわからなくても日本語って通用しちゃうからなぁ・・・
あんな悲劇はあってはならない、そうは私も思うんだけど、何が過ちだったのか、どうすれば防げたのか、その答は平和祈念資料館を見ても得られるものではないのだよなぁ・・・

3.11のフクシマでは状況は少し違うけど、いつかあの時に引き返せたんじゃないのか、と思う日になるのかもしれない。原爆と原発は全然違うといえば全然違うんだけど、似ていると言えば似ている。
繰り返してはいけない「過ち」が、戦争そのものではなく、武器として原爆を使ったことであると定義するなら、電力を作るものとして原発を使ったことも、繰り返してはいけない過ちなのではないか。
戦争をしないという選択肢が当時見えなかったように、原発を使わないという選択肢も今はないものとして扱われているけど、後になって、あの時に・・・と思うんじゃないかな。

個人的には、2011年以上の電気は使わない、ことを目標に生きていくことにするけど・・・我ながらなんか消極的な厭戦よね・・・

たい焼き

今川焼を書いたついでに、たい焼き。本当はたい焼きは冬の食べ物だと思うのだけど、一年中売ってはいるもんね。
私は、しっぽに餡子が入っているかどうかには拘らないけど、皮がパリパリのたい焼きが好きです。ふかふか人形焼みたいのはあまり好きではない。
昔は近所(と言っても電車で2駅)に美味しいたい焼き屋さんがあったのだが、ずいぶん前になくなっちゃった。それ以降はめったにたい焼きを食べなくなりました。写真は麻布十番の浪花家総本店の。 有名店だけあって文句なく美味しい。
久しぶりに食べてみて思ったんだけど、たい焼きの味は、皮じゃなくて餡子なんだなー(当たり前か)。どら焼きや人形焼は常温で食べることが多いから、餡子や皮の甘さが多少くどくても気にならないけど、アツアツで食べるたい焼きは甘すぎるとくどい。美味しいたい焼き屋と普通のたい焼き屋の分岐点はそこにある気がする。

本当は、冬の寒い日に紙袋に包んでもらったたい焼きをカイロみたいにポケットに入れて、おうちに連れて帰る、というのが正しい食べ方だと思う。
でも、いつ食べても美味しいものは美味しいぞ(笑)。

2012年6月17日

嘉祥菓子

昨日6月16日は「和菓子の日」でした。和菓子の日には、嘉定菓子を食べます。

・・・って知ってました?私は知りませんでしたよ。通りかかりの虎屋で、いつもは見掛けない「厄除招福」と書いたお饅頭を売っていたので、何か行事の和菓子らしい、と買ってみたら「嘉祥饅頭」だったのでした。

一口サイズのお饅頭が3個。「厄除招福」と書いてあったのは、日枝神社で祈祷してもらったお札であるらしく、裏には「和菓子の日」の由来が書いてありました。

元は、平安時代の848年6月16日に、仁明天皇がお菓子を備えて元号を「嘉祥」と変えたことに始まり、その後、江戸時代には「嘉定通宝」16枚でお菓子を買って食べる風習になったとのこと。

でもwikiはこのどちらにも否定的で、室町時代に6月16日に「かづう」なるものを食べる風習があり、それがいつの間にか、嘉定通宝(略してかつう)16枚で買った食べ物ということになり、嘉定通宝が手に入らなくなると、ま、とにかくお菓子、ということになったらしい(笑)。

そういう変遷ってありそうな気がする。お菓子と関係ないけど、「恵方巻き」なんか「恵方を向いて太巻を切らずに食べる」という意味の分からない風習だけど、全国レベルに普及するにしたがって、何でも巻いている食べ物ならいい状態になりつつある。100年後にはロールケーキの日として定着してるかもしれない。

虎屋の嘉祥饅頭は素直に美味しかった。美味しくて厄除にもなるなんて嬉しい。食べる行事は何でも歓迎だ(笑)。

広島って(2)

広島市は藩でいうと安芸。「安芸の宮島」として知ってはいても、あまり裕福なイメージはないと思うのね(失礼な)。
戦国武将でいうと広島=毛利元就で、広島城を最初に建てたのも毛利氏なんだけど、しかし毛利氏の本拠はもっと山の方。関ヶ原の戦いで毛利氏から福島正則に持ち主が変わって、さらに浅野氏(赤穂浪士の浅野氏の本家)に移ったのだそうです。で、、、なんとなくぱっとしないまま江戸時代を終える(だから失礼だってば)

そんな広島市が脚光を浴びるのは、明治になってから、軍都としてなのですね。

江田島や呉のイメージが強かった私は、てっきり広島港が軍港として開かれて、そこから軍都としての歩みが始まったんだろう、と思ってたんだけど、実際に広島港(宇品港)に行ってみると、周りが平たすぎる。正しい港町というものは、神戸も横浜も函館も横須賀も、坂道を下ったところにあるもので、そうでないと大きい船が入らないじゃないか、と思った。
実際、広島港はもともと遠浅の使いにくい港で、千田貞暁という政治家さんが巨費を(私費も)投じて大きい港として作ったのだそうです(wiki)。

でも、広島港が軍港として使われるのは戦争が始まってからのこと。軍都広島の始まりは海軍ではなく、明治初期に陸軍の師団が置かれたところから始まった、と考えてよさそう。wikiによると、明治初めの混乱期、鎮台はまず治安に不安のあった(たぶん)石巻と小倉に置かれた。明治4年に東京、大阪、東北(石巻→仙台)、鎮西(小倉→熊本)の4か所になった。
この時点で広島は、鎮西鎮台の第一分営=中国地方の代表になった。更に2年後には九州から独立した「広島鎮台」として中国+四国地方を管轄することになっていく。宇品港ができるのも、江田島海軍兵学校や呉港が開かれるのもそれより後で、陸軍の町があっての海軍の町、であるらしい。

広島がなぜ中国地方の代表都市になったのかはわかった。が、なんで広島だったのかはわからないよう。港も鉄道も出来る前。周辺に較べて特に便利そうでも裕福そうでもなかったと思う。九州と関西の真ん中なら福山でいいと思うし、平野の広さなら岡山、船便の便利さなら松山でも良かったと思う。 なんで広島だったんだろう・・・

軍都として始まった広島は海軍を得て膨張し、全国でも突出した軍都となっていく。被爆都市となったのもその延長線上にある、と言うことは容易いけど、好きで軍都になったわけじゃないんだし。誰が広島を軍都にしたのか。誰でもいいけど理由は知りたいよう・・・

2012年6月10日

広島って (1)

広島って四方を山に囲まれたところだった。

と書くと、何言ってんだよ、盆地じゃなくて海に面した街じゃんかと反論が出そうだけど、瀬戸内の場合、海にも山があるのだよ。

広島港(宇品港)にて→
もっとも、海の方の山は市内からはあまり見えなくて、南を除く三方を山に囲まれている、ように見える。海の近くまで来ると、あれ?こっちも山じゃん・・・て感じ。

広い目かつ真っ直ぐ目の道路の三方に黒々と山が見える様子は、一見京都なんかに似ているのだけど、郊外に移動してみると意外に山が遠い。
同じ瀬戸内に面する都市でも神戸なんか街のすぐ裏が山になっているのに、広島は案外平たい。手持ちの地図帳を見てみると「広島平野」と書いてある。関東平野の住人からみると、ずいぶん小さい平野だな・・・と思ってしまうが、山がちな中国地方では十分平野なんでしょうね。

広島市はその平野の海っぺりにある。「広島」はその名の通り「広い島」だったんでしょう。地図を見れば太田川の砂州にできた島だったのは誰にでもわかる。東京でいうと月島や佃島。それのうんと広いやつ。そこにお城を建てて、どんどん砂州を埋め立てて海に向かって広がって行ったわけだ。

だから、というのは性急かもだけど、広島市の根っこは海よりも太田川にある気がする。「水の都」と自称してもいるしね。市内には太田川の支流が何本も通っている。橋からは遠く山が見える。水路としても機能している(していた)のだろうけど、東京(江戸)みたいに真っ直ぐに補正したりはせず(少しはしたんだろうけど)、カーブを残した流れがいい感じ。川の向こうにもやっぱり山が見える。
左の写真は、相生橋から眺める太田川。

東京は海への愛はあるんだけど、川には冷たいんだよなー。江戸時代には水路という使い道があったからそれなりにはメンテしていたのかもだけど、鉄道になってからは排水路としか思ってないところがある。それに比べると広島は川を大事にしていると思う。ま、水質の差かもしれないけど。遠くから関東平野をダラダラ流れてきたものが多い東京の川と、そう遠くない山から清冽な水が流れている広島の川では有難味が違うもんね。

山がちな中国地方にあって、平野があって水が豊富にある=水田が作れる、広島はだから中国一の都市になりましたとさ、と言うことならわかりやすいんだけど、地図帳で見る限り、岡山平野の方が広い。近畿と九州の中間点ということなら福山でも良さそうな気がする。
なぜ広島が第一都市になったのか。その謎解きは次回。(勝手に解くなって)

白玉団子

東京は既に梅雨に入りました。蒸し蒸しして、すっかり夏!って感じ。

昨夏は自分の好みで心太を取り上げてしまいましたが、夏の甘味で和菓子っぽいものと言ったら「白玉団子」ですわね。名前も団子だし。

名前からすると「白い玉」「団子」とも、球状に聞こえるけど、実際は球を押しつぶした形。スーパーで買った白玉団子は、 丸餅のミニミニ版という形ですが、AJ実家では真ん中をへこませて白血球型にしていました。Googleしてみると白血球型のもたくさん出てくるので、AJ実家だけが変わっているわけではなさそう。へこませたのはたぶん火の通りを良くするためだと思う。

白玉団子は、遠い昔にだけど私も作ったことがあります。白玉粉に水を加えて練って丸めて、後はへこませて茹でて冷水にとって終わり。失敗もなくできるのだけど、白玉粉がないと出来ないのだよな。

白玉粉で作るから白玉団子、っていうより、白玉団子を作るから白玉粉っていうんだろうね。白くて玉みたいでピカピカもちもち。簡単にできる割にはなぜか高級感のあるお団子。暑くて食欲のない日にもツルリと食べられます。

2012年6月3日

アンデルセン

広島と言ったらアンデルセンでしょ、やっぱり。

と言っても通じない人には通じないかなぁ。アンデルセンよりリトルマーメイドの方がわかりやすいかも。ベーカリーのあのお店は広島が発祥の地なのですよ。
パン屋の社長夫妻が海外旅行に行って、デンマークのパン(いわゆるデニッシュ)の美味しさに感動し、日本でもこんなお洒落で美味しいパンを!と始めたのが広島アンデルセンなのだそうだ。神戸じゃなくて広島ってところがちょっと意外よね(そんな失礼な)。行ってみると意外に(だから失礼だってば)広島はお洒落なお店が多い。

カフェでフォンダンショコラとカプチーノ。おいしかったー。
デニッシュと石窯焼きのパンも買って帰って朝食にしたけど、こちらは普通の味だった。特にデニッシュは近所のリトルマーメイドと同じだと思う。もちろん値段も同じなので文句はないけど(笑)。

広島アンデルセンの2階は、マーガレットショップなる北欧グッズショップになっていて、AJの欲しいものが目白押し。こんなものを広島で買ってどうする、東京でも買えるよきっと、と言い聞かせて帰ってきたのだが、青山アンデルセンはショップないのね。やっぱり広島で買ってくるべきだったかなぁ・・・いいもん、東京には広島アンデルセンはないけどイルムスはあるもん、しくしく。

結局アンデルセンでしかコーヒーを飲んでないんだけど(洋食食べてない)、広島のコーヒーはレベルが高いような気がする。なんでそう思うかと言うと、「自家焙煎」の看板を掲げる喫茶店が多いのです。東京より多いと思うね。飲んでないからなんとも言えないけど、今どきあれだけの喫茶店が営業していられるのは、みんながコーヒーをよく飲むからではないか。

あ、そういえばお茶はダメだった。結構いいお店に行っても出てくるのは焙じ茶。この町の人は緑茶に興味がないんだなと思った。奈良でも同じことを思ったんだった。

アンデルセン以外のパンは食べてない。コンビニやスーパーを覗いてみても、おなじみの山崎パンや敷島パンでがっかり。タカキパン(アンデルセンの会社)のもあるけど、大阪で見かけたアーモンドメロンパンみたいなのは見つけられなかった。しくしく。
そうそう、広島アンデルセンでは「サンライズ」という名前でメロンパンを売っていたけど、コンビニやスーパーでは「メロンパン」になっていて、それもつまらなかったなぁ。グローバル化(この場合は世界じゃなくて日本国内だけど)って、旅の発見をどんどん減らしてしまう。さみしいなぁ・・・

今川焼

先日、人形焼の回で「人形焼はお土産だけど、どら焼きやたい焼きはおやつ」と書いた。たい焼きの仲間である今川焼はどうか。んー。お土産ではない。でもおやつかっていうと・・・AJにとっては「軽食」のイメージです。

同じ材料(たぶん)で型が違うだけのたい焼きと今川焼。このイメージの差はどこから来るのか考えてみたのですが、たぶん買うシチュエーションかな。
皆様にとってどうかはわかりませんが、AJにとっては、たい焼きは「たい焼きを買おう!」という意志の元にたい焼き屋に行って買うものですが、今川焼はスーパーのフードコートとかお祭りの屋台とか、他の軽食選択肢がある状態で、「今日は今川焼」と選ぶイメージ。
何故かはわからないけど。。。

「今川焼」とは関東近辺の呼び名で、地方によっていろんな呼び名があることは皆様ご存知でしょうね。wikiによると、一番ポピュラーなのは「大判焼き」という呼称だそうで。「今川焼」は昔、神田の今川橋近くのお店が売っていたから、という説が有望だそうです。

関西では「回転焼」っていうのよね。ずいぶん昔のことですが、そんなことを知らずに大阪で「回転焼」の看板を見つけた時には、てっきり「回転焼肉」だと思ってしまいました。
さすが回転寿司の発祥地大阪、肉も回転するんだ!と、びっくりしながらお店を覗きこんだら 今川焼を焼いていて、はぁ?これが回転焼?何が回転するの??裏返すことを回転というなら、たい焼きもタコ焼きもお好み焼きも全部回転焼じゃんか!と思ったものでした。

もみじまんじゅうも人形焼もたい焼きも中身は小豆餡が好きだけど、今川焼に関しては、実は邪道のチーズ味が好きさ。