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2019年5月26日

光文社古典新訳シリーズ(21)

最近、光文社古典新訳シリーズがゆっくり過ぎだったので、1か月に2冊は読むように計画を立ててみました。このペースなら刊行スピードを追い越すこともない筈。

(201) 寛容論(ヴォルテール): 寛容が一番幸せに近い。なるほど。不寛容(特に狂信的な)は不寛容しか呼ばない。そうだねぇ。そうなんだけど、どうすればいいのかねぇ。嘲笑で効くんだろうか。

(202) 純粋理性批判(カント):かつて2冊で挫折したが、今回はなんとか7冊を読み終わった・・・つらかった。哲学を人生とか幸福とかではなく、一般的に数学とか全部の学問の「上に」というか全部に通じる学問だと思えばいいんだな。人生に「概念」の定義は要らない気もするが、これからAIに人間を分からせるには、この辺の定義が必要になってくる気がする。ビッグデータで誤魔化すんじゃなくてさ。エステティーク=感性論(美学)。知性と理性の違い。人格(考える私)とは何か。考えるを考える、そして神様を考えることが大変なんだな。無限判断=是非で答えられない→幽霊は存在するとは言えない、的なこと。みんなが幸福になる、ではなく、道徳に従う人が幸福になる世界を目指す。しかしつらかった。これ7分冊目だけ読めばよかったかも(笑)。
(2020/06/24追記)100分de名著わかりやすすぎ!こんなことを言いたかった本だったのか!!それまでの哲学の在り方を否定するところから始めるから、そもそも哲学って何かわかって(わかったつもりで)いないと却って混乱しちゃうんだな。何が書いてあるか知りたいだけの人は7分冊目ですらなく断然100分de名著をご覧ください。わかりやすすぎで、この本の何が難しいのか理解できなくなる(笑)。

(203) 実践理性批判(カント):こちらは2分冊。純粋理性批判よりは読みやすいがしかし。人間の理性はみずからの認識が完全な体系として統一されたときに、初めて安らぎを覚えるものなのである。えーっ!人間は本性として善に向かおうとするが欲とか幸福とかの心の傾きに邪魔される。道徳は大事だが、押し付けはイケナイ。良心は誰にでもある。

(204) 一年有半(中江兆民):幸徳秋水の師匠「東洋のルソー」が余命1年半と言われて(実際は1年なかった)残した藩閥政治への批判や文芸論他。独善的でも語り口が上手い(新訳が上手いのか)。兆民ってローマ字表記派だったのね。この時代の人は政治だけじゃなく文学だけでもなくマルチ文化人でほんとにエライ。遠い崖の続きになる部分もあって読みやすかったが。まーかなりタイトルの勝利だろうなー。

(205) 偉業(ナボコフ):ロシア貴族のマルティンは母の好みのイギリス仕込み。ロシア革命勃発で亡命後、ケンブリッジに入学して友人が出来たり恋をしてみたり。でも「偉業」な人生に憧れて・・・自伝的小説なのだそうな。ナボコフってロシアっぽくないと思っていたけどそういうことだったか。列車や船での旅が魅力的。ロシア語の「偉業」には旅という意味もあるんだって。

(206) ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの(フロイト):砂男についての考察が一番面白かった。しかしなんでもエディプスコンプレックスなのか?三番目は死の女神というのはイマイチ納得いかないが、春夏冬なのはとても理解できる。

(207) 笑い(ベルクソン):笑うことは何故快楽なのか。笑わせること/笑われることに何故幸せ/不幸を感じるのか。笑いの対象は人間或いは人間らしさ、対象に感情移入すると笑えない。臨機応変に対応できない硬直性がおかしい?うーむ。人間は何故笑うんだろう?

(208) アッシャー家の崩壊/黄金虫(ポー):アッシャー家と盗まれた手紙は読んだ記憶あるのだが、黄金虫は覚えなし。読んだ筈なんだけど。他は初めてだと思う。大渦巻への下降はちょうどブラタモリで鳴門の回を見たところでううむ。でも鳴門が世界最大級らしいぞ。

(209) 資本論第一部草稿 直接的生産過程の諸結果(マルクス):いわゆる資本論の下書き。これだけ読むと却って混乱するよう!出来上がった資本論を片手に試行錯誤の様子を読むものらしい。シェアていうかメルカリ的なものが広がれば、資本主義は変わっていくのかもしれない。資本主義も最初からこうなると思ってたわけじゃないんだもんな。

(210) ロレンザッチョ(ミュッセ):脚本。読み始めてすぐに塩野七海「銀色のフィレンツェ」と同じネタなのに気が付いた。フィレンツェ年代記が元だからなのか、なるほど。でもロレンザッチョのその後が書いてあるし暗殺の舞台もロレンザッチョの寝室で違う。同性愛が仄めかされているのも違うし、何より政治的な側面をミュッセのフィクションで強化しているんだって。ていうかミュッセと同時代のフランスぽい。確かに。

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