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2012年10月21日

過去メモ (2:芥川龍之介シリーズ)

太宰シリーズの次に始めたのが芥川シリーズだったが、シリーズを読む前に既に芥川は好きだったので、最初から「うまいねぇ、龍之介君!」で始まっています。更に途中からは「龍さん」と愛称・・・全く女子高生ってやつは(笑)。太宰シリーズもそうでしたが、気に入った文章を抜き書きしているものが多い。
あと関係ないところで驚いたのが、「すごい上手い」を連発していること・・・「すごい+形容詞」って最近の若者言葉だと思ってたのに、自分が若者だった頃に使っていたとは・・・。

たね子の憂鬱:名文!ラストがすごいうまい。『いいえ、ひかれてしまってからも夢の中ではちゃんと生きているの。ただ体はめちゃめちゃになって眉毛だけ線路に残っているのだけれども・・・』 、「すると番茶はいつの間にか雲母に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。『・・・・・・』 たね子は頬杖をついたまま、髪を結う元気さえ起らずにずっと番茶ばかり眺めていた。」
古千屋:うまい。しかし悲しい。家康は実は哀しい人なのかも。「人生は彼には東海道の地図のように明らかだった。家康は古千屋の狂乱の中にも、いつか人生の彼に教えた、何ごとにも表裏のあるという事実を感じさせないわけにはゆかなかった。」 うまい!
冬:文才あるねぇ(当たり前だ!)。刑務所に入っているいとこに会うため六時ころまでじっと待っている間に、いろんな人が面会していく。灰色の風のぴゅうぴゅう吹くような冬。
手紙:なんですかねこれは。読みやすいけどよく判りません。
三つの窓:楽しい。ユーモアの中に男の優しさっていうのかな・・・(わかったように言うなって)。内容は実は暗いのだがからっとした明るい陽だまりの雰囲気。3人の死。静かな死と生に執着する死と、それに自殺。そうねぇ。3つしか死に方はないのかもねぇ。。
歯車:これやっぱり良いと思う!死への恐怖と憧れ。レインコオトの男、オオルライト、死んでしまった姉さんの夫、火事、スリッパ、義兄さんの肖像画のひげ、タクシー、復讐の神、狂人の娘、ドッペルゲンガー、光のない闇、ブラック&ホワイト、赤井、そしてラスト『ただなんだかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから』、銀色の翼、とうめいな歯車、「しかし錯覚でないとすれば・・・」
闇中問答:ある声と僕。この問答で自分をさらけ出している。「僕は偉大さなど求めていない。欲しいのはただ平和だけだ」「うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ」
夢:モデルさんを殺してしまって、でも夢だったと思ったけれど、「-けれども夢の中でなかったとしたら・・・」 「ふといつか夢の中にこんなことに出合ったのを思いだした-それから先の夢の記憶は少しも私には残っていなかった。けれども今何か起これば、それもたちまち夢の中の出来事になりかねない心もちもした。」 怖い。でもわかる・・・
或阿呆の一生:「なんのためにこいつも生まれて来たのだろう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ」『あの子はあなたに似ていやしない?』『似ていません。第一・・・』『だって胎教ということもあるし』、Magic Fluteというのは魔笛のことだね。『あすこに船が一つ見えるね?』『ええ』『ほばしらの二つに折れた船が』。フランソア・ヴィヨンというのは、ヴィヨンの妻の旦那だな(そりゃそうか)。どんな本を書く人だったんだろう?「しかし神を信ずることは-神の愛を信ずることはとうてい彼にはできなかった」 。
機関車を見ながら:我々は機関車である、なるほど。線路の上を、有限の時間の上を走っていくだけだもんね。僕らは僕らの人生に手出しすることは許されない。ただひた走るのみ。何かしようとすれば脱線転覆。うむ。僕にもわからない。どこに行くのか誰と会うのか、何もわからないけど、線路の上を行き止まりまで走っていくと思う。そんな人生じゃイヤなんですか?神の愛が信じられないということになるのかなぁ・・・
凶:うまいなぁうまいなぁ。龍之介さん人間じゃないよ(どういう褒め方だよ)。太宰の暗さはセピアな暗さなんだけど、芥川のは真っ暗。何も見えないけど計算された闇。
鵠沼雑記:同じく闇。真っ暗なのに透明な闇。「歯イシャ」なくなっちゃった看板。ぞっとする思いを、ただ落ち着いて受け止めている。またか。。。って感じで。
或旧友へ送る手紙:「ぼんやりした不安」。気分的には判る気もするがしかし。こんなに明晰極まりない文章を書いているのに・・・だからこそ不安なんだろうけど。自殺なんてしてほしくないよ。
侏儒の言葉:すごいなぁ・・・どうしてこんなのに感想が書けるんだろう(友達が読書感想文を書いたのだった)。名文が多すぎて書く気しない。しかし会いたかったなぁ、何で自殺なんかしちゃったのかなぁ(自殺してなくても会えなかったと思う)。
西方の人/続西方の人:キリストの話だった。天上から地上への梯子。でも、あなたは既に地に落ちた一粒の麦、みんなの心を変えていくよ。
早春:わかるけどね。女と言うのはころころ変わるものではありますが、女の子が女に変わるのは明らかに男性のせいなんだから。「いつのまに変わった」とか「僕の知らない内に」とか言っても、あなたのせいなんだってば。好むと好まざるとにかかわらず。しかし肥っていると絵にならないとはね。まぁそうなんだけどさ。痩せている人には言われたくないよね。
馬の脚:面白い。馬の脚で生まれ変わって、というより復活してしまって、馬に対する掛け声で一緒に下がってしまったり。最後の方の、おくさんの常子さんの夫に対する愛情と馬に対する嫌悪の交錯がなかなか。
春:うまいなぁ。絶句。妹が変な虫に引っ掛かって、名状しがたい、嫉妬、好奇心、優越感と劣等感。うまいなぁ。この半分でいいから書けたらなぁ(無理だって)。
温泉便り:楽しい。でも可哀そうな半之丞。お風呂でじっとしていて死んじゃうなんて。『しかしどうも世の中はうっかりできません-『あいつももうしかたがないのですよ、青ペン通いばかりしているのですから』
海のほとり:筋らしい筋はないけどこれ好き。夢の中で、もしもしお願いがあるのですが、と言われて、はぁK君だと思ったけど違って、誰か僕のことを心配してくれる人らしい、それは誰だいと思いながらとんでいくと誰もいなくて、『ああ鮒が声をかけたんだ』僕はこう思って安心した」。すごいうまい。
尼堤:これ面白い。汚物を抱えた尼さんがお釈迦様を避けようと必死に角を曲がるんだけど、曲がるごとにやっぱり如来はゆうゆうと向かってくる。『長者よ、それはわたくしが悪かったわけではござりませぬ。ただどの路に曲がっても、必ずその路へおいでになった如来がお悪かったのでございまする』。うまい!
死後:『君が死ぬとは思わなかった』Sは扇を使いながらこう僕に話しかけた-『君は長生きをしそうだったがね』『そうかしら?』『僕らはみんなそう言っていたよ。ええと僕よりも5つ下だね』-『三十四か三十四ぐらいで死んだんじゃ』-それきり急に黙ってしまった。僕は格別死んだことを残念に思ってはいなかった。しかし何かSの手前へも羞かしいようには感じていた。-僕はちょっとSの顔を眺めた。SはやはりS自身は死なずに僕の死んだことを喜んでいる。-それをはっきり感じたのだ。」
湖南の扇:これは向こうで書いたんですかね。落ち着いていていい。
年末の一日:夏目先生のお墓を訪ねていくのですが、途中でお墓が見つからなかったりして
カルメン:『皿を壁へ叩きつけてね、そのまた欠片をカスタネットの代わりにしてね、指から血の出るのもかまわずにね・・・』 『カルメンのように踊ったのかい?』
三つのなぜ:智恵の美リンゴは、静物であり食い物であり金銭であり、拷問の道具、とはねぇ。ソロモンとシバの女王、自分より優れた人と一緒にいたい気持ちと自分が奴隷になるのを恐れる気持ち、それを喜ぶ気持ち。あるある。ロビンソンが猿を飼って「いつも猿を眺めてはものすごい微笑をうかべていた」。怖いねぇ。
春の夜:清太郎と雪さん。ある日清太郎君そっくりの男の子が来て、後ろから、姐さんお金をおくれよう。
点鬼簿:狂った母様。11月28日か。

尻切れトンボだけど、以上


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