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2019年8月26日

Guardian’s 1000(9)

せっかく読んでも光文社古典で出版されるともう一度読むことになるので、なるべく光文社古典には入らないような本を優先で読むようにしている。とはいえ、童話でもSFでも推理小説でも入る場合はあるので、よっぽど新しい本じゃない限り完全回避は難しいんだけどさ。ま、そんな理由で今回はCrimeから10冊を再読。

(81) 3つの棺(ジョン・ディクスン・カー/ハヤカワミステリ):
英語題名はHollow manで透明人間の意。犯人の足跡がなくて透明人間みたいという意図だが、実はダブルミーニングになっているのが上手い。日本語題名は米語題名から。SFっぽい「透明人間」よりも、3つの棺の方が推理小説っぽいともいえるな。本格トリック好きの私は夢中になって読んだものだった。最近はこういう推理小説ウケないし、科学捜査が詳細になりつつある今、トリックは難しくなってもいるんだよな。

(82) 大いなる眠り(レイモンド・チャンドラー/ハヤカワミステリ):
マーロウ登場第一作。村上春樹新訳で再読。誰が訳しても伏線(横線?)が多すぎてスッキリ感には欠けるが、面白いとは思う。マーロウかっこいいし。ちょっと殴られ過ぎな気がするけど。

(83) ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー/ハヤカワミステリ):
同じく村上春樹新訳で。前に読んだ時にはあまり感心しなかったが、結構いいじゃんこれ。訳の差ではないと思うけど。グレートギャッビーみたいだな、と思っていたら訳者あとがきにも同じことが書いてあってちょっと嬉しかった。

(84) 緋色の研究(アーサー・コナン・ドイル/創元推理文庫):
2013年新訳で再読。英国が誇るシャーロック・ホームズ第一作だからベスト千に入るのは当然と思うけど。唐突に犯人が捕まって、謎解きは哀しい過去の話。今となっては推理小説とは言えないような。

(85) 四人の署名(アーサー・コナン・ドイル/創元推理文庫):
ホームズ2作目。「4つの署名」が定訳だと思うが素直に訳すと四人だな。そして実際には署名というかマーク。名前を書けない人もいる。でも別に名前として読めなくてもサインとしては成り立つんだからそれでも署「名」と言えるのか?日本語は難しい。ホームズはもともと好きじゃないけど、短編の方がまだマシ。犯人が唐突に捕まるし、だらだら説明も面白いと思わない。

(86) バスカヴィル家の犬(アーサー・コナン・ドイル/創元推理文庫):
これ推理の余地もないし、手間の割に確実さに欠ける殺人方法で、なんでベスト千に入るのか不明。ま、イギリスっぽい話ではあるのだが。

(87) 検屍官(P・コーンウェル/講談社文庫):
大好きだったスカーペッタ・シリーズの第一作。新作出るたびに読んでたのに途中で読むのを止めたのは、準主人公となっていたベントンが殺されてしまったからだった。シリーズ物では準主人公も被害者/加害者にならないのは暗黙のルールなのに!と憤慨した。その後もシリーズは続いていて、ピートと仲良くなったのかな?とついでに新作を覗いてみたら、なんとベントンと結婚してるし!ベントン殺されたんじゃなかったのか!!
久しぶりの再読だが今となっては話が古すぎる。DNA鑑定もPCも当たり前だし。リアルな推理小説ほど短命になりやすいのは宿命なんだよね。あの頃ってこんなだったなぁと思うにはいいけど。読むなら新作をどうぞ。

(88) キドリントンから消えた娘(コリン・デクスター/ハヤカワミステリ):
モース警視シリーズも大好きで全部読んだ。これは2作目。英名はこんな(Last Seen Wearing)だったのか。邦題の方が素直でいいと思う。
例によって二転三転、勘を頼りに右往左往するモース。推理ってこうでないとリアリティないと思うの。観光でオックスフォードまで行ってみたけど、お仕着せの駆け足ツアーだったから、ランドルフ・ホテルを車窓から見ただけだったなぁ。

(89) 悔恨の日(コリン・デクスター/ハヤカワミステリ):
英名はこんな(The Remorseful Day)だったのか!訳せないだろうけど邦題じゃモースが入ってないよ。
モース警視最後の事件。モースが小さな悪事を・・・してたわけじゃないとわかる最後にちょっと泣ける。毎度振り回されながら最後は正解にたどり着くモース。養生すればよかったのにね。

(90) 寒い国から帰ってきたスパイ(ジョン・ル・カレ/ハヤカワ文庫):
東ドイツと英国の熾烈なスパイ合戦は、実は。作者は元諜報部員。そゆことあるんだろうなぁとは思うが、今となっては昔の話・・・

2019年8月22日

ブラマンジェ

読書メモのペースが落ちてきたので、「家庭でできる和洋菓子」に、ほぼ2年ぶりの追加。

ブラマンジェは、大昔、家庭科の授業で作ったことがある。美味しいなと思って家でも1回作ってみた。作り方はスッカリ忘れたけど、家でも作ったんだから材料は簡単だったんだろう。

「家庭でできる和洋菓子」にはこんな解説がある。『ブラマンジェはアマンド(杏仁)のうす皮をとり、すってその中に牛乳、砂糖、生クリームを入れてこしらえるのが本来のものです』。『アマンドは一寸手に入りにくい材料ですから、コンスターチとゼラチンと砂糖で、白いおいしいお菓子を作ってみましょう』。

アーモンドのどこが手に入りにくい材料なんだ??他のレシピも確認してみたら確かにアーモンドは使われていない。クルミやピーナッツはあるのに。当時はアーモンドはとっても高価だったんだろうか。そうかも。ちょっと検索してみたら、辻調理師専門学校のレシピでは、150ccのアーモンドが牛乳の風味付けのためだけに使われている。これは贅沢な使い方だよな。アーモンドエッセンスじゃダメなの?
理由はどうあれ、家庭でできる和洋菓子のレシピにはアーモンドは(エッセンスも)使われていない。そして日本でも他の国でも、どうやらアーモンド抜きの方が一般的であるらしい。現代なら、わざわざアーモンドを擦って牛乳に風味付けなんてしなくても、アーモンドミルクを買った方が早いんだけど、どっちが美味しいかってのは別の問題なんだろうな。

たぶん家庭科の教科書由来だと思うのだが、私の認識では「ブラマンジェ」なこのお菓子、wikiは「ブラン・マンジェ」で登録されている。英語のblancmangeではなく、その元になったフランス語のblanc-mangerから採用したんでしょう。意味としては「白い食べ物」。
これ、元々はアラブ系の料理で、中世ヨーロッパではデザートではなくシチューのようなものだったらしい。チキンベースにお米が入り、アーモンド、サフラン等の超高級スパイスが香る、オリエンタル・ラグジュアリーな一皿。それがだんだんに、白いドロドロな贅沢→白いまったりなスイーツに変わっていったんだって。
フランス語wikiには冒頭に、米・ジャガイモ・とうもろこし澱粉などで固めるもので、ゼラチンを使って固めるパンナコッタとは違う!と書いてあるけど、続けて書かれいるように、「家庭でできる」レシピもコーンスターチ+ゼラチンの両刀使い。辻レシピはアーモンドで贅沢に風味付けするけど、固めるのはゼラチンのみ。まぁこの辺は「伝統」よりも「美味しい」を優先なのかも。

あれ、せっかく作ったのに、クマの手だけ入って意味不明な写真になってるな。失敗・・・。でも「白い食べ物」なのはわかりますかね(泣)

久々に食べたブラマンジェ。甘いけど美味しい。

パンナコッタはカフェでも見かけるけど、そういえばブラマンジェって見たことないよな。なんでだろ。型抜きが必要なブラマンジェより、カップスイーツなパンナコッタの方が作りやすいからかな。ゼリー全般、型抜きなデザートは衰退しつつある今日この頃なのかも。

2019年8月13日

Guardian’s 1000(8)

前回に引継ぎLoveカテゴリーを10冊で、これで本カテゴリーの残既読は現時点でゼロになりました。並行して読んでいるのもあって、読み終わった本(再読待ちを除く)は100冊を突破。でもまだ9割ある。うふふ。

(71) 日の名残り(カズオ・イシグロ/ハヤカワepi文庫):
邸宅の執事は新しい米国人主人に勧められて初めての旅に出る。職場仲間だった女中頭に再会して、取り返しのつかない人生を振り返る。夕方が一日で一番いい時間なのだからそれを満喫すべし。返らない昼間を振り返って悔やんでも仕方ない。そっか、確かに。しみじみするし、プロットもいいし、英国らしいし、すごくいい本だと思う。でもLoveカテゴリーの本なのか?と思っていたら、解説に丸谷さんが、これは「英国の状態」の流れだと書いている。ほほぉ、State of the nationカテゴリはここから派生してるんだな、たぶん。恋愛よりも英国を描いたものだと私も思う。国が黄昏てるなんて英国人は思ってないかもだけど。

(72) 美しさと哀しみと(川端康成/中公文庫):
康成の代表的長編は普通「雪国」だと思うんだけど。京都と鎌倉で日本趣味が強いという点ではより海外向けかも。「伊豆の踊子」その後、らしいが・・・だいぶ違う。音子は運命の女だとしても、けい子は怖すぎる。

(73) チャタレー夫人の恋人(D・H・ロレンス/光文社古典新訳):
いやらしいとは思わないが、危険思想ではあるかも。そんなに簡単な話か?と思う。

(74) ヴェネツィアに死す(マン/光文社古典新訳):
ヴェネツィアらしく書けてると思った。私はリド島には行ってないけどね。

(75) 風と共に去りぬ(ミッチェル/新潮文庫):
読み直す1冊で済み。映画とは少しイメージ違うので読んだ方がいいと思う。

(76) ノルウェイの森(村上春樹/講談社文庫) :
大ヒットしてしばらくした頃に読んだ。あまり感心しなかったけど、春樹ファンじゃなくても読みやすい本だよな、とは思った。たぶん女性陣の結婚に対する考え方が古いのでいまいちに感じたんだ。でも時代背景を頭に入れてなかったね。これは1968-71年の物語と明記されており、読み飛ばしてたけど遠くに学生紛争もちゃんと描かれている。だったら「進歩的」な女性でもこんなだよなぁ、納得。私の好みではないけど、村上春樹は読まず嫌い、と言う方にはお勧め。春樹節は薄いです。普通に青春悲恋物語として読めると思います。

(77) マノン・レスコー(プレヴォ/光文社古典新訳):
破滅的恋愛というよりもう少し大人になれという気が。

(78) 悲しみよ、こんにちは(サガン/新潮文庫):
2009年新訳で再読。前に読んだのはセシルと同じ高校生だったと思う。共感は出来なかったが、こんな境遇の女子高生は無敵だよなーと思った。今回再読で、この本を書いた時のサガンはほぼ実年齢だと知った。中年女の顔に少女の面影を見つけるのは高校生には無理だと思ってたけど、こういうものは精神年齢なんだな。自分を基準に考えちゃいかん、反省。

(79) アンナ・カレーニナ(トルストイ/光文社古典新訳):
何度読んでもリョ―ヴィンの方の筋は飛ばしたくなる私。

(80) 初恋(トゥルゲーネフ/光文社古典新訳):
恋は叶えばいいってもんじゃない。特に大人の恋は。